まろさまさま、コメントありがとうございます。
全身全霊で祭祀が行えなくなったから譲位したいというのはまっとうな考えではないでしょうか?
昭和天皇は74歳の時、祭祀の最中に倒れておしまいになりました。
今上は平成20年、75歳で祭祀を減らすことに同意しました。2
009年から祭祀を減らし2010年に譲位の意向ということで、ピタリと符合するのです。
昭和天皇74歳といえば、アメリカ訪問の年です。
つまり宮中祭祀はアメリカ訪問よりも老いた心身に負担をかけるのです。
しかも年老いて手元足元が危うい状態で祭祀を行っても却って神様に失礼という考えもあるわけです。
更に、摂政は天皇ではないので、祭祀を正しく行うことができません。
私はこう考えるので「なぜ譲位なのか?摂政でもいいのに」という人は、
いろんな意味で祭祀の伝統を軽んじているのではないかという気がしてしまうのです。
なるほどなと思ったり。
でも私が思うに今上は「全身全霊で祭祀が出来ないから譲位」したいわけでは
ないと思うんです。
祭祀なら皇后ともどもリタイアしつつあることは、皇室ウイークリーを見て頂ければわかると思います。
問題なのは「天皇」という存在を「職業」としてとらえることではありませんか?
「天皇としての仕事が出来ない人は天皇でいる事はない」
っていう・・・じゃあ、その天皇の仕事とは何だ?というとき、今上の中でそれは
・手順を間違えずに行う事(祭祀じゃなくて式典)
・地方や被災地、外国訪問が難しくなること
の二つですね。
摂政だと祭祀軽視というのは違うのではないかと思います。
そもそも今のままで皇太子が摂政になっても、余計に祭祀が出来ないだけです。
次世代の天皇と皇后が祭祀をほとんどしない事がいい事ですか。
今回のベルギー国王夫妻の来日ではっきりしましたが、確かに今上と皇后が
二人そろっても全然「皇室外交」になってない事がわかりました。
むしろ「老害」を世界に発信してしまった事が恥ずかしいです。
ただ、大昔から「譲位」というのは、天皇が政府のやり方に「NO」を突き付ける
唯一の手段なんです。あるいは、自ら即位させたい子供に即位させる手段。
昔ならともかく、今は天皇がそこまで意思表示してもいい時代ではありません。
それなのに「強いお気持ち」という言葉で圧力をかける存在になっている事が
許せないのです。
黙っていたってあと10年か20年と考え、皇太子が即位するのは順番通り。
それをあえてわざわざ「今」にする必要性がどこにあるでしょうか?
八百万の神というのは天皇が手順を間違えずにするとか、置いた体で
どうのこうので文句をおっしゃる存在ではないと思います。
むしろ、祭祀を軽視し興味のない皇太子夫妻への譲位を望む事こそが
神への不敬なのではありませんか?