雅子妃の「経過」を振り返ってみよう。
1963年生まれの雅子妃は、外務省に在職中であった1993年に、
皇太子徳仁親王妃に内定した。
この時、彼女は29歳であった。
この年の2月に外務省を退職、「納采の儀」をへて、6月に「結婚の儀」が行われた。
皇太子と結婚した彼女に求められたのは、何よりも、「世継ぎ」を産むことであった。
なかなか子供ができないこが、初期のバッシングのきっかけとなった。
はっきり言いますが、「バッシング」なんてありませんでした。
皇太子妃は自ら「3年は子供を作らない」と言っていたのです。
それに「子供」というのは妃一人で出来るものじゃないですし。
国民はそのくらいわかっていました。
1994年、婚約一周年会見が雅子妃の風邪ため延期されたときには、
「ご懐妊では」との憶測が飛んだ。
これに対して、皇太子は、
「あまり周りで波風が立ちますと、コウノトリのご機嫌を損ねるのではないかと
いうふうに思います。風邪をひいたことが思わぬ方向に発展し、
大きな騒ぎとなり、正直びっくりしております」とユーモラスに切り替えしている。
この当時は、まだ余裕があったのである。
結婚した皇族に「お子様は」と聞くのは定番。
それすら聞けない空気こそ「人格否定」ではないですか。
この当時、海外のメディアから、雅子妃の周囲の人々に対する非難の声があがった
(けれども、事態はまったく変わらなかった。それどころか、さらに悪化した)。
1996年2月、AP通信が、「サイレント・プリンセス」と題し、
「雅子妃のプリンセスとしての能力が発揮されていないのは残念だ。
すっかり影が薄くなってしまった」と報じている。
5月には、米国「ニューズウィーク」誌が、「金の鳥かごに入ったプリンセス」と
題した特集記事において、「男の世継ぎを生んでいないことが重圧となっている」と
指摘した。
海外メディアから非難?
もしかして「皇太子夫妻は天皇が死ぬのを待っている」ってあれ?
そりゃ、ハーバード出てオックスフォードに留学して外務省勤務だった
女性が実はコミュニケーション不全だなんて誰も思いもしなかったでしょうし。
結婚前に持ち上げられるだけ持ち上げられた事が「バッシング」要因なら
それは自業自得。
一方、宮内庁の周辺では、公務において、外国の首脳などと談笑する雅子妃に対して、
「外国要人とのお話が長すぎる」「少々、目立ちすぎ、
はしゃぎ過ぎではないか」などと否定的な声があがっていたそうである。
この宮内庁のセンスのなさは、日本的である。
外交の場においては人の話を「聞く」事が重要なお仕事で、自分が主役になって
ぺらぺら話すなんておかしいし、いわゆる総理夫人が同じ事やったらそれこそ
バッシングですけど。
雅子妃は政治的な話しや軍事の話が好きだったという証言もあり、それこそ
政治家でもないのにとんでもない事・・・ではないですか。
10月には、フランスの「ポワ・ド・ヴュ」誌が、「監禁されたプリンセス」と題した特集記事で、
「雅子妃は精神的に鬱状態」との見出しをつけて報じた。
これについては、雅子妃自身が記者会見で、
「鬱状態とかそういうことはまったくありません」と否定している。
1997年ごろより、懐妊騒動が繰り返して起きた。
1999年12月、朝日新聞が雅子妃の懐妊の兆候をスクープした
(スクープは宮内庁内部からのリークによるものであった)。
このスクープは後に事実であることが判明した。
12月30日に、宮内庁は雅子妃が稽留流産の手術を受けたと発表したのである。
あらためて振り返ってみると、雅子妃に対するバッシングは、
古くから日本社会にみられるパターンの繰り返しと同じだ。
古来、旧家の嫁は、男子の跡取りを出産しないと、
周囲から厳しく責められたものであったが、雅子妃の場合も同様だろう。
彼女に期待されていたのは、天皇家の跡取りを産むことであり、
実はそれが唯一の役割といってもいいのかもしれない。
これは、まさに人格否定そのものである。
「子供を産む」事を期待されないのって・・・年齢的なものがあるならわかるけど
20代や30代で「別にあなた、子供は産まなくてもいいよ」なんて言われる方が
辛くない?
でも、本当の人格否定というのは
「私が産めないからあなたも産んではダメ。なぜって私が傷つくから」
という考え方です。
これは精神科ではなんていうんでしたっけ?「自己愛性人格障害」「社会病質者」
擁護するわけじゃないけど、両陛下は雅子妃に出産を強要した事など
なかったと思います。
ばしーっと「さっさと不妊治療でも何でもしろ」と言える両陛下だったら今の皇室は
ないでしょうし。
海外のメディアにはこう見えていた――皇室も宮内庁も、
さらにマスコミも一般の人も、雅子妃に期待したのは、
豊富な海外経験を生かすことでもなく、
あるいは才媛としての能力を発揮することでもなかった。
望まれたのは、ただ子どもを産む、その一点だけであった――と。
宮内庁や皇室からは、次のような露骨な声もあがっていた
(『雅子妃 不運と中傷の中で』 友納尚子 文春文庫)。
「とにかく一人産んでくれればいいんですから」
「これは国事行為ですから、妃殿下に産んでいただくよう諭してください」
「産んでくれれば、日本経済のGDPも3パーセント上がるんだから」
へえ・・・友納尚子などという、嘘ばかり書く作家の文章を鵜呑みですか。
そもそも雅子妃は「妊娠」する事を望んでいたろうか?
否。望んではいなかったでしょう。
「子供なんて馬鹿でも産める」と思っていた筈。絶対に。そうでなければ
「オーケストラ発言」は出ないもの。
「馬鹿でも産める・・・筈なのになぜ私は出来ないの」が本音でしょう?
欲しかったとしてもそれは皇室の為でも夫の為でもなく「自分の体面の為」で
あったと言えるでしょう。
そうでなければ今もって娘の障碍を認めないなんてありえないもの。
2000年の2月、皇太子は、記者会見において、
「医学的な診断が下る前の非常に不確かな段階で報道がなされ、
個人のプライバシーの領域であるはずのこと、
あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であります」と批判したが、
周囲もマスコミも皇太子の意向は無視したのである。
妊娠を隠してベルギーへ行き、流産したらマスコミのせいにする。
ベルギー王室は「知っていたら・・本当にごめんなさい」と両陛下に謝った。
一般家庭ならまだしも、王室同士の付き合いでこんな事はタブーです。
雅子妃が体調不良を理由にして公務を欠席するようになったのは、
この年の夏ごろからだった。
7月、香淳皇后の斂葬の儀を欠席、
8月には、佐賀県で開催される全国農業青年交換大会への臨席を中止した。
2001年になり、4月16日に、懐妊の可能性があると発表された。
そして、12月には、愛子内親王を出産となった。
この時、雅子妃37歳、結婚から8年半たっていた。
誕生したのが女児だったことで、周囲から落胆の声があがったことは否めないだろう。
落胆なんかされなかったです。
岩波さんこそものすごい偏見の持ち主ですね。
それに雅子妃が本当に体調不良で公務を欠席したのは愛子内親王が生まれて
2年も経ったあとです。その前に「第二子断念」の記事は出ていますので、
最初から二人目は産まない予定でしたでしょう。
要するに「後継ぎを産む事を強制された事」と「適応障害」は無関係です。
この当時、雅子妃は、記者会見において、
宮内庁の意向で世継ぎ作りを優先するために外国訪問を減らしたことを示唆している。
「週刊現代」2004年5月29日号の記事では、
皇太子宛の海外からの招待状を、宮内庁が、皇太子らに報告せずに断ったり、
無視したりするケースがあったと述べられている。
それは皇太子妃を海外に出すと、非常識な行いをして顰蹙を買うから。
ベルギーでも中東でもそうだったからにほかなりません。
何が「非常識」なのか・・・・岩波さんにはわからないだろうけど、王族同士の
付き合いや「常識」「マナー」というのは特別です。
自己流を通す事は国際的に許されないのです。
2003年12月、雅子妃は、帯状疱疹のため長期静養を開始することとなる。
同じ時期、湯浅利夫宮内庁長官が定例記者会見で、
秋篠宮夫妻について、「皇室の繁栄を考えると、3人目のお子さまを強く希望したい」と
発言したが、これは明らかに雅子妃の気持ちを揶揄し、逆なでする発言であった。
ここに「秋篠宮家の大3子、東宮家の第2子を」と言ったのです。
雅子妃の気持ちを揶揄し、逆撫で・・・・って、そんなにしてまで子供を産みたく
なかったのかーーとかえってがっかりだよ。
さらに、この発言には重大な問題が存在している。
そもそも、子作りや出産は、いくら皇室といっても、プライベートな問題である。
皇室における出産はプライベートではありません。
この長官の言葉は、まったくの私的な領域まで平気で土足で踏み入る発言であり、
まさにハラスメント行為である。こういう点についてまったく無神経であるのが、
日本の官僚らしいと思うのだが。
仮に宮内庁長官がこういう趣旨の意見を言いたいのであれば、
それは、パーソナルに秋篠宮夫妻に告げればいいのである。
おそらくこの発言は、雅子妃に対するあてつけであったのだろうが、
公的な記者会見で、皇族に出産を促すということは、
つまりは「性行為」を求めることを公言しているわけであり、失礼極まりない発言だった。
官僚は、皇室をまったく尊重していないとしか思えない。
だーかーらー「東宮家に第2子を」と言いました。ちゃんと湯浅さんの
記者会見の文章を読め
「私が産まないのだからあんたのところも産むなよ」と無言のプレッシャーを
かけた東宮家は秋篠宮家に対する大した人格否定です。
2004年4月、宮内庁が、5月に予定している皇太子夫妻のヨーロッパ訪問に
雅子妃が同行しないことを発表した。
これを受けて「週刊女性」2004年5月11-18日合併号は、
「雅子妃が皇室に嫁ぐ際、外交官としてのキャリアが必要だからとの周囲の説得があった
にも関わらず、
現実にはそういう機会がほとんど与えられないことで人間不信に陥り、
皇室内で孤立を深めている」という関係者のコメントを掲載した。
さらに、同じ詩上において、「雅子妃は皇太子妃としての立場に自信をなくし、
人間関係の悩みから心身ともに疲れており、事態は伝えられているより深刻」、
との関係者コメントも掲載されている。
後に、「週刊新潮」2006年9月21日号は、2004年春の長野静養のときは、
「何かをやろうとすると腹痛、頭痛、目眩、起きられないなどの症状が出て、
また気持ちの中で出口が見られず、非常にイライラするなどの症状が見られた」、
との記事を掲載している。実際、この当時の体調は最悪で、
立ち上がることもやっとであったという。
これは何の病気ですか?
うつ病ですか。
今になってもまだ、同じように蒸し返すというのは、この岩波氏がどこからか
それ相応の報酬を受け取って書いているのかと。
だってあまりにもステレオタイプに週刊誌に書かれた事をそのまま書いているでしょ?
まるで友納や香山リカと同じレベルだし。
「こんな事を書くのはお尻に火がついているから」なんて思ってはいけない。
これは「嘘を真実」にする為の策なのです。
嘘でも繰り返し繰り返し言えば・・・・だからこそ、私も私達も、うんざりしながらも
繰り返し否定しなくてはならないのです。
大体精神科医ともあろう人が、こんな嘘を本当の事のように、一方的にしか
みないで書くという事自体がありえない。
公平性がない。
岩波氏の論文は全てにおいて「主観」的で、公平性がないという事。
精神科医に公平性がなく、患者の言う事を鵜呑みにして
眠れないといえば睡眠薬を与え、気分が落ち込むといえば抗鬱剤を与え
「あっちがわるくて私は悪くない」と言えば「その通り」と返事をしていたら
全然治療にならないのでは?
「この人はなぜこうも一方的に被害者になりたがるのか」という視点が大事でしょう。
「なぜ婚家に適応しないのか」
「なぜ結婚を断らなかったのか」
「なぜ娘のありのままを認めないのか」
「なぜ好きな事だけしたがるのか」
「なぜ、他人に罰を与えたがるのか」
こういう問題を根本的に考える事こそが精神医学、心理学の世界ではないかと
思うのですが、いかがでしょう。