まず日馬富士の件。確かに貴ノ岩も悪いと思う。先輩がお説教している時にスマホがなった?いや、普通はマナーモードにしておくべきでしょう。
でも、だからってビール瓶で殴っていいわけじゃありません。
双方に落ち度があり、何とか丸くおさめる事が出来なかったのかと思います
日馬富士もキレやすい部分があり、そういうのはなかなか我慢する事が出来ないでしょうし、それこそお国柄で考え方も違う。
でもやっぱり相撲は神事という事を考えると双方に礼を失する行為があった事は事実。親方達は今一度原点にかえって欲しいと思います。
で。眞子さまの件ですが。
眞子様は「障害」を「個性」と解釈して「すっと入った」わけじゃないんです。
よく考えれば「皇室という環境を不自由」と思っているわけでもない事がわかります。例のなんとか馬さんがブログで「眞子さまは世間知らず」と言い、そっかーそうだそうだと思った方々へ、今一度よく考えて欲しいのです。
ラピスラズリさんにも言いたいですが、そもそも主張を述べた森田愛実さんの文章にまで言及するのはどうかと。
彼女は確かに義足という「障害」を持ってはいるけど、そんな自分が今いる環境や考え方そのものを「個性」と思って前向きに頑張ろうと言っているわけでしょ?
(全文読んでないからわからないけど)
「個性」という言葉、それを障害に使うのは嫌いだという方々もいます。
私もそうです。
だけど、今時の中学生がそれを「個性」と言わずして何と形容したらいいのですか?
まだ子供ですよ。
彼女の年齢でそういう風に前向きにとらえ生きていく事が出来たら本当に素晴らしいではありませんか。
「私が義足である事も、義足に伴って必然となったこの環境も、そして障害ゆえに考える事も全ては個性」つまり、必然だし逃れられない運命という事です。
眞子様はそういう部分に共感されたんじゃありませんか?
「皇族」=「不自由」=「個性」
どうやったらそんな解釈になるんでしょうか?
眞子様に失望したとか、期待しすぎたとかいう向きもありますが、何を期待していたのでしょうか?
「私が皇室に生まれたのは将来の天皇の姉として生きる使命だ」なんて今時の子が考えると思いますか?
天皇・皇后・皇太子夫妻ですら考えない事をどうして宮家の姫が考えられるでしょうか?そんな事を考えたり言葉に出したりしたらそれこそ「皇位簒奪を狙う内親王」と雑誌でたたかれるんじゃありませんか?
眞子様はあの年齢の女性としては立派過ぎる程立派です。
ただ結婚相手を間違って選択しましたが、何の失敗もない人間なんていません。
天照大御神の眞子さまは暫く天の岩戸に隠れるのみです。
また個人的な話になりますけどね。
私の父が亡くなったのは私が21歳の時で、母の誕生日で創価信者の親戚とは相いれず険悪ムードになっていた時でした。
父は自宅で亡くなりましたから、その後の警察やら葬儀の段取りやら全くわからないなりに一生懸命にやろうと思いました。
霊柩車やお返しなどの事であまりにらちがあかなかったとき、葬儀屋さんに
「ここは跡取りのお嬢さんに決めて頂きます」と言われ、本当にほっとした思い出があります。それまで母ですら悲劇のヒロインに成り下がって私の味方をしてくれなかったものですから。
自宅での葬儀は大変ですよ・・・一日中お手伝いさんは台所に立ちっぱなしで料理を作り、母は座った切りで泣いてばかり。
それを親戚連中が必死に慰めて、泣かない私を「冷たい」と責め「あれもなってない。これもなってない」と車座になって一晩中言われ続けました。
いっそ、こんな家、出てやる!と思ったほどでした。
眞子様を責める皆さんはあの時の親戚連中に見えます。
後から考えればこうすればよかった、ああいえばよかった・・・と後悔し、気が利かなかった自分を反省し、だからこそ子供達には喪の行事の時にはとりわけ厳しく姿勢を正し、様々な行事の時には真っ先に動くように躾けて来ました。
お蔭様で13年前に亡くなった義兄の葬儀においては、姫が大活躍してくれて嬉しかったですが(その時も泣かなかったので宮妃が「あなたは冷たい」と言い放ったんですけど)
自分自身も「嫁」としてどうふるまうか、娘としてどうふるまうか、やっとわかってきたんだと思います。
それもこれも回りが立ててくれたからこそだと思います。
まだ26歳です。
至らない部分も多々あってこその内親王です。
黒田清子さんと比較する向きもありますが、あちらは東宮家の内親王で、昭和天皇や香淳皇后の薫陶を受けていらしたし、何よりご本人が地味でおっとりして欲のない方でした。
秋篠宮殿下のお勧めがなかったら黒田さんと結婚する事もなかったのでは?
みなさんはそういう生き方を眞子さまにさせたいと?
伊勢の祭主になられた清子さんは本当にご立派でした。
でもサーヤはいくつだと・・・?
同じものを26歳の内親王に求めるのはひどすぎる。
「自分がいる環境が個性的である」という考え方はなかなか一般人にはわからないと思いますよ。
私自身、仙台の田舎にいたけどいわゆる普通の「仙台人」じゃなかったのでラピスラズリさんのいう「特殊な」環境であったと思います。
ちょっと特殊な育てられ方をした為に普通のサラリーマン家庭の生活を知らずにずっと生きて来て、「何で違うんだろう」と思いつつ、理由はわかってるし受け入れるしかないんだけど時折やるせない事もあるわけで。
特に同世代と向き合う時は「不自由さ」というより、「違い」を感じてしまう(だからどうだって話ですが)そういうものを抱えて生きる・・そんな環境にいる事、その上で培った考え方などが「個性」なんですよ。
雅子さんの「LIKE YOU」なんぞと比べる愚。
何度も申し上げますが森田愛実さんの主張は年齢的に素晴らしいものでしょう。
共感する眞子さまの心もよくわかります。