一口に「世界遺産登録」バンザイって今まではとらえてきたのですけど、今回の沖ノ島の件ではっきりしました。
ユネスコというのはもしかして、日本というものの解体をもくろんでいるのではないか?
神聖な沖ノ島の神々を引き裂くような事をしてまで得るべきタイトルではないでしょう?
速やかにご辞退すべきと思います。
最近は、神社へ行くのがブームになっており、日本人の心にある「神」がまだ消えてない事に安堵していますが、一方で、大きな神社、有名な神社ばかりが取り上げられて、表面的なご利益ばかり得たい人達も増えている気がします。
今更考古学をやるとは言わないけど、やっぱり伊勢や出雲以外にも重要な神様は沢山いらっしゃるし、それらを大事にしないとアイデンティテイが失われるのではないですか?
東アジアの中で、なぜ日本だけが独立して平和な国を築いて来る事が出来たのかをもう一度考えなくてはなりません。
そして全ての神々を祀る大元に「天皇」があるという事も忘れてはいけない事で、秋篠宮家は常に祭祀を大事にされ、数々の神社を回っておられます。
被災地へ行く事や、コンサートへ行く事が「活動的な公務」ではない事を国民が知らないと。
知った上で両陛下に教えて差し上げないといけないのでは?
何度もしつこく書きますが、今日初めて「ふぶきの部屋」を見る人もいるでしょうから、あえて同じことを書きますよ。
皇室にとって「内廷皇族」と「内廷外皇族」では扱いに大きな差が出ます。
それ上記の高清水さんの説明にお任せしますが、単純にいうと
内廷皇族は食費・光熱費・交通費・医療費全部無料
内廷皇族は御用邸を使える(御料牧場・那須・須崎・葉山)
内廷皇族は警備が厚い
安倍内閣は天皇陛下の退位に関して、一代限りの特措法という体面は保っていますし、また「女性宮家」は考えないとありました。
という事は、皇統は「男系の男子」でいくわけですから、皇太子が天皇になったら秋篠宮が皇太弟になるのが自然な流れではありませんか。
近代において新天皇が誕生した時に皇太后が内廷皇族か、そうでないかは問題にされてなかったと思います。理由は「皇太后職」は少人数でカバーするのが当然、なぜなら「隠居」の身だから・・・ですよね。
昭憲皇太后も貞明皇后も大宮御所からあっちこっちに移動して鑑賞公務をしたり、地方へ行ったりなんて話はありませんでしたし、香淳皇后の場合はご病気でしたから。
こんなに元気にテニスが出来て「私的活動はこれからもがんがんやります」上皇夫妻はありえなかったわけです。
「退位したい」宣言が憲法違反なら、「上皇になっても私的活動はする」希望も二重権威懸念として憲法違反なのではありませんか。
そもそも「上皇」というのは象徴なんですか?
象徴上皇というんでしょうか?象徴天皇との違いは何なんでしょう?
庶民の私からすると、上皇と天皇で全てのものを独り占めするかのような勢いにしか見えないのですけどね。
女性宮家を考えないなら秋篠宮殿下を皇太弟にして、眞子さまと佳子様と悠仁殿下には称号をお与えになり、東宮御所に住んで頂くのが筋ではありませんか?
何で秋篠宮家だけ、そのままなのでしょうか?なぜ内廷外皇族なんでしょうか?
一般的に見ると、定年退職してもまだ会社に通い続ける困ったおじいちゃん的な存在に今上がなっているような気がするんです。
あるいは再任用の嘱託なのに一番偉い顔で命令ばかりしているような?
一般国民には内廷皇族もそれ以外も全然関係ないですが、対外的にはそうではありません。皇族である以上、世界の王族と付き合って行かなくてはならないのですし、その時の国内での序列は大きな問題です。
西洋においてはティアラや勲章が「地位」を表す大きな象徴でした。
中国王朝や朝鮮王朝においては黄色の禁色だったり、冠だったり髪飾りだったりします。
日本の皇室では平安時代以降「飾り」文化が途絶えたので、身分の上下を表すのは装束の色であったり、紋だったりです。
天皇の妻たちに関していえば与えられた部屋が天皇から近い順で、はっきり言ってしまうとみんな同じ髪型で化粧も同じなら、特別に違いはなかったのかなと。
現代においてはやはり儀式のときの衣装に「格」が出ますね。
黄櫨染の袍は天皇のみが着る事が出来る色です。
応仁の乱でこの色が一度消滅し、復活するまでに100年かかりました。
女性は身に着けてはいけない色です。なぜならこれは太陽の色だからです。
また冠も即位の時はこのような長いものです。
これを徳仁親王が即位の大礼で着る事になるのですが、この即位の大礼には皇族方の身分の差がはっきりと出ます。
皇太子が着ているの黄丹の袍で、これもまた太陽を表す色で皇太子のみが着用します。
という事は即位の大礼の時、秋篠宮は皇嗣であるにも関わらず、この色を着る事が出来ないのです。
徳仁親王の立太子。天皇は黄櫨染の袍を着用。皇后はいわゆる十二単。
画面ではなかなか確認できないのですが、皇后陛下の後ろに垂れている「裳」が白で、これは皇后以外が身に着けてはならない禁色です。
十二単は所蔵する家によrって重ね目に名前がついてるらしいです。
この十二単の名は「紫の匂い」と言います。
そしてこれは即位の大礼の前の神事で着る純白の十二単。
江戸時代に女帝が神事を行う際に使われたものです。
裳が白というのは「立后」の証にもなるらしいですが。
今上と美智子妃の結婚の儀の装束。
皇太子は黄丹の袍。美智子妃の装束は冬装束。
徳仁親王と雅子妃の結婚の儀の装束。
皇太子は黄丹の袍。雅子妃は夏装束。
おおすべらかしと檜扇、かんざしが儀式の重要性を物語っています。
「濃色幸菱紋生固地綾」の単
「忍冬唐草」五衣
「花橘」色目
表着「黄色 若松菱紋を地紋とし紅色の南天を加えた尾長鳥の丸」
唐衣「表が青色亀甲を地紋とし白色で梔子の花をあしらったもの」
青・・・といってもほぼ黄緑なんですけど、この色は平安時代の宮廷人の憧れの色。
秋篠宮殿下は黒の袍。紀子妃殿下は夏装束。
「濃色の幸菱紋を地紋とする生固地綾」の単
「白撫子」の五衣・・・撫子の重ねに使われるそれぞれ濃さの異なる青・赤2系統の色を裏地として城で統一した表地に秘める。
表着「花橘」
唐衣「卯の花」
こちらにも尾長鳥があしらわれています。
妃殿下二人、よく似ている十二単なのですが、紀子妃の「白撫子」には秘めた色の強さがあり、雅子妃の亀甲紋にめでたさを感じますよね。
この二枚の十二単をただ飾り物にするのか、内親王に受け継いでいかせるのか、大きな問題です。
また、秋篠宮が結婚の儀で着ていた黒の束帯姿は東宮以外、全ての親王、王の色で即位の大礼でもその装束でした。
どうなる?悠仁殿下の成年式
古来より、姫には「裳着の式」があり、殿には元服がありました。
明治になってなぜか裳着が消え、紀宮殿下の時は昭和天皇の喪中もあってか、そういう儀式は一切なかったと思います。
当時から「ちょっと不公平だな」と思ったものです。
だから眞子さまと佳子様のドレス姿を見た時は本当に嬉しかったのですが、出来れば「宮中の儀式」として映像に残してほしかったなと思います。
親王の元服に関しては「東宮は18歳。他の親王は20歳」です。
浩宮の成年式。
こっちが秋篠宮。
これが秋篠宮の成年式の時、未成年が着る束帯姿で撮影されたもの。
加冠の儀を経て
このお姿に。
冠が違うでしょう。
浩宮も礼宮もおの時点では「皇孫」なので、普通に20歳で成年式を迎え、同じ衣装をつけていますが、これが成年式=立太子だと変わります。
今上は成年式と立太子が同時であったので、黒ではなく黄丹の袍に着替えました。
わかります?
大切なのは黄丹の方を着る権利があるかどうか!これが大事なんです。
「皇嗣」と呼ぶから、人数増やすから・・・じゃないの!!
東宮と天皇にのみ許された色を身につける事が出来るかどうかが問題なんです。
悠仁殿下は将来的に必ず天皇になる人ですから、はっきり申し上げて成年式=立太子で全然かまわないと思います。
ちなみに雅子妃が出なかったっていうか、いなくて平和だった即位の大礼。
11月ですから冬装束。女性皇族はみなこんな感じ。
そして眞子さまや佳子様はこのような姿に。袴の色が海老茶なのは未婚だから。
紀子様は赤です。
この時は東宮妃がいなかったのですが、本来、東宮妃ならどんな十二単を着るのか。
2代続けて「東宮妃」がいない即位の大礼ですか・・・・・