非常にフットワークが軽く、また近代天皇の中で最も権力を行使していらっしゃる天皇陛下です。
「陛下のお気持ち」は今や伝家の宝刀、打ち出の小づち、天の声、金縛り、権力の象徴、「陛下のお気持ち」一つあれば護衛船をホテルに改造して海外にだって行けるし、御所も東宮御所も莫大なお金をかけて改修できちゃうし、何より憲法違反だって何も言われない、なんと回りが「憲法違反と言われないように」忖度しちゃう。
確か陛下は即位の礼において「皆さんと共に日本国憲法を守る」とおっしゃっていませんでしたか?
それがわずか29年後には違反を違反と言わせない「裸の王様」状態、戦争末期の陸軍報道のようになって・・・・しかもマスコミまでが「陛下は質素な生活を貫き通されて来た」とか報道しちゃうほどで。
違うよと誰も言えない国を作ってしまったのは一体誰なんだ?とひとしきり怒りまくってもしょうがないか。
12月23日が平日に?いいじゃない?それくらいいいじゃない?いいよいいよ、どうせ冬休みなんだからさ。
天皇陛下誕生日全文
この1年を振り返って。
陛下
「今年2月末から3月初旬にかけて、皇后と共にベトナムを訪問しました。
我が国とベトナムとの関係は、近年急速に進み、国家主席始め多くのベトナムの要人が我が国を訪れていますが、私たちがベトナムを訪問するのは、初めてのことでした。
ベトナムでは、現在の国家主席御夫妻を始め、4人の指導者に丁重に迎えられ、また、多くのベトナム国民から温かい歓迎を受けました。
両国間の緊密な関係に深く思いを致しました。
ハノイにおいて、先の大戦の終了後もベトナムに残り、ベトナム人と共にフランスからの独立戦争を戦った、かなりの数の日本兵が現地で生活を営んだ家族の人たちに会う機会もありました。
こうした日本兵たちは、ベトナムの独立後、勧告により帰国を余儀なくされ、残されたベトナム人の家族は、幾多の苦労を重ねました。
そうした中、これらベトナム人の家族と、帰国した元残留日本兵たちが、その後日本で築いた幾組かの家族との間に、理解ある交流が長く続いてきていることを聞き、深く感慨を覚えました。
ハノイ訪問ののちに古都であるフエを訪問しましたが、ベトナム独立運動の先駆者で、日本の支援を求めて我が国に滞在した時期もあるファン・ボイ・チャウの記念館も訪れました。
ここでも日本とベトナムとの様々な交流の歴史に触れることとなりました。今後とも両国の友好関係が一層進展していくことを願っています。
ベトナム訪問ののちにタイを訪問し、昨年10月に崩御になったプミポン国王との長い交流の日々を懐かしく思い出しながら、最後のお別れをいたしました。
今年も残念なことに、幾つもの自然災害が起こりました。
特に7月には九州北部がまれに見る豪雨に見舞われ、多くの人命が失われるなど、大きな被害を受けました。
10月に福岡県朝倉市と大分県日田市をお見舞いに訪れましたが、朝倉市に向かう車中から見た災害の大きさは、自然の力の恐ろしさを改めて感じさせるものでした。
被害に遭った人々が深い悲しみの中にありながら、皆で協力して懸命に復興に取り組んでいることを、心強く思いました。
また、11月には鹿児島県屋久島を訪れ、その西方12キロに浮かぶ口永良部(くちのえらぶ)島で、2年半余り前に起きた火山噴火によって屋久島への全島避難を余儀なくされた人々をお見舞いしました。
噴火に先立ち避難訓練を行っていたこともあって、幸い速やかに全島民が無事に屋久島に避難したと聞きました。
屋久島の人々の助けを得て避難生活を送り、今は多くの人が口永良部島に戻り、復興に取り組みながら元の生活に戻りつつあることを、うれしく思います。
我が国は豊かな自然に恵まれていますが、同時に自然災害の脅威に晒(さら)されており、こうした事態に備え、また、不幸にして災害が起こった時、人々が助け合うことがどれほど重要かということに、思いを深くしました。
この11月の屋久島訪問に続けて、沖永良部(おきのえらぶ)島と与論島を初めて訪問しました。
これは、平成24年2月に一度計画されながら、私の心臓バイパス手術のために見送られたものです。
島の美しい自然に触れるとともに、島の人々が、それぞれの伝統を育み、その自然をいかして生活を送っている姿を、頼もしく思いました。
退位間近な両陛下が本当にあっちこっちと楽しい思いをされたんだなと思いました。