日本人って愛情表現が苦手な民族でもあるのかなと思います。
特に「草食男子」だとか「肉食系女子」だとかいう言葉が囁かれ、
世の中の多くの男子が2次元の世界に「愛」とか「欲望」を見出すようになるし
そもそも日本人って甘い言葉やプレゼントが苦手だし
だから、直接話法な表現がいいとばかりも言えないんです。
でも、ロイヤルファミリーに期待するものというのは、やっぱり「温かさ」や
「父母」のイメージですよね。
とはいえ、近代の皇室において「仲睦まじい父母・祖父母と子・孫」の姿を写真等で見る事は
ありませんでしたよね?
ただ、エピソードとして、例えば
明治天皇は皇太子・嘉仁親王の為に学友選定から教える学科まで全部自分で決めた
嘉仁親王は昭憲皇太后を実の母と信じていたので、事実を知った時にはショックを受けた
とか・・・そんな感じでしょうか。
父天皇の前では萎縮してしまう嘉仁親王ではありましたが、多分、見えない父君の
愛情は受け取っていたと思いますし、皇后からも特に愛されたのではないかと思います。
その証拠に大正天皇は非常に子煩悩な一面もありました。
あまりにも有名なこの一枚。
小さな息子達の手をひく大正天皇です。
彼は新し物好きでもありました。きっと皇后との間にこんな会話があったでしょう。
天皇 「欧州にはクリスマスという風習があるそうだよ」
皇后 「なんでしょう?」
天皇 「耶蘇の神の生誕を祝う祭で12月25日に祈りを捧げて、贈り物を交換するとか」
皇后 「まあ珍しい事ですね」
天皇 「英国の女王はモミの木を飾って、木の下に家族への贈り物を置くとか。
元々は独国の風習だったらしいがね。クリスマスには菓子を焼いたり
七面鳥を食べたりするんだそうだ」
皇后 「そうですか。華やかな風趣ですわ」
天皇 「そこでね。我々もやろうじゃないかね」
皇后 「え?お上、皇室は耶蘇の神とは関係ございませんが」
天皇 「知っているよ。でも子供達に贈り物をしたいじゃないか。そこの部分だけ
真似してみよう。廸宮には何がいいかな。淳宮は・・・」
皇后 「外国の風習をみだりに取り入れるのはいかがでしょう」
天皇 「楽しいからいいじゃないか。そうそう節ちゃんは何がいい?指輪かい?」
皇后 「私は何も・・・・」
天皇 「私は襟巻がいいなあ。そうだ。子供達にはお揃いの襟巻にしようか」
こんな感じです。あくまで想像ですが。
でも大正天皇がクリスマス好きだったのは事実のようですので。
当時としては、現人神がお子様の手を繋いでいるだけでも十分に「くだけた」
写真だったでしょうね。
こちらは昭和天皇・香淳皇后と照宮様。
まだ初々しい香淳皇后のお召し物はアール・デコ調。昭和天皇もなんとなく
新米のお父様風ですよね。
1930年ごろの香淳皇后と照宮様。照宮様がお召なのは御地赤とみられますが
これってヤフオクに出されたあれ?
普通に寄り添ってお立ちになっているお二人ですが、距離感が・・微笑ましいですよね。
1933年頃。
ここまでくると完全な「母君様」
何ともいえないふくよかさが漂ってきます。
1943年。清宮様の着袴の儀。香淳皇后のお召し物は照宮様の頃と同じもの。
寸法を直していますね。でもアクセサリーは同じよう。
1945年の食卓。常陸宮殿下の笑顔を見てください。
1946年ごろ。どうしてこういう写真を撮影されたかと言えば、
多分にGHQの指示もあったと思うんです。
要するに現人神ではない「普通のご一家」としての顔を見せようという事ですね。
そのお蔭で私達はこんな自然体の昭和天皇ご一家を見る事が出来るのですが。
1946年。当時、小金井にあった学習院に授業参観に来られた香淳皇后。
思春期を迎えた皇太子は母君と並ばず、前を歩く?常陸宮様はまだ真横を歩く。
こうしてみるとさっさか歩く皇太子に「ちょっとお待ちなさい」とでもおっしゃってるみたい。
お里帰りしてきた東久邇成子さんのご家族と。
序列もへったくれもないですよね。
香淳皇后が抱いているのは東久邇家のお孫さん。