コメント欄で
「なぜ紀子様は皇后になれないの?」
「悠仁親王が即位したら秋篠宮殿下の立場は?」
という質問がありましたので、ちょこっと説明させていただきます。
よくよく考えると、今のままでいくと紀子様は皇太后にもなれない・・・かも。
皇室典範
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。 現在の皇位継承順位は徳仁親王 → 文仁親王 → 悠仁親王 → 正仁親王 → 崇仁親王 第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。 一 皇長子 (例 徳仁親王) 二 皇長孫 三 その他の皇長子の子孫 四 皇次子及びその子孫 (例 文仁親王&悠仁親王) 五 その他の皇子孫 六 皇兄弟及びその子孫 (例 正仁親王) 七 皇伯叔父及びその子孫 (崇仁親王) ○2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、 最近親の系統の皇族に、これを伝える。 ○3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。 例・・・仮に今上に子供がなく、親族もなく、苦肉の策で旧宮家の人物を 天皇にしなくてはならない場合。今上から最近親の旧皇族は旧久邇宮家 (母の実家)及び旧東久邇宮家(姉の嫁ぎ先で母の実家の分家) 順番から言って久邇家の現当主か、その長子? 例・・・皇太子徳仁親王が雅子妃以外の女性との間に男子を得た場合は (これまでの事例でいうと)皇長孫になる。 第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、 又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、 前条に定める順序に従つて、 皇位継承の順序を変えることができる。 現在、この3条をよりどころにしている方も多いかと思います。 しかし、何をもって「精神もしくは身体の不治の重患」「重大な事故」とするのか 定義されておりません。 常識で考えればわかるだろうと言われそうですが、その常識が通用しないのが 「皇室」の皇室たるゆえんです。 過去に精神疾患の天皇がいなかったわけではありません。 なぜ廃されなかったか。それは時の権力者にとって得があるからです。 第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。 皇位は1秒たりともあけられないのです。 ゆえにその瞬間から徳仁親王が「今上」になるわけです。第二章 皇族
第五条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、 内親王、王、王妃及び女王を 皇族とする。 第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、 三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。 第七条 王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、 特にこれを親王及び内親王とする。 第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、 皇嗣たる皇孫を皇太孫という。 三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、王、女王とするとあるので、 仮に寛仁親王家の彬子女王、瑤子女王らが「王」だった場合、その子孫は 男子が続く限り皇族であるという事。(つくづく女王でよかったよ・・・・) 現在は永世皇族制で、これは明治以来のことです。 天皇(今上)の子→徳仁皇太子 皇太子が先に亡くなって男子の孫が残った場合→皇太孫 「皇嗣たる天皇の弟を皇太弟という」とは一言も書いてありません。 つまり、規定そのものがないのです。 第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。 養子 → 実際に親子関係を結び、育てる事。 猶子 → 利害関係の一致による「親子兄弟的結びつき」 養子はとれなくても猶子ならできるのではないかというのが私の意見です。 第十条 立后及び皇族男子の婚姻は、 皇室会議の議を経ることを要する。 美智子皇后の場合、皇室会議を経ることなく皇后になった・・そうです。 理由は「皇太子妃」としてのキャリアが長かったこと。 つまり雅子妃もすでに皇太子妃歴20年を過ぎているので、皇室会議を 経なくても皇后になれるという事ですね。 第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、 皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。 皇太子夫妻が万が一離婚した場合に取りざたされるのがこの11条。 愛子内親王は15才になれば内親王であるか臣籍降下するか選べるという事。 ○2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、 前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、 皇族の身分を離れる。 これまた「やむを得ない特別の事由」とは何か、一切定義されておりません という事はないも同然の条項なのです。 強いて言えば「自分が望めば」皇籍離脱できるかもしれないという事ですね。 逆にこれを逆手にとって「皇族費の財政難により宮家の女王は臣籍降下すべし」と いう事だってできる筈ですが。 第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。 第十三条 皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、 他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、 同時に皇族の身分を離れる。但し、直系卑属及びその妃については、 皇室会議の議により、皇族の身分を離れないものとすることができる。 第十四条 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、 その意思により、皇族の身分を離れることができる。 ○2 前項の者が、その夫を失つたときは、同項による場合の外、 やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。 ○3 第一項の者は、離婚したときは、皇族の身分を離れる。 皇族は離婚できるのです。しかし天皇はできません。 ○4 第一項及び前項の規定は、前条の他の皇族と婚姻した女子に、これを準用する。 第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、 女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、 皇族となることがない。 小和田家に連なる人が「準皇族」なんてありえないという事です。第三章 摂政
第十六条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。 悠仁親王が未成年で天皇になった時は、摂政を置くという事で この場合、紀子妃か内親王方2人が候補になるでしょう。 ○2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、 国事に関する行為をみずからすることができないときは、 皇室会議の議により、摂政を置く。 しつこいですが、何をもって・・・・・(略) ゆえに、摂政を置くもおかないも政府とご本人(天皇)の胸先三寸です。 かつて大正天皇の病状悪化に伴い、皇太子裕仁親王が「摂政宮」になりましたが これは大正天皇の意向ではなく、時の政権の意向であったと言われています。 天皇自身の意志は無視された形。 その反動だったのか、昭和天皇の病状が悪化しても摂政は置かれませんでした。 ゆえに今上も、そして次期天皇も摂政は置かないと思います。 「摂政を置く」というのは、天皇の権限をほぼ全て譲り渡すことであり、ちょっとした 屈辱なのかな?という気が。 特に「皇后」にとっては。 第十七条 摂政は、左の順序により、成年に達した皇族が、これに就任する。 一 皇太子又は皇太孫 二 親王及び王 三 皇后 四 皇太后 五 太皇太后 六 内親王及び女王 ○2 前項第二号の場合においては、皇位継承の順序に従い、 同項第六号の場合においては、皇位継承の順序に準ずる。 第十八条 摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、 又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、 前条に定める順序に従つて、摂政又は摂政となる順序を変えることができる。 第十九条 摂政となる順位にあたる者が、成年に達しないため、 又は前条の故障があるために、他の皇族が、摂政となつたときは、 先順位にあたつていた皇族が、成年に達し、又は故障がなくなつたときでも、 皇太子又は皇太孫に対する場合を除いては、摂政の任を譲ることがない。 第二十条 第十六条第二項の故障がなくなつたときは、皇室会議の議により、 摂政を廃する。 第二十一条 摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、 訴追の権利は、害されない。「摂政」という名称について、多くの方は「摂関政治」の「摂政」をイメージ
するのですが、ここでいう「摂政」というのは「今上に並ぶ皇族」の意味です。
「名代」より重いというか
昭和天皇が重病の時、皇太子殿下は「名代」であっても「摂政」ではありませんでした。
さて。
ざっと、皇位継承の部分だけ抜き出しました。
今上 → 秋篠宮 に皇位継承を望む多くの方には悲しい話ですが
今の皇室典範が改正されない限り、今上 → 皇太子 の流れは変わりません。
例え、徳仁親王が飲みすぎて健康に害が生じようと、雅子妃の精神状態が
悪化しようと、そのことを理由に皇位継承順位を変える事は出来ないのです。。
そして、皇太子が「今上」になった時、秋篠宮殿下は皇太子でもなければ
皇太弟でもありません。
悠仁親王も同じです。このままいけば悠仁親王は立太子せず、天皇になる
可能性が高いのです。
保守派がいうように「徳仁天皇に対し、文仁摂政体制」が理想といえば理想ですが
そうなると、いわゆる「国事行為」の大変な部分だけ摂政に・・・という事に
なりかねません。
何よりも自分とほぼ同等の権威をもつ皇族の存在を徳仁親王が認めるとは
思えません。
仮に・・・・仮に、徳仁天皇が危うくなってどうしても摂政を置かざるを得ない場合
順位的には秋篠宮ですが、「皇后」「皇女」も摂政につけるという事を
忘れてはいけません。
こういうのを諸刃の剣?
さて。「紀子様は皇后になれないのか」というご質問。
「皇后」というのは天皇の「后」で、紀子妃が皇后になる為には秋篠宮が
天皇にならないといけません。
しかし、前述したように今上→皇太子の流れは変わりません。
じゃあ皇太子→秋篠宮ではないかと思われるでしょうね。
順番としてはそうなんです。
でも、仮に皇太子が90歳まで天寿を全うした場合、秋篠宮は84歳です。
その時に秋篠宮が国事行為を出来るほど元気であるかどうか
というのは保証できないのでは。
仮に84歳で即位したら、紀子妃は83歳?で皇后になりますけど・・・・・・・
となると、皇太子→悠仁親王へという流れが現実的かもしれません。
その場合、秋篠宮両殿下は「天皇の父と母」というだけで身位に
変化はありません。
ただ、江戸時代までの先例に従うなら、宮家から天皇が出た場合、
天皇自身の希望によって、父を「太政天皇」格として扱うという事はあります。
そうなると、太政天皇の后は皇太后になります。
「源氏物語」でいう所の朱雀帝に対し、父桐壺帝は『上皇」、産みの母である
弘徽殿の女御は大后(皇太后)
源氏の隠し子である冷泉帝の時に、帝は源氏に「準太政天皇」の位を授けました。
ただ、基本、皇后ではない「天皇の母」が必ずしも「皇太后」格になったわけでは
ありません。
従三位とか従一位とか・・・そういう「格」の上昇はあっても、名称として
「皇太后」と呼ばれるというのはあまり・・・側室が多かったからでしょうね。
なんにせよ、現在の皇室典範はがんじがらめに堅苦しく、あらゆる場合を
想定していないので、欠点も多く、例外が生じたときの融通性がありません。
なぜ、こんな風になったかというと、「政府にとって天皇家との繋がりが
プラスに働かない」という点ではないでしょうか。
明治政府が天皇の意を受けて宮家創設を認めたのは、「大元帥陛下」という
天皇の威光が必要だった事、皇族方を軍隊に入れて国民の手本としたかった事
など、理由はいろいろあります。
現在はどうでしょうか。
いわゆる「護憲天皇」「人権皇太子」・・・・左翼思想の強い天皇と皇太子の
存在は、安倍政権にとってはマイナスです。
大昔であれば、政権にとってマイナスな天皇や皇太子はとっくに廃されて
しかるべきなのですが、今は国家自体がマスコミの先導で左翼に向いており
一部の「擁護派」キャンペーンが恐ろしくて、保守派は手を出せない状態。
ただでさえ、集団的自衛権の行使という、あたりまえの法案に関して
歪曲されて広まっている現在、
「偏った思想を持つ天皇と皇太子は×」などとは言えないのです。
それをいいことに、左翼はマスコミを使って「天皇の権威」を利用しています。
すなわち
「今上は憲法9条を守ろうとしている」
「皇后は安倍政権が嫌い」
「皇太子の護憲発言」
でもさすがに「天皇」を連呼するとまずいと思っているのか、最近では
全てが「皇后のご意思」と言われる。
つまり皇后=天皇・・・・のようなもの。
このような報道をされているのは宮内庁も両陛下も知っている筈。
無論、皇太子も秋篠宮も知っていると思います。
だけど否定もしないし、諫めもしないというのが現状です。
話がそれましたが、
ゆえに、紀子妃殿下は「皇后」になれないし、「皇太后」にも
なれない・・・かも。
ぶっちゃけ
「天皇制なんてあろうがなかろうが日常生活に変わりはない」
「元号なんてなくなってもよくね?」
と政治家ですら思ってるってことです。
しかし、開闢以来、「クニ」として存在する限り天皇(大王)がいなかった
時代はなく、「大化」という元号がつけられた645年以来、元号がなかった
時代もないのです。
多分、元号がない時代でも何等かの呼び方はあったはずだし。
そういう世界に誇るべき「古きもの」があっさり消えた世の中がどうなるか
恐れもしないという事がおかしいのです。
ちなみに9月4日に行われる皇室会議の選挙というのは、
皇族の婚姻などを決める際に開かれる「皇室会議」メンバーを決める
選挙で、皇族は二人と決まっています。
現在は常陸宮両殿下が「議員」
予備議員(議員に何かあった時の予備)に秋篠宮殿下と三笠宮百合子妃。
徳仁親王は2003年の選挙で落選して以来、一度も議員にも予備議員にも
選出されておりません。
その選挙が4日にあるという事です。