ここでは皆さまのコメントにお答えつつ進めたいと思いますが、理性的に進めたいと思います。感情的なコメントは削除します。
タイトルについて
過激なのは本当によくわかっています。
雅子妃(自身)が嘘をついたというより、マスコミの報道の仕方が嘘だったというのが事実なのですが、今更「小和田家の野望」とか「小和田家の闇」とか「皇太子夫妻による陰謀」などというタイトルを打っても誰も読まないんじゃないか?と。
という事で意図的に過激にさせて頂きました。
元凶は皇后(美智子さま)というお話について
まさにその通りですが、ここでは「新皇后」雅子妃に焦点をあてているのでご了承下さい。
精神疾患云々について
正直、明治の頃には伏見宮貞愛親王妃利子(有栖川宮家出身)が統合失調症でしたし、生まれたお子二人とも同様で早世しています。
また、李垠の妹も統合失調症でありながら、方子妃が津島家と縁づかせ、結果的に津島家は滅びてしまった事があります。
まず、差別云々という前に天皇家というのは2000年続く男系男子の「血筋」によって今もなお、日本の象徴として存在しています。
それは学歴でも財産でもない、「生まれ」が一番大事なのです。
なぜなら日本の皇室は世界の王室とは違い、武力で国を治めて来たわけではなく、「天照大御神」の子孫として国家安泰を祈る「祭祀」を通して君臨してきたからです。皇室とはそういうものです。
そしてやがて天皇の妻となり次の天皇を生み出す女性には、誰よりも「家柄や血筋がよい」事を求められてしかるべきなのです。
それでも戦前のように「皇族か五摂家」からしか妃は取らないと言われていた時よりずっと門戸が開かれています。しかし門戸が開かれたからこそ、「人は血筋ではない」という考え方が広まって正田美智子さんのような方でも皇太子妃になれたわけですね。
ハプスブルク家を見れば一目瞭然・・・って話が逸れるのでこのくらいにしますが。
はっきり言って英王室も、ウイリアム王子とヘンリー王子の配偶者がそれぞれ血筋や家柄がよくないので、将来的に王家を滅ぼすかもしれません。
被差別部落について
住井すゑさんの「橋のない川」を読んで頂きたいと思います。
これを追求しだすととんでもなく長い話になりますので省かせて頂きますが、江戸時代まで「士農工商」の4つの身分の下にもう一つあったという事です。
かれらは西日本に多く存在し、かなり「差別」されてきました。
明治になってその制度はなくなったけど西日本から南にかけて、「差別」だけは残ったわけです。
問題はその「出自」というより、「弱い立場」だった彼らが「弱さを武器に国を非難し貶める」同盟を作った事です。
そこには元々の「被差別」と同様に日本人ではない人も数多く入り込み、やがて思想が「反日」へと向かって行きます。
「保育園落ちた、日本死ね」と同じような思想・・と言ったら簡単でしょうか。
皇室は日本という国の根本であり、日本を守る為に存在しているのに、妃となる人が「反日」では困るのです。
「差別」と言い出すと皇室の存在そのものが今の日本の制度に合わなくなります。
「女だから天皇になれないのは変だ」
「家柄がよくないから妃になれないのはおかしい」
実はそういう事を言い出しているのは「皇室制度廃止」を唱えるパヨクの人達です。彼らが「家柄が悪くたって妃になれるし女でも天皇になれる」といいつつ、本当に愛子天皇が出来上がったら真っ先に「血筋」「母方の血筋」「女」である事を理由に「皇室廃止」を言い出すでしょう。
雅子妃の問題は、その思想を生み出した「血筋」にあるという事です。
「3代前まで遡れない」家系であるにも関わらず「小和田本家」から「うちとは関係ない」と言われた経緯もあるにも関わらず、それでも「新潟県村上市の武士の家柄」として公表された事が「嘘」であるのです。
そして皆さんお待ちかねの「チッソの家系」の話はもうちょっと待ってくださいね。
「優れた血筋」とは何か、端的に言えば
元皇族
元五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)
元清華家(久我・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門・今出川+広橋・醍醐)
徳川家・松平家…他、大名華族
で。
昭憲皇太后(今上のひいおばあ様)→一条家
貞明皇后(今上のおばあ様)→九条家
香淳皇后(今上のお母様)→久邇宮家
秩父宮妃(今上の叔父様の妃)→会津松平家
高松宮妃(今上の叔父様の妃)→徳川家
三笠宮妃(今上の叔父様の妃)→高木侯爵家
常陸宮妃(今上の弟の妃)→津軽伯爵家
という、名前を聞けばみな「おおっ」となる華麗なる一族の出身なのです。
「名家」と呼ばれる家には必ずしきたりがあり、文化遺産があり、教養の連鎖がありと庶民では想像がつかないような、お金に変えられない財産を持っています。
たとえ金銭的には正田家や小和田家の方が上でも、歴史の奥深さは絶対に叶いません。彼ら名家は日本の歴史と文化を担って来た一族であったり、あるいは領地を収めるという代々の役割を持ってきた一族で、日本人としての「覚悟」が違うのだと思います。
そして人としての「品格」だと思います。
これは理屈ではないんですよね。きっと。
仙台ではいまだに伊達家の当主が「殿」と呼ばれて元家臣団にかしずかれていますし、山形では上杉家ですか?
彼らは人の上に立つべき立場として厳しい躾けと教育を受け、その家に伝わる文化を受け継いで守っています。
明治維新から150年経っても伊達家も上杉家も敬われている。そういう世界がまだあるんですよね。
今、角界では「品格」とは何かという事がずっしりと重くのしかかっています。
朝青龍も白鵬も日馬富士も大きな横綱でありながら「品格に欠ける」と言われています。品格とはすなわち「立ち居振る舞いの美しさ」や「潔い考え方」なのだと思います。
「どんなやり方をしても勝てば官軍」というのは品格がないと思われます。
小和田・江頭家に共通するのはまさに「どんなやり方をしても勝てば官軍」という最も品格のない考え方で、そういう思想を持つ血筋を雅子妃は受け継ぎ、皇室入りして広めてしまった事が罪なのです。
メダルがとれなくても浅田真央がなぜ世界中のスケーターに愛され、キム・ヨナはそうでないのか、ちょっと考えればわかります。それと同じだと考えて頂けますか。