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ふぶきの裏磐梯日記  1

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 ただいまーー5月になりました

今月は14日に入院し、15日に手術予定。退院は23日か24日あたり?

色々準備するものもあり、緊張してきます。

手術前には宝塚を見てーー とか、考えて。

ブログを留守にしますが、皆様、見捨てないでねーーー

 

 ふぶきの裏磐梯日記 1 

4月28日から31日まで郡山宮夫妻と裏磐梯に行ってまいりました。

関東は桜も散ってつつじが咲く時期だというのに、郡山は今が満開の桜。

裏磐梯にいたっては雪柳の芽が出てふきのとうが一杯状態で、とてもとても

桜なんて・・・・・大体雪が残ってるし

それでも山の空気になれちゃうと下界が息苦しく感じる今日この頃です。

私ってつくづく山ガールなんだわあ

 

 震災1年後の郡山

駅周辺といい、郊外といい、色々新しい建物が出来て一見「復興」している

ように見えます。近所もさら地が増えて、そこに新しい建物が。

それがいいのか悪いのかはわかりませんが。

姑いわく「地元の野菜は放射能が心配で食べられない。私も去年はウメを漬けて

すごくいい色になったけどやっぱり心配。公民館で放射能を計ってくれるけど

1キロもってこいって言われたから諦めた・・・そんなに作ってないし、第一

年寄りに1キロ運べるわけじゃないじゃないの」

確かにそうだわ・・・・

開成山の向かいにある総合体育館の割れた窓には板が貼ってあります。

体育館もやがて取り壊されるのかしら?なんて思っているんですが

瓦屋根の家はトタンに生まれ変わってますけど、やっぱりちょっと不恰好。

貧富の差がはっきり見えちゃう街に変わりつつあるのかもね。

 

 土津神社

磐梯山に裏表があるのはしってますが、いつもは表側からしか見た事ないし

裏側の歴史などにもあまり興味がなかったのですが、今回の旅では色々

勉強になったなあ・・・・と思いました。

これが土津神社の正面です。

「はにつ」と呼びます。3代将軍家光の弟、保科正之は会津藩の藩祖。

4代将軍の後見役を務めたり、会津の教育や産業の基礎を築いた・・

一言でいうと「馬鹿正直で生真面目すぎる」お人柄

ゆえに藩祖でありながら今まであまり大事にされず、この神社も観光スポットとしては

今一つの雰囲気

なんせ会津といえば「戊辰戦争・白虎隊・松平容保・新撰組・・・」なわけで

そんな会津市街から随分離れた場所にあるこの神社は観光客もまばら・・・・

保科公は大変な神道信者だったらしく、霊号も授けられ、それが「土津(はにつ)

なんですね。

元は荘厳・壮麗だったらしい社殿なども今は大きさばかり目立つ地味な建物。

その回りを保科家の子供達と重臣のほこらがぐるりと取り囲んでいます。

結局、戊辰戦争で全部焼かれて再建するも元通りには出来なかったという事ですね。

庭のすみには官軍の砲弾らしきものが埋まってました。

これは小泉純一郎氏お手植えの松です。

これが保科正之公のお墓。墓っていうか墳墓ですよね。

作られた当時、沢山の杉の木が植林されたのですが、当時は猪苗代湖が見えた

といいますが、今は鬱蒼とした杉林の中にこじんまりとひっそりとあります。

ひっそりとしているけど、荘厳というか質実剛健というか・・ちょっと身のひきしまる

思いがします。両陛下がイメージしているのもこんな感じなのかしら?

さて、杉の木の林なので花粉症の人は近寄れません

我が家のジュニアは目が真っ赤になりくしゃみも止まらず・・・・

 

現在、「保科正之のドラマ化を推進する為の署名運動」用紙が社殿にあり、

しっかりと署名してきました。

自分の業績などを焼き捨てて死んじゃった生真面目すぎる保科公・・・でも

そろそろ見直されてもいい頃じゃないかと。

 

そして驚いたのは、磐梯山が噴火した時、石がここまで飛んで来た事。

今まで山が噴火したことは知っていたけど、それについて考えた事はなかった

と思います。

そもそも日本における赤十字運動のきっかけは磐梯山噴火の救助活動だった

そうですね・・・・今回、裏側から見て大きくえぐれている山をじっくりと見つめ

いかに噴火が大きかったかよくわかりました。

それにしてもうちの子供たちは、歴史に興味ないのはわかったけどもうちょっと

「ふうん」とか「へえ」とか頷いてもいいんじゃないか?

あっさりと「それ知らない」って言われるとすごく頭に来るんだよねーー

 

 

 


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