何やら「あさか来た」で銀行の女子行員が「コンス」をしていたと。
で撮り溜めしておいたものを見ながらつらつら思った事を書いてみようと思います。
まず、件のコンスですが。
これですね。小さくてわからないけど。
袴姿の女子行員が肘を張って手を組んでいます。
この写真で見ると、あまり違和感がないかもしれませんが、実際に映像で見ると
「なるほどーー変っていっちゃ変かも」と思いました
韓ドラみない人の為に。
コンスっていうのは
こういうスタイルです このスタイルで頭を45度以上下げ続ける・・・・
韓国史劇を見ていると女官達はみんな、このスタイルで頭を下げています。
寒い外で・・・・見てるだけで寒いわ
この写真のトンイはただの女官ですから、頭飾りはこれだけ。かんざし無しです。
ちなみに皇后陛下のお姿
確かに「コンス」と言われても仕方ないのかなあ・・・・
まあ、確かに「コンス」かなあ。
いやーーでも。
こちら、有栖川宮慰子妃。この時代、ドレスを着ると必然的に扇を持つので
手がこんな風に組まれています。誰も似たような感じです。
見ようにようっては、っていえなくもないですよね。
私が気になったのは、女子行員のコンスもそうだけど、お辞儀の仕方です。
肘をはって両手を組んで頭を下げる時に膝をぐいっと曲げるんですよ。
千代ちゃんが京都へ行く時もそういうお辞儀をしてましたが、日本でそういうお辞儀を
するといえば芸者とか花魁くらいしか思いつきません。
むしろ、私にはあのお辞儀が
こういう風に見えました。
これは、漢族ないし満州族の女性のお辞儀の仕方で、両手を腰に持ってきて
膝を折るのです。
「万福礼」と言うんだそうですが。
私には女子行員たちと千代ちゃんのお辞儀に、こんな風になりかねない危うさを感じました。
それと気になったのがあさがかぶっていた帽子。
和歌山へ行った時のあさの帽子は皇后さまのような皿帽子でしたけど、当時、バッスルスタイルの
ドレスには大きな帽子が常識でした。
広岡浅子。帽子、つばひろで大きいですね。
新島八重
山川捨松。
正式な洋装になるほど、帽子が大きくなるというのは今もそのようですね。
でも、「あさが来た」ではあさちゃんは田舎へ行くから、ああいう喪服に帽子・・みたいな
格好でもよかったのかしら。それもこれも皇后陛下が「常識」になってるのは事実。
彼女がやってきたお辞儀の仕方や帽子が「日本のスタイル」になってしまったんですよね。
さて。
皇后陛下の肩を怒らせたケープと皿帽子が、かなり朝鮮風との指摘があります。
この帽子ねーーゴムまで見えるとますますそうだーーって言われてしまう。
こう見えるっていうんでしょう? 左、王妃様がしている髪飾りをとめている黒いリボンというかひも。
これは髪が真っ白になっても黒なんですよ。
肩飾りと龍のかんざしが王妃の証。日本ではそういう服装規定はありませんでした。
右のトンイは側室なのでかんざしが劣るし、肩かざりもありません。
チマチョゴリの中に手をすっぽり入れるので肘を張る必要があったのかなあとも思い。
日本の場合、後宮の女性はかんざしがないし、十二単の色も割合自由に使って。
顔を堂々とさらせば女房でしょうし、高貴な女性程御簾の中って感じですか?
皇后だから女御だからって区別はありませんでしたよね。
で、皇后陛下の帽子の話。
ご本人は朝鮮風のつもりはないと思います。
むしろ、心は・・・・・
絶対こっちだと思う。
ほら。
長いケープ。額を隠す帽子。私はエリザベート。19世紀末に生まれたかったーーって感じです。
本当は上記の花總まりのようなスタイルで歩きたいけど、さすがに今の時代
それは無理だから、自分なりにこんなスタイルにしちゃったんじゃないかと思います。
私だってあこがれちゃう。
肩からそでにかけての飾りとか。ちょこんと乗った帽子とかね。
ただこういうのも年齢があるんですよね。
参考にされるなら晩年のヴィクトリア女王あたりにしないと。
年齢にあわせた服装は大事。
晩年のエリザベート。確かに若々しいけど
坐骨神経痛で歩くのが大変だったらしいし。顔にけんが見えますよね。
こちら在位64年をお迎えになったエリザベス女王89歳。
ティアラもネックレスも健在です。
柔らかさがありますよね。
ところで
7日に修養団110周年式典に出席した皇太子妃。
この服装を見て、すぐに頭にうかんだのが
女性の方じゃないよ。男性の方。満州族の服にそっくり。特に帽子が。
なんだって雅子妃は中国風をお好みなんでしょうねーーー
まあ、似た者嫁姑って事でしょうか。