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美智子さま81年の歩み4

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 顔は性格です。

  性格と名前を結びつければいいのです。

 (聖心女子大4年時、学生の名前を間違えないことを問われて)

 聖心女子大学外国語外国文学科に入学された美智子さまは、

  才色兼備を絵に描いたような優秀な女学生生活を送られている。

  入学の年にはクラスの福祉委員を務め、2年生の時にはクラスの副委員長に

  そして4年生になると大学自治会の全学委員長「プレジデント」に選ばれている。

 プレジデントの仕事は、学校側との連絡・折衝や学生間の問題の解決など

  様々、この任を務める為、美智子さまはアルバムを見て下級生の顔と名前を

  全て暗記し、誰にでも名前で語りかけられた。

  憧れのプレジデントに名前を呼ばれた後輩達は感激し、すっかりファンになって

  しまったという。

 クラブ活動も、合唱部、英語劇クラブ、そしてテニスと三足のわらじを履いて

  熱心に取り組まれた。

  テニスの腕前は、大学4年生の時には軽井沢で開催されたインターナショナル・

  トーナメントで、シングルス、ダブルス、男女混合ダブルス優勝という

  「三冠王」の快挙を成し遂げられたほど。

  関東の学生ランキングでも堂々の4位にランクインされている。

 学業成績もお世辞抜きに「抜群」で、成績優秀者に贈られるオーナー・スチューデント

 という表彰を4年連続で受賞されている。

 英語力は教授の折り紙つきで、英語劇では聖母マリアの役を好演。

 当時の成績表には、最高評価のAが多く、体育も前後期ともにAという優れた学生だった。

  当然のように主席での大学卒業となった美智子さま。

  卒業式では全卒業生を代表して謝辞を述べられている。

 非の打ちどころのないお嬢さんですよね。

  本当に。当時の聖心女子の偏差値がどうのとか言いません。とにかく学校一優秀だったと。

  だけど、成績優秀者である事が「お妃」の条件なんでしょうか?

  私達、小さい頃から皇室番組があるたび、美智子妃の「学業成績優秀」話は嫌という程

  聞かされてきたんですけど。

  歴代のお妃で、こんなに学業成績の事ばかり褒められたのは美智子妃が最初でしょう。

 もしプレジデントに選ばれた事や、劇でマリア役を演じたりすることが

  すでに「皇太子妃」への下地であったとするなら・・・・

  最初から「優秀ありき」だったのかもしれませんよね。

 美智子さまといえば「記憶力」

  皇室に入ってからも一度あった人の顔は絶対に忘れない・・・というのが特技で。

  それはそれで素晴らしいのですけど。

  そういう事は特技であって資質ではないと思うんですけど。

 

 わたくしが殿下を愛するようになったのは、

一人の人間として殿下が素晴らしい方だからであり

  皇太子だからではありません。

 (昭和33年、親しい記者への手紙で)

 度重なる長い電話お話しの間、

殿下はただの一度もご自身への苦情を

  お述べになったことはありませんでした。

  (プロポーズの電話について黒木東宮侍従長に)

 皇太子殿下は幸せだったと思います。

  孤独でった・・・というのは、いわゆる狭い一軒家に住む家族の様でなかったという

  だけの話。

  写真がかもしだす「親子の親しみ」はごまかせません。

  まあ、ちょっと甘やかされたんじゃないか?とは思うけど。

 皇太子=可哀想な立場・・・というのは美智子妃目線の独りよがりな考え方ですね。

  何で電話で自分の立場の苦情を言わないといけないのでしょう?

  「自由に外に出てデートも出来なくてごめんね」とか言われたかったのかな。

 縁談といえば嬉しいのが本当なのに

 なぜこんなにつらいことを

  いろいろ考えなければならないのかしら?

 (昭和33年 欧米旅行から帰国後)

 美智子さまは婚約発表の記者会見にドレス姿で臨んだのだが、

 この時の手袋が肘と手首の中間程の長さだったのを見とがめた一部の人々が

 「正装の手袋は肘を隠す長さでなければならない」と正田家、宮内庁にクレームの

 電話を寄せたのだ。

 実際には手袋は東宮御所が用意したもので、皇太子さまご自身も「あれでよい」と

 いうものだったのだが、

 「正田家はそんな作法も心得ないのか」とばかりに批判の声が広がった。

 美智子さまのおしるしにと皇后さまが選んだ候補に野菊が入っていたのだが、

 これに「平民(野)から皇室(菊)にやってきた嫁」との意味があるのでは・・・と

  ささやかれ、結局、皇太子さまが別途推薦した白樺に決まった。

 美智子さまは皇后さまの選んだ野菊がいいと主張したものの、最終的には

  皇太子さまの意見を立てて白樺に決められた、というのが真相なのだが、

  一部では嫁姑対立のように扇情的に取り上げられてしまった。

 どちらもまるで、ご結婚後の美智子さまの「苦難の道」を暗示するような、後味の悪い

  出来事になっている。

 

 「手袋事件」

 今まで色々語られてきましたが、今回出てきたのは

 ・ 皇太子自身が「あれでいい」と言った

 ・ 東宮御所が用意したものだった

ですね。でも昭和時代は

 ・ 三越などにも掛け合って長い手袋を探したけどなかった。

 ・ 宮内庁からはプロトコル上、おかしくないと言われた・・というもの。

 今更「皇太子がいいと言った」と付け加える必要がどこにあるんでしょう?

 そもそも男性の皇太子に女性のドレスの事なんかわかるんですか?

 今、あのドレスを見ると、確かに手袋の長さが短いと思います。

 というか、ドレスの袖が中途半端だったんじゃないかなあ

  手袋を買えないなら作ってしまえばよかったのに。宝塚歌劇団などには

  あったんじゃない?とかいっちゃって。

 婚約記者会見にドレスを着た・・・という事が勘に触ったんじゃないのかなあ。

  後々、紀子様は濃紺のワンピースに不釣り合いな手袋をしていましたが

  あれは後遺症だったんでしょうね。

 「野菊事件」も

 ・ 美智子さまは野菊でいいと言ったのに皇太子が変えた

 となってますが、昭和時代には

 ・ 思い出の軽井沢の白樺を強く要望

 となってますよね。そもそも「野菊」が嫌だと言ったのは美智子さんじゃなかったっけ?

 81年目に「ねつ造」されていく「事件」の数々。すごいなあと思います。


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