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57歳の皇太子殿下に言いたい!娘を守れ! 1

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 皇太子57歳誕生日記者会見 

 陛下のお気持ちをどう受け止めたか

昨年8月8日の天皇陛下のおことばを,私は,愛知県での公務を終えた後の名古屋駅で厳粛な思いで伺いました。

 「厳粛な思い」はいらん とってつけたような言葉で飾るなっ偉そうに。

天皇陛下のお考えをいつ,どのような形でお聞きしたか,というお尋ねについては,何か特別な場でそういったお話があったというわけではありませんし,私自身は折に触れて陛下のお考えを直接お聞かせいただいたり,あるいは,そのお姿やお話しぶりから推し量ることもございましたので,明確にいつどの機会にどういった形でということを申し上げるのは難しいと思います。

 え?気持ちをきちんと伝えて貰えなかったの?あらあら・・聞いてなかったんじゃないの?

 秋篠宮殿下はこういう事があると予測していたようですけどね。

天皇陛下には,御即位以来,長年にわたり象徴天皇としてのお務めを果たされる中で,そのあるべき姿について真摯に模索してこられました。

 「真摯に模索」はいらん 自分が目上になったおつもりか?

今回のお考えは,そうした模索と熟慮の結果を踏まえ,また,内閣を始め主な関係者とも御相談なさった上で,おまとめになられたものであろうと思います。

 陛下の誕生日記者会見を丸写し「内閣を始め・・・・」

思い返しますと,私が初めて両陛下の御公務に御一緒させていただいたのは,恐らく,私が4歳で,陛下が皇太子でいらっしゃった昭和39年の東京オリンピックではなかったかと思います。

それ以来,ボーイスカウトのジャンボリー,高校総合体育大会,冬季スケート国体など,そういった行事にお連れいただきましたが,その度に,両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ,真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりました。

ですので,今回,陛下がおことばの中で「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないか」と御案じになられていることに,とても心を揺さぶられましたが,同時に陛下のお気持ちがそこに至った背景につきましては十分お察し申し上げていると思います。

 「4歳の時から公務に同行するすごいボク」

  「真摯に取り組まれ」はいらん!偉そうにいうな!

  「お察し」したのならなぜ自分が変わって差し上げようと思わなかったんですか?妻は好き勝手に公務を休んだりドタ出したり。自分が「皇太子」として何をして来たかが問題なのではありませんか?

私といたしましては,陛下のお考えを真摯に重く受け止めますとともに,今後私自身が活動していくのに当たって,常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたいと思います。

 「活動」って何?まるで皇太子の仕事はNPO法人みたいに聞こえるけど。

 「心にとどめつつ」だけでは行動にならないのではありませんかね?

また,両陛下の御健康を御案じ申し上げつつ,両陛下には,お身体をお大切になさり,末永くお元気でいらっしゃることを心から願っております。そ

れとともに,これからは,御自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないかと思っています。

 「自分の為に使う時間」・・・・それをあなたがいうんですか?常に「自分の時間」だらけのボンクラ長男にそういわれても親はちっとも安心できないんだよっ

 

 象徴天皇に対する考え方と雅子妃の現状

象徴天皇については,陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこれまで何度かお話ししたように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら,国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

 あまりにも抽象的で全く意味がわかりません。

 歴代の天皇が歩んできた歴史と近代の天皇が歩んできた道は多少違います。ただ一つ、同じものがあるとしたら「鎮護国家」を祈る存在である事です。

 「国民と苦楽を共にする」って皇太子の口からこぼれると、嘘にしか思えません。全く表面的な言葉である事がわかります。

陛下は,おことばの中で「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。

私も,阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には,雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ,被災された方々から直接,大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。

とても心の痛むことでしたが,少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。

また,ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが,そうした機会を通じ,直接国民と接することの大切さを実感しております。

 阪神淡路大震災の時は中近東でラクダレースに大笑いしてたでしょ?

    「震災があったので死海を見る事が出来なかった」と発言したのは?

   なかなか被災地に行かないので、来日したダイアナ妃ですら遠慮してしまったという

  東日本大震災の時は一月後に東宮御所で「お楽しみ会」をやったっけね

  早く被災地入りをしなさいと回りにせっつかれても「雅子と一緒でなくちゃ」「愛子の学校が」といいわけばかりしてなかなかいかなかった事は?

その後も、日帰りで午後に行って夕方帰るものばかり。津波映像を「2度」みて「おおーっ」と声をあげた事はどうなる?

 中越地震の時は隣の県で静養を続けたし、熊本地震の見舞いには行ってないし。

  事実をこれだけ列挙されても堂々と言える皇太子ってどんだけ嘘つきなの?

このような考えは,都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。

昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉(きん)や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般(はん)若(にや)心(しん)経(ぎよう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。

紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般(はん)若(にや)心(しん)経(ぎよう)は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが,そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。

災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。

私が,この後奈良天皇の宸翰(しんかん)を拝見したのは,8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが,図らずも,2日続けて,天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。

 後なら天皇の宸翰を見るまで何を考えていたのやら?

 「続ける」も何も最初から何もしてないからっ

私がここ10年ほど関わっている「水」問題については,水は人々の生活にとって不可欠なものであると同時に洪水などの災害をもたらすものです。

このように,「水」を切り口として,国民生活の安定,発展,豊かさや防災などに考えを巡らせていくこともできると思います。

私としては,今後とも,国民の幸せや,世界各地の人々の生活向上を願っていく上での,一つの軸として,「水」問題への取組を大切にしていければと思っております。

また,私のこうした思いについては,日頃から雅子とも話をしてきており,将来の務めについても話し合っていきたいと考えております。

 はいはい。大好きな水問題ですね。これがあなたの最後の砦。プライドなんでしょう。

 今更雅子妃と何を話し合うんだか?妻は聞いてないけどね。


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