真相リポート
真の保守派が皇室に「NO」を突き付ける日
ブログがきっかけ
それは多分、一つの「ブログ」から始まった。
2014年10月14日から始まった「雅子さま大好き」というブログ。
ブログ主の名前はハーバー・ナス子という。
これは2014年10月に行われた千家典子さんの披露宴にお出ましになった
雅子妃の写真。
この写真には次のようなキャプションがつけられている。
「10/8の一枚。すてき。雅子様がいると場が華やぐね!主役は雅子様!
花嫁が「わたしより目立つなんて」と嫉妬してもしょうがない。
だって皇太子妃にかなうわけないもん」
一見、雅子妃を褒めているように見える言葉であるが、よくよく考えてみると
この時の主役は千家典子さんなのである。
皇室にそのようなしきたりがあるのかどうかわからないが
出雲大社の千家国麿氏と典子さんの披露宴に、主賓の一人である皇太子夫妻が
新郎新婦と一緒に登場している、民間では考えられない珍しい写真なのである。
典子さんは花嫁らしく白のレースドレス。
隣の雅子妃はロイヤルブルーの、胸から胴にかけて大きな花飾りがベルト状に
ついた圧倒的に派手なドレスだったのである。
主役である花嫁より目立つ主賓・・・・これを揶揄したものと言われている。
それから「雅子さま大好き」の快進撃が始まった。
私達が昔から見慣れている様々な皇族方の写真を並べて
キャプションをつけていくのだ。
例えば同じ2014年10月25日の記事。
「だから、「被災地を訪問したい人」は訪問すればいいんじゃない?
雅子様はご無理でしょ
御自分が大変なのに、
どうして他の人のことを慰められるなんて思うの?
無理するからこんな表情になっちゃう。
雅子様はスキーに行って、宴会だけ出てればいいんじゃないの?
心から被災者を慰めたい奉仕精神ゆたかな人達に、
こういう公務をぜんぶ任せて、雅子様はけして御無理をなさらぬよう。
させぬよう周りがもっともっと配慮すべき
気が乗らないことはせずに、したいことだけすればいいのが
適応障害だから。
申し上げておくがこれらの写真はブログ主のねつ造ではない。
実際にマスコミによって雑誌やネットに公開された写真である。
同じ写真を見るのでも、キャプションがつくと、違った目線で見る事が出来る。
ブログ主の「意図」は何か。
日本中の女性週刊誌のように、「雅子様」を褒めたたえているだけ・・・なのだ。
しかし。
このブログを読んだ一般の人達の感想は違った。
華やかな外交官の娘でハーバード大出、オックスフォード大に留学しつつ
外務省に入省、「将来は女性総理大臣かも」と言われた「キャリアウーマン」の鏡。
そんな彼女が「国家と結婚」を決意して皇室に入ったが為に
「適応障害」を引き起こし
日本中の女性の同情を集めた「お可哀想な雅子様」というイメージが
少しずつ変わって行ったのである。
もう10年以上も前、皇室を敬愛する保守派のブロガー達は
雅子妃殿下の「おふるまい」に関して疑問を呈してきた。
最初は雅子妃が香淳皇后(天皇陛下の母君)の葬儀を「夏バテのようなもの」で
欠席したことから始まり、皇太子妃の責務である祭祀を理由をつけては休み
赤十字の副総裁でありながら赤十字大会に姿を見せなくなったあたりから
「本当に皇太子妃としての役目を果たそうとお考えなのだろうか」という疑問符である。
重箱の隅をつつくようであるが、嫁が大姑の葬儀を「夏バテのようなもの」で休むことなど
民間では考えられない。
休んでもその後、どれだけひんしゅくを買うかわかっている。
しかし、雅子妃の場合、責められるどころかどこからも批判もひんしゅくもなかった。
さらに適応障害というわりにはディズニーランドで豪遊し、毎年の
ようにスキーへ行き、那須の御用邸で一か月近くも静養する・・・という生活が
皇族としてふさわしいものかどうかという点においても疑問符がついた。
当時は「皇室という旧弊な家に無理やり嫁がされた可哀想な雅子妃」への
同情心も強く、国民からみれば「常識外れ」な行動も、皇族であれば許されるもので
あると、胸にうずくわずかな疑問を封印してきた節がある。
何より、日本において「皇室」は不可侵の聖域であり、それをむやみに批判する事は
良心の呵責を覚える行為だと思われてきた。
しかし、「雅子さま大好き」に列挙されている(普通の)写真を見る事で
今まで「口に出すまい。思うまい」としてきた人達も少しずつ
「これはおかしいのではないか」と思い始める。
例えば
披露宴で新郎新婦と一緒に入場する皇太子夫妻。実は遅刻してきたのでは?
花嫁より目立つ主賓は許されるのか?
東日本大震災一か月後に皇太子夫妻は東宮御所で「お楽しみ会」を開き、
「愛子内親王の学校」「適応障害」を理由にほとんど被災地を訪問していない。
それなのにスキーへは行く・・・という事が許されるのだろうか。
等々。
最初はそれもこれも雅子妃一人が「わがまま」なだけ・・・という認識で
むしろ皇太子に対する同情の方が勝っていた。
ところが。
2004年5月10日に皇太子が発した「人格否定発言」によって
今度は皇太子自身への疑問符が生じる。
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の
人格を否定するような
動きがあったことも事実です」
この発言によって、悪者にされたのは両陛下、そして「皇室」そのものであった。
「素晴らしく優秀な雅子様のキャリアと人格を否定し、
適応障害にする皇室なんて
許せない。皇室は雅子様に謝れ」
こんな感じだ。
この時、多くの識者は皇太子に拍手を送り、一部の保守派が懸念を表したけれど
相手にされなかった。
今、よくよく考えてみると、まさにその事の方が「異常」である。
一人の将来有望なキャリアウーマンを適応障害にしてしまう皇室などという
言い方があるだろうか。
つまりそれは、「妃」という立場の否定である。
男系男子でつないできた皇室では、どんな時も「天皇」が一番身位が高い。
妃・后はあくまでもその次であり、一歩控える立場である。
その事が「女性のキャリアと人格」を侵害したというのである。
皇太子よりも、皇后よりも、天皇よりも学歴が高く、知性にあふれた女性である
雅子妃は、いかんなくその実力を発揮すべく皇室に入ったのに
常に一歩控える事を要求され、誰も彼女の実力や語学力や知識を認めようと
しなかった。
その事に傷ついた雅子妃は「適応障害」になって公務に出られなくなった・・・・のだと。
さらに極めつけは「世継ぎを産むことを強要されたが為」に、せっかくの語学力や
知識を・・・・(略)
ゆえに公務に出られない程傷ついたというのである。
最近も、どこかの中学校の校長が
「日本の少子化を止める為には女性が2人以上子供を産むことが必要。
子供を産んで育てる事はキャリアを積む以上に大切な事」と
発言した為に、教育委員会に通報され、さらに処分が検討されているという。
今の日本において女性に「子供を産んで下さい」というのはセクシャルハラスメントである
ようだ。
しかし、2000年以上もの間、男系男子でつないできた皇室で
子供が生まれないというのは大きな問題なのである。
子供が生まれない → 人口減少 → 国家存亡の危機 である。
移民による「国籍だけ日本人」を増やせばいいという問題ではない。
皇室の危機はすなわち日本の危機でもある。
皇太子の「人格否定発言」は、公の場で
「皇太子の妻、将来の天皇の妻が自己実現出来ない皇室には
(子供を産むことを強要されるのは)意味がない」
と言ったのと同様である。
さらに言うなら
「女性がキャリアを積む事は子供を産む以上に意義のある事」と言っている
ようなもの。
これセクハラといわないのだろうか。
女性が本来持っている機能を有効に活用せず、女性の男性化ばかり
「是」とする世の中に未来はあるだろうか。
話は戻る。
この「人格否定発言」により、保守ブロガーの間で皇太子の評判はすっかり
地に落ちてしまった。
国家と国民の安泰を一番に祈るべき皇太子が妻のご機嫌をとる事を
優先し、公の場で自分の両親や国民さえも責めるような発言をしてしまったからだ。
それでも、この頃はまだ「あのような息子と嫁を持つ両陛下がお可哀想」
という意見も多かったのである。