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平成29年歌会始め

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さあ、今年も深読み歌会始めいきまーーす。

皇太子は「体調に考慮」して欠席でした。

でも昨日は皇居の夕食会に出席し、車の窓を開けて挨拶してたのにね。

当たり前の事ですが歌会始めでは両陛下の歌は2回披講さるし、全員起立です。

皇后の席にいない人の歌をこのようにかしこまって承るなんて考えたくないですね。

御製

邯鄲の鳴く音聞かむと那須の野に集ひし夜をなつかしみ思ふ

 那須の御用邸では動植物調査が行われており、その人達と一緒に邯鄲の鳴く声を聴いた思い出。

「邯鄲」って何?と思ったのですが、寒い所にいるバッタの仲間で8月下旬ころから「ルルルル」と鳴くらしいです。

「邯鄲」の名前の由来は中国の地名から来ていて、故事にならったもの。

「邯鄲の夢」が最も有名で、栄枯盛衰を意味しているらしい。

那須の野に集った時の鳴き声をあえて「邯鄲」にしたのは意味があると思えば、要するに

 「あの那須で専門家らと一緒に野鳥について色々話し合っていたころがもっともいい時代だったなあ」と

読む事も出来るし、「邯鄲」が虫である事、その虫についてもっとも詳しいのは悠仁殿下なので、

「これは邯鄲というんです。おじじさま」などと孫が親しくしてくれた・・・そのころが懐かしいなあ。とも読めます。

いずれにせよ、今より昔がよかったなあ・・・・という歌のようですね。決して「皇太子一家といてよかった」という歌ではない事は確かですが。

 

御歌

土筆摘み野蒜引きてさながらに野にあるごとくここに住み来し

 御所に住みながらあたかも野に暮らしてきたかのような今までの生活を振り返っている

 はっきり言って、この歌を聞いた時思ったのは

 「一体、どこのマリー・アントワネットやねん!」という事です

 マリーアントワネットは豪華なベルサイユ宮殿に住みつつも、別にプチ・トリアノンを作って、そこにいる時だけは農婦のような恰好をし、回りの人達にも本物の農業をさせて楽しんだ。つまり「都会にいながら野にいるかのごとく住む」というめちゃくちゃ贅沢な事なんですよね。

 春には土筆つみ、秋にはぎんなん拾い「これをごはんにいたしましょう」などと散歩しながらおっしゃる。

 (こんな映像ありましたよねーー)こんなにも自然が豊かな都会のど真ん中で暮らしてるうちに半世紀以上が

 過ぎてしまったわーーという何だかめちゃくちゃ自慢に聞こえて好きじゃないです。

 

皇太子

岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく

 9年前、山梨の笠取山に上った時に東京の水となる山の源流。その一滴一滴に思いをはせた歌

 「したたり落つる山の水」=自分

  「大河」=天皇

  「野」=皇居

 いよいよ自分の時代が来るなあ・・・・・としか読めない歌です。

  しかしながら「したたり落ちていた」山の水が大河どこか暴れ水となって野(街や村)を破壊する事も多々あるわけで。

それを考えるとぞぞっとしますよね。

 

雅子妃

那須の野を親子三人で歩みつつ吾子に教ふる秋の花の名

 那須の御用邸の敷地内を散策している時、丘に咲いていたのはマツムシソウ、メバチソウ、女郎花などの花の名前を愛子内親王に教えた・・・

 思わず「そんなわけないじゃん!」と思ってしまう歌なんですが、この歌のキーは「親子三人」にあるように感じられます。

  つまり雅子妃の中の「家族」は勿論、世界観が「親子三人」しかないって事です。

 この視野の狭さ、53歳の女性にしてはありえないですよね。

 しかも「吾子」=愛子内親王なわけですが、内親王ってもう15歳なわけで「吾子」って歳でもないし、いつまでも自らが教える立場でもない。

 これが「吾子に教わる秋の花草」とかいうなら、「ああ、内親王も成長したのね」と読めますけど、雅子妃の中では愛子内親王はいまも幼稚園くらいにしか映っていないのでしょうね。

秋篠宮文仁親王(皇族代表披講)

山腹の野に放たれし野鶏らは新たな暮らしを求め飛び行く

 タイへ行った時に赤色野鶏が放たれた時の様子を歌ったもの・・・

野鶏=皇太子一家OR秋篠宮家で解釈が違ってきます。

もしこれがご自分達の事であれ、数年後には自分達は野に放たれて(臣籍降下して)あらたな生活を切り開く・・・とも読めるし、あるいは「皇太子一家」として新たな生活をしていくとも読める。その覚悟ともいえる。

これが皇太子一家をを指すなら、「皇太子一家が自由に天皇家としてやりたい放題をやるだろう」とも受け取れるわけですね。

 秋篠宮家としては「新たな暮らし求め飛び行きたい」んだろうなあ・・・・と思ってしまうのですが。

 

紀子妃殿下

霧の立つ野辺山のあさ高原の野菜畑に人ら勤しむ

 ご家族で長野県の野辺山を訪れた時、冷涼な気候をいかして様々な野菜が栽培されている。

早朝から働く人たちの姿を詠んだ歌です。

 野鶏が飛び去った先が長野県の野辺山で、野菜好きな悠仁殿下と一緒に一緒に働くーーなんて絶望的な事をお考えにならないでーーと思うばかりです。

 

眞子内親王

野間馬の小さき姿愛らしく蜜柑運びし歴史を思ふ

 15歳の頃でしたか?初めての公務は野馬馬にエサをあげることでした。その野馬馬は昔、力持ちだったのでミカンを運ぶお仕事をしていたらしい・・・という歌

 野馬馬は今や希少種でございますし、眞子さまと野馬馬は深い関係がございますし。ほっこりするお歌です。

 野馬馬の歴史=皇室の歴史にあてはめれば「かつて皇室とはこうであったものを」とも読めますよね。

 

佳子内親王

春の野にしろつめ草を摘みながら友と作りし花の冠

 小学生の頃、お庭でお友達と一緒にシロツメグサで冠を作って遊んだわーーという歌。

  コノハナサクヤヒメにふさわしい、明るくて春の姫君風の歌ですよね。

  このまま百人一首に入れても違和感ないんじゃないの?

 ♪ 春の野に――♪ 「花の冠っばしっ!」的な。

 眞子内親王・佳子内親王の歌を見ると、お二人で役割分担しているんだなあ。と、仲のよさを感じます。

 

華子妃殿下

野を越えて山道のぼり見はるかす那須野ヶ原に霞たなびく

 単純に読むと、頑張って山道を登って頂上についたら下界に霞がたなびいていた・・・・という歌ですが

  今年は天皇陛下も雅子妃も「那須」をを入れているわけで。

  って事は「那須野ヶ原」=両陛下と皇太子一家とみれば、霞がかかってよくみえないわーーとも

  受け取れますよね。

 

深読みするとほんと面白い。

とはいえ、職場の同僚は「お客がこない時に歌会始めが始まってじーーとテレビの画面を見てたら、歌を詠む声につい笑ってしまいました」と言ってまして。

そりゃそうよねーーと。

「夏野菜がなんとか・・ってのは聞こえました」と言われましたが

夏野菜今しか出せない色がある僕には出せない茄子の紫

ですね。これって何が言いたいのかちょっとわからなかったです。

女の子が歌っているのになんで「僕」なんだろうと思ったりして。

 

野原ならまつすぐ走つてゆけるのに満員電車で見つけた背中

 これはわかるわかるっ!って感じです。

友の手をとりてマニキュア塗る時に越後平野に降る雪静か

 これは北国に住む人なら一度は経験する風景で、あまりに懐かしくてねえ。

  マニキュアとは限らないし越後平野でもないけど、ストーブがついてる部屋、しゅんしゅんと湯気を出す薬缶

 紅茶などを飲みながら窓の外の雪景色を見ながら友と語らう・・・いいよね。

積み上げし瓦礫の丘に草むして一雨ごとに野に還りゆく

 これが一番感動した歌です。

  震災がれきが時の流れとともに風化していくさまですね。

  

 


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