講演会は19日です。
きっと楽しいと思います。
3日に病室で再開した大和パパが謝ると
大和 「許すよ。お父さんが優しいから許す」
このセリフ聞いて、素直に「助かってよかった。悪いのは親。
ばしっ!なんてありえない」って思う?
「山に置き去り」→悪いこと
だけど、その原因を作ったのは誰なんだ?って話でしょう?
親の供述が本当なら、車や人に石を投げた、注意しても止めなかった大和君が
一番悪いのでは?
しかも、置き去りにされて「車をおいかけようとしたけど、たまたま別方向へ
行ってしまった」なんて不自然極まりないお話し。
そして「お父さんを許す」言葉。
世間的には「大和君が助かってよかった」だけど、本人の心の中は
「自分は悪くない。悪いのは親」って事でおさまったわけですよね。
本当に置き去りだったのか?
今もってわからない。
親がここまで低姿勢にならざるを得ないような状態になってしまった事が問題。
今後、この両親は息子に何も言えなくなります。
二言目には「置き去りにされた」事を持ち出されてコントロールがきかなく
なるでしょうね。
「親の言う事をきかず、人や車に害を与えようとした行為」は不問にふされてしまった。
「しつけ」ってなんでしょうか。
なんでもかんでも「虐待」っていう世間がどうかと思います。
なんでもかんでも「言葉を尽くせば」いいというのは理想論であって
実際の子供には通用しない現実があるんですけど。
今年の流行語は「道義的責任」になるんじゃないか?って勝手に思います。
それはつまりどういう事かというと。
法的責任はないが道義的責任はある・・・という話ですね。
舛添都知事の一連の事は「法的には問題がない」だけど
道義的責任がある。
人の感情を逆なでするって事です。
「TVタックル」でやってましたが、生活保護受給者にパチンコを禁止した
都市が、意見が真っ二つにわれて大変なんだとか。
「生活保護受給者にもパチンコをする権利がある」と考えるか
「国からお金を貰っている以上、自立する支えにしろ」とか
意見は正反対。
そこで「感情論で言ってはいけない」という意見が出ましたが
感情論になるのは当然じゃないんでしょうか?
生活保護費を何に使おうと法的には構わないわけで。
それは内廷費もそうですね。
道義的に静養ばかりして仕事をしない皇族はいかがなものかと思う。
大学院にいって留学までしておきながら就職せず、一体何をしているのか
不明な女王はどうかと思う。
あくせく働く庶民の税金で成り立っている生活保護と内廷・皇族費。
舛添都知事を責めるなら、これらの皇族も責めなくてはなりますまい。