本当に富岡八幡宮の宮司刺殺事件は怖い事件でしたね。
弟が姉を日本刀で殺してさらに妻を殺し自殺する・・・
色々な事が明るみになるにつれてこの事件の「闇」が見えてくるような?
マスコミ的には
富岡八幡宮が女性宮司を認めなかった事
神社本庁を離脱した事
を延々とやりそうな感じがするんですけど、問題はそういう事ではありません。
加害者の茂永という人がどういう人だったかという事です。
彼が事件前に氏子に残した手紙の内容
「私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於(お)いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊(おんりょう)となり、要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟(たた)り続けます」を見て、そもそも神社の元宮司が怨霊になってでも恨みを晴らすなどという言葉を使うのかと驚きました。
彼の生い立ち
由緒ある神社の宮司の息子として「ぼんぼん」と呼ばれ甘やかされて育った。
父の体調の悪化と共に宮司に就任したものの金遣いと女癖で退任に追い込まれる。
彼の生活は神社が面倒を見る・・とはいっても彼はいつも金銭的に窮していた。
ここまででかなり追い詰められているんですね。
普通の人にはこの「追い詰められ感」というのはあまり理解できないかもしれません。宮司を追われる身になったのは自己責任だし、彼がちゃんとしてさえすればよかった話なんですから。
でも彼はそうは思わなかった。
こうなったのは全て姉と姉を後押しした全ての人達のせいだ・・・と思ったんです。こういうのを人格障害といいます。
絡めるのもなんですが、雅子妃のメンタリティとよく似ています。
彼女の場合、回りが全部自分にひれ伏したから殺人にまで行かなかっただけで、もし両陛下や夫である皇太子が毅然とした態度を取ったらそれこそ「皇族全員殺してやる」となったかもしれません。
雅子妃や茂永容疑者の心の中は「他罰的」というか、自分がこうなってしまったのは育てた親が兄弟が悪いと全部人のせいにする事です。
元々の性格もあるでしょうが、彼の場合は育てられ方が間違っていたとしか言いようがありません。
日本刀・・姉殺し、妻を殺して自分も殺す・・というような印象と手紙から思いついたのが「津山事件」の犯人です。
津山事件
昭和13年。津山市で深夜、祖母や近所の人30人を殺す事件が起こる。
犯人の都井睦夫は日本刀や猟銃や斧で深夜、2時間足らずで殺し回り、自殺。
この容疑者は両親を肺結核で亡くし、姉と二人で隣り村の祖母に引き取られます。容疑者は祖母から過大評価されて甘やかされて育ちます。
成績もそこそこよかった彼は中学への夢を抱きますが、経済的な問題があって進学できず、また徴兵検査にも結核疑いで落ちます。
この村には「夜這い」という風習があって、最初は若くてかっこいい彼に人妻が寄って来てたけど結核疑いと徴兵検査落ちでイメージが急落、やがて村八分のような状態に。
恨みを募らせた彼は着々と犯行予定を組み、冷静に殺しまくったのです。
茂永容疑者と都井容疑者の共通点は、多分に回りから「過大評価」されて育った事です。由緒ある神社の後継ぎである事、贅沢が出来る事、それによって回りはちやほやしてくれる。でも宮司を追われた途端にそうでなくなる。
このギャップに耐えられなかったのではないかと思うんです。
津山事件に関しては後に「その後」を追ったリポートなどを読みましたが、本来の容疑者はそんなに悪い人ではなかったらしい・・閉鎖的な村によくありがちな「いじめ」も原因だったかもしれません。
けれど、加害者の「恨み」は相当なもので、傷ついた自分が可哀想で可哀想でしょうがなかったんだろうと思いますし、これ以上生きていてもしょうがない、でも死ぬ前に何とか「恨み」を晴らしたいの一念だったろうと思います。
今回の茂永容疑者は金銭的に追い詰められていたと思われ、やっぱり「これ以上生きていても」と強烈なマイナスの気持ちになっていったんだろうと。
なぜ妻も殺したかとか日本刀の入手先はとか色々明らかになっていくでしょうけど頑張って宮司を務めるもなかなか認められず、挙句に殺されたお姉さん、長子さんが気の毒で仕方ありません。
そしてこのような事件によって穢れてしまった神社がこの後、どのようになっていくのか、それも心配です。