おととい、旦那の叔父さん(郡山宮妃の弟)がガンの為に亡くなりました。
65歳。宮妃とは13歳も下で末っ子でした。
おとといの夕方に亡くなって、昨日はお通夜で今日は葬儀・・急ぎすぎじゃないかと
思ったけど「友引にひっかからない為」だそうで
私と旦那はお通夜の為に仙台まで行って来ました。
旦那は会社へ、私は学校行事で、11時半に上野で待ち合わせしたのですが
お互い、仙台へ向かうと気分は恋人同士になっちゃうんですね。
やっぱりちょっと寒かったかも
喪服は着ずに黒い夏用のドレスで行ったのですが、仙石線に乗ったら
夏物を着ている人なんて誰もいない・・・・・
あらら・・・完璧に場違い?なんて思いつつ。
風がちょっと冷たいような気が
仙石線にびっくり
大昔の仙石線しか知らなかったんです。中学・高校時代、総体があるたびに
仙石線で宮城野原まで行ってたんですが、混むし暑いしでいい思い出が
なかったんです。
ところが・・今や地下鉄と直結 美しくて静かなホーム。ホームがこんなに
静かってありえないでしょう
下馬という駅へ行ったのですが、快速で多賀城まで行き、そこから普通に乗り換え。
ドアって手動なんだ
陸前高砂に支店がある旦那は慣れた手つきでボタンを押していたけど
私はびっくりでした・・・・
多賀城から乗った各駅電車がなんと 石の森章太郎電車だった。
ロボコンに仮面ライダーにゴレンジャー・・ここまではわかるけど、さすがにロボット
刑事は思い出すのに時間がかかったかも
あーー写真とればよかったーーと降りたあとに後悔しました。
これはお芝居?
葬儀場はこじんまりとした所ですが。
今時の葬儀ってこんなに芝居がかっているものなの?
通夜が始まる前、ナレーションを担当する人が喪主にあれこれ聞いていた
んですね。
いつ生まれて何人兄弟でどんな人生を送ったか・・・みたいな。
で、いざ始まったらそのナレーションというのが
「今も目を閉じると〇〇さんの優しい微笑みが浮かびます」とか
「〇〇さん、あなたは光になり風になって見守り続けるでしょう」
なんてすごい台詞ががんがん出てくるの。
こんなもったいぶった台詞で泣く人がいる?
叔父さんには3人の息子がいますが、それぞれ40代とか30代で孫もいるのに
「〇〇さんはお子様方の成長だけを楽しみに・・・」なんていわれても。
だから終わった時は思わず拍手しそうになってしまいました。
はっとして手を叩きかけるのをやめたのですが。
「これはお芝居じゃなくて本物のお通夜だった」って。
おまけにお坊さんまで「〇〇さんはこれからもずっと姿が見えなくなっても
側で見守り続けてくださいます。〇〇さんが極楽浄土へ一日も早く行けるように
念仏を唱えましょう」とこれまたかなり芝居がかった調子で言うので
家族のあり方 → 男性優位で嫁はよそ者?
郡山宮家・宮妃の実家ともに共通しているのは
「女の地位は男より下」
という事です。
これまで散々冠婚葬祭に関わるたびに経験してきたこと。
・ 男は男同士で固まり、女は女同士で固まって座ったり食べたりする。
これが本当に不思議でしょうがなかった。
特に旦那の兄が亡くなった時の精進揚で、郡山宮・旦那・ジュニア・お坊さんと
固まり、私・宮妃その他大勢の親族で固まった時に、「妻・母であっても子供より下の
扱い」をされるんだと思い、がっくりしました
旦那もあわただしさの中で一々妻を尊重している暇がなかったし。
夫婦で行動できず、私はひたすら宮妃にくっついていたのを思い出します。
今回、叔父の妻の家系は女川出身者なので海側のしきたりってどんなだろう
なんて興味津々だったんですが・・・・・
ただただびっくり。
通夜の席順ですが、喪主である叔母の隣から長男・次男・三男と並んで
その妻たちは後ろに子供達と一緒くたにされておりました。
喪主の挨拶は長男が行ったのですが、妻は一緒に並ぶ事も許されず
(っていうか、はたから並ぶ気もなし)子供達と一緒に座ってるだけ。
焼香も全部そんな感じ。
「通夜ぶるまい」では、長男・次男・三男ともにお酌をして回っておりました。
長男の嫁は形だけ回ると子供達の世話に没頭。
次男の嫁は自分の両親と一緒に飲み食いするだけーー次男は3歳の娘と一緒に
お酌に回っておりました
宮妃の兄嫁2二人は共に未亡人。
長兄の妻 → 55歳になる息子を連れて着て「タバコを吸うな」「酒飲むな」と
まるで10代の息子に言うようにしつこいので、息子はすっかり
機嫌が悪くなり・・・彼には教育者の妻と優秀な学歴を持つ4人の
子供達がいますが、誰も一緒ではありませんでした。
また47歳の娘は葬儀にかけつけるそうですが、その夫は来る
予定はなし。
次兄の妻 → 群馬から一人でかけつけて来ました。
娘が二人(ともにもうすぐ50代で子育て終了。共働き家庭)
いて葬儀には来るそうですが、二人とも夫は同伴せず。でも
供物は夫名義。
つまり、夫婦でお通夜に行った叔父の「甥または姪」は私達だけだったという
ことで。
帰り、この事で旦那と話をしたのですが
私は「宮ないし宮妃が亡くなった時に、私をジュニアより下に置いたり、
喪主の妻としての役割をさせないなんて事はしないでね」といいました。
旦那も「嫁さん達がまるで他人事のようにしているのが不思議だったね。
田舎ってそうなのかな」と。
叔母は宮妃と15歳くらい歳が違い、末っ子の嫁という事で他の未亡人
二人にも厳しい目を向けられて可哀想な面はあるんですが
まだ59歳のみそらで杖をついて歩き「働きすぎが原因で膝を痛めた」
なんて言うから、ますます兄嫁達の勘気をこうむり、喪主だというのに普段着
みたいな格好で座って実は夫が何人兄弟だったかもはっきりとは知らなかった
という事でますます顰蹙を買い・・・
さらに、「お供え物を持ってきたのに置きっぱなしで誰も備えもしない」と
陰口を叩かれ。まあ、可哀想だけど今回は宮妃に同情。
宮妃が一番悲しんだのは、叔父が亡くなる寸前まで誰も付添っていなかった
という現実でした
ゴールデンウイーク頃に叔父・叔母は夫婦で郡山に来たのですが、その時
「もういよいよエンドなので顔をみせにきた」と叔母に言われて・・・
あまりのひどい冗談に失望していました。
「弟の目の前でそんな事いうのよ」と。
さらにお見舞いに仙台に行った時は「お通夜や精進あげの料理も決まってる」と
言われて唖然呆然・・・何もかも叔父が自分で葬儀の手はずや通夜の料理等を
指定していたそうですが、宮や宮妃にとっては「弟にそんな事させて」
という事でしょうか?
で・・ゴールデンウイーク以降、叔父は病院通いをしながら働いていたそうです。
6月に入院しても誰も付添わず、その為にトイレに行こうとして転倒
そのせいかどうかはわかりませんが、なくなる前は嘔吐と血便で意識がはっきり
していたみたいですね。
(転倒事件は叔母たちのせいというより病院側の失態ですが)
叔母は杖を付くほどの足ですから、付添いは無理。でもやっぱり59歳の女性が
78歳の姉に「夫の付添いしてやって」と電話したのはまずかった・・・・・
思わず宮妃も「息子がいるでしょう?」と言ってしまったらしい。
田舎ですから息子が父親の付添いするなんてもってのほかだったとしても
じゃあ、妻は?って話になるけど小学生の子供と幼稚園の子供がいる事を理由に
断られたんだろうなと
誰かが見舞いに行くたびに「もっと顔を見せて」と叔父は言ってたそうなので
寂しかったのかとも思います。
私が入院したたった10日間。休み以外は旦那が来なかったけど、でも姫が
ほぼ毎日来てくれて。入退院はジュニアが付添ってくれて。
これって幸せな事だったのかもしれないと
叔母の口の悪さや性格も災いしているのかもしれないけど、この家族関係の
希薄さはやっぱり異常
家族のあり方2 → 嫁はお客様?
その異常さの原因は「息子の妻を家族として認めていない」
なんじゃないかと
それでも宮妃達の世代は黙って気を利かせたものですが、私達の世代は
「言われない限り何もしない」
妻側も夫の家族は私の家族じゃないからと思っているんでしょうね。
前述した通り、宮・宮妃の実家は「息子と母」で行動するパターンがほとんどです。
だから私達みたに常に夫婦単位で行動し、あいさつも常に一緒というのは
妙に仲がよくてみせつけられると感じるらしいですね
とはいえ、私も今回はひたすら宮妃の側を離れず、通夜ぶるまいの時も
だんなと一緒ではなく宮妃の隣にすわり、お年寄りが方の話し相手と
料理の毒見を引き受けました。
(宮妃もその兄嫁達もちょっと変わった形をしているものは怖くて箸がつけられ
ない性格。てんぷらの中身が何かを確認するのも私でした)
家族のあり方3 → 配偶者は関係なし
配偶者は蚊帳の外。それは娘の夫も同じ。
同じだけど香典や花や供物の名前はあくまで夫名義だから、
「〇〇さんて人、親戚にいたっけか?ああ、娘の夫ねーーでも来てないわ」
って話になるのよね。
でも娘の夫といえども男だから、妻ごときの冠婚葬祭に足を運ばせるのは
気の毒という考え方があるみたいです。
被災者家族
今回は断片的ですが被災した叔父や叔母の家族の話を聞くことが出来ました。
叔母の実家はほとんどが女川。
津波で流されなかったけど家がガタガタで未だに避難所暮らし。
(避難所ってまだあるの?)
透析している患者を抱えての仮設暮らし・・・未だにこんな大変な思いをして
いる人がいつんだと。
叔母の3男は多賀城で働いていて、震災直後は会社の中で後片付けを
していたそうです。そしたら津波が来ると聞いて慌ててビルの2階に避難。
あと少し遅かったら危なかったと。
当時、彼の奥さんは3番目を妊娠中(7ヶ月)
1年後に震災離婚してしまったという・・・・・・
今になって、震災直後、誰も津波が来るとは思わなかったので家族よりも仕事
を優先せざるを得なかったんですね。
あれだけの大地震が来たのに会社の上司が誰も「帰れ」といわずに
「片付けをしろ」と命令した事。それが心のすれ違いを生んだのではないかと。
残念なのは、その事について誰も考えないことです。
追記
今日の葬儀での喪主の挨拶は次男と三男が担当したそうです。
帰りは仙台駅のキリンシティでお酒を飲みつつちょっとゆっくり。
伊達バウムはおいしいぞっ
お土産は鐘崎の「牛タン笹かま」これは新製品みたいです
無論「いぶり笹」も買いました。
それから姫ちゃんお気に入りのレトルト牛タンシチュー
さらに、前回発見して絵ツボにはまった「伊達バウム」
何でも「伊達」を使えばいいってもんじゃないけど、名前がカッコイイなと思って。
それだけじゃなくお味も素敵
メイプルシロップたっぷりのバウムがめちゃおいしいです。
ジンライムに「懐かしいねえ」
改札口横のキリンシティが好きです。
前回、入ったときにわりと早い時間からサラリーマンの人たちが
飲んだり食べたりしてて、それが都会で見るのととがってのどかで
通勤時間に余裕があるんだろうなあって。
それでそういうのどかな雰囲気を味わいたくて入りました。
ハーフ&ハーフを飲んで、ジンライムを注文し・・・
このジンライムの色を見た瞬間、旦那と目を合わせて思わずにこっ
結婚23年目でテレパシーが通じた瞬間。
というのも、私がお酒の味を覚えたのは旦那の部屋。
最初に飲ませてくれたのが「Q」という緑色のビンのウイスキー。
それから樹氷という小中にライムを混ぜて飲ませてくれました。
だからライム色のお酒というのは私にとって
「恋の味・恋の色」なんです。
それを仙台で見てしまって、何も言わなくても二人が一瞬考えた事が
同じだったので・・・・ちょっと嬉しかったかな。
「もう一度プロポーズしてもいいよ」って言ってあげたけど、その言葉を
そのまま返されました・・・・・・
あーあ、でも仙台は遠くなったなあ。