今年はたまたま土曜日でしたから、各地で黙とうの様子も流れたと思います。私が勤める役所では、毎年黙とうと半期を掲げる通知が来ますが、結果的に仕事が優先で黙とうもなにもありません。
7回忌の今年はそういう意味では特別であったと思います。
首都圏であっても全ての役所で黙とうをすべきと私は思います。
秋篠宮両殿下が追悼式に出席されました。和服でなくてよかった。
なぜ「文仁親王」と呼ばれるのか・・・それが普通です。
歌会始では文仁親王と呼ばれますね。宮号より名前が優先なのでは。
<!-- 文仁親王 -->
お言葉全文
「6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。
東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。
様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします」
ありがたい事です。
このお二人が「両陛下」だったら日本の未来はどんなに明るかったことか。
我が家の姫ですらそう言いました。
両殿下の「皇族」としておふるまいに感動いたしました。
皇后のような和服でなかった事に、「やっぱり皇后陛下のおふるまいはただしくないのだ」と確信しました。
初々しい未来の両陛下・・・・はからずも涙です。
あの時、首都圏にいたばかりに本来は故郷で経験する筈の震災を免れた事は心の重荷です。
幸い、仙台の我が家は無事で、だから高く売る事が出来ました。
でも、友人が半年以上経験した生活の困難に対し、何の助けも出来なくて本当に悔しかったです。
明日は我が身と思いつつ。それでも日々の忙しさのゆえに怠ってしまう災害への備え。
肝に銘じねばと思います。