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韓国史劇風小説「天皇の母」48(フィクションだった)

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1989年の年明けは「天皇崩御」という重く辛く悲しい出来事で幕を開けた。

前年より病状が重くなっていた天皇。

毎日報道される「体温、血圧、下血状態」のおかげで民間には「自粛」ムードが

広がり、それをひきずったままお正月を迎えた。

松の内が明けた日に天皇は息を引き取った。

戦争や天皇制の変化等、激動の生き証人である天皇の死は国民に大きな衝撃を

与えた。

日頃、天皇の事など考える国民はいないだろう。

でも、いなくなった途端にその存在の重さを感じる・・・・それがまさに「天皇」だった。

亡くなったのが早朝だった為、東京の街は一斉に喪に服した。

銀座のデパートのショウウインドウは黒一色のマネキンに代わり、企業は仕事を

中断して半期を掲げ、多くの店は営業をやめた。静かな・・・静かな都会になった。

銀行などは閉まり「大行天皇の崩御を謹んでお悔やみ申し上げます」の張り紙が。

号外が出され、在位62年という歴代天皇で最も長く生きた天皇の業績を報じる

と共に新天皇のプロフィールが紹介される。

天皇の地位は一日たりとも空けてはならない。

ゆえに天皇が亡くなったその瞬間に、皇太子がその役を引き継ぐ事になるのだ。

真っ黒のローブモンタントに黒いベールを長くたらした美智子は民間出身の

初の「皇后」となった。

そして、ヒロノミヤは「皇太子」になったのだった。

2月24日はひどく冷たく寒く、東京に雪が降る日だった。

この日に新宿御苑で「大葬の礼」が行われた。

この件に関しても、民主主義になって初めての天皇の葬儀という事で

国家行事とすべきか私的な行事とすべきか等、国会でもめ、鳥居をくぐったら

「私的行事」というなんともお粗末な結果を出した。

これからみてもわかるように「民主主義時代」に即位する天皇には課題が山積み

だった。

その昔は「大元帥陛下」「国家元首」「現人神」だった天皇。

しかし「人間宣言」をして以来は「象徴」となった。

象徴とは何か・・・実は誰もそれを知る事はなかったnだ。

そもそも人を「象徴」という曖昧な存在に出来るのかどうか・・・・国家として

天皇制を認めつつもどこまで敬っていいのかわからない。

下手に触れれば右翼と勘違いされてしまう・・・そんな微妙な空気の中で新天皇は

誕生し、民間出身の皇后が誕生したのだった。

 

天皇にはわかっていた。

民主主義の中で皇室が、天皇制が生き続ける事は諸刃の剣であることを。

それゆえに天皇は「憲法遵守」を前面に押し出し、口調も現代風にあらため

「ですます」調で話す様に務め、極力「国民と紙一重の場所にいる」事を強調。

即位前の公務を全て引き受けつつ、天皇としての新たな公務も受け継ぐという

方式をとった。

それに理由があった。

長男である皇太子の頼りなさだ。

国民はわからなかったろう。ヒロノミヤだった頃の彼は、何事にも平等に接する

温和でご優秀な若者だった。

でも、一方では自分の欲望を常に常に心に押し隠すようにもって、それを通そうとする

頑固さがあるということを。

また「争いを好まない」性格といえば言葉が綺麗だが、面倒なことからは逃げたくなる。

問題の当事者になる事を極力嫌う性格であることも。

何より、この若者には「語彙」が少なすぎた。

適材適所に適当な台詞を言う・・・という能力がないのだ。

それはあまりにも「言葉」に拘る天皇・皇后が見るから厳しくなるのかもしれないが

ちょっとした失言が命取りになりかねない現状で、皇太子が言葉に無頓着というのは

危険すぎる。

その証拠に、「大葬の礼」後、外国要人をどうもてなすか、家族で話し合った時も

皇太子はにこにこ笑って聞いているだけで「あとはよろしく」と自分の部屋に戻って

しまったし、吹上御所い住まっている皇太后を見舞うように言っても

「わかりました」とだけ言い続けた事。

嫌だと思う事や不満は「返事だけして無」する癖がここにきて表面化しつつあった。

ヒロノミヤが小さい頃から何となく人の感情に乏しく、喜怒哀楽を示さない子だと

いう事はわかっていた。

時々出てくる空気読めない発言も身分ゆえの天然だと思われてきた。

でも、もう立場が変わったのだ。これからもそれでは困る。

 

葬儀から3ヵ月後、皇太子は突如「オワダマサコさんではダメですか」

と言い出し、宮内庁をびっくりさせた。

皇室の一番重い喪は3ヶ月。そして1年の後に即位の大礼がある。

現在、即位の大礼で最も身分が高いのは皇后。そして次が成人したばかりの

ノリノミヤになる。皇太子妃と筆頭宮妃がない状況だ。

それゆえに皇室としては一日も早く皇太子妃を決めてしまいたかった。

「即位の大礼」は一生に一度の大きな行事。皇族としては「大葬の礼」と同様の

重要な絶対経験の必要な行事だ。

それが1年後に迫っているのだから、何としても皇太子に結婚してもらって

皇太子妃が華を添える・・それが将来の皇后教育の一環と考えられていた。

宮内庁では、旧皇族、旧華族等にも声をかけて次から次へと妃候補を見つけて

くるのだが、どういうわけか候補に挙がるといなくなってしまう。

「やっぱりミチコ様の時のイジメ問題が・・・」とみな顔を暗くしたのだが

そんな折も折、皇太子の方から「オワダマサコさんではダメですか?」と

聞いてきたのだ。

「殿下、オワダさんはチッソの件がありますので」

「わかりました」

そんな風に会話をしても、また1週間後に「オワダさんじゃだめですか?」と来る。

皇太子は先週はなした事も覚えておられないのか?と東宮職は不安に思ったが

これは彼特有の「作戦」なのではないかと考えるようになった。

でもなぜ、そこまで彼女に固執するのだろうか。

オワダマサコが皇室向きではない事は誰もが知っている。

出自も性格も何もかも。

そもそも3代前が不肖で父の外交官は「機密費流用」疑惑のある極めて

グレーゾーンな男だ。

そんな家の娘がどうして皇太子妃になれるというのだろうか?

「そんな娘を皇太子妃にしたら筵旗が立つ」とある国会議員は言った。

しかし、ある方面からは今だにざわざわと「オワダマサコを皇太子妃に」という

静かなプッシュが続いていた。

それは外務省だ。

オワダヒサシはすでに次の手を考えていた。

 


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