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タカラヅカというもの

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 貴乃花親方の久しぶりの笑顔を見ると、本当は純粋な人なんだと思います。理事長に出来ないものか。

 皆既月食を観察しました。月はすっかり隠れてしまいましてよ・・・

太陽と月は出会わないのです。

 

 デュランタ様、サイトを教えて下さってありがとうございます。

早速、読書感想文を見ました。

「鉄道会社がつくったタカラヅカという奇跡」

この本を書いた方は宝塚関係の本をいくつも出していらっしゃるのでデータはしっかりしているでしょうし、なるほどなあと思う部分も多々あると思います。

一方読書感想文を書いた方は関東も関西も遠いから宝塚は見た事がない。男性で宝塚は「女性のもの」というイメージを持っているらしいです。

で、「その昔、宝塚にも男性を加入させた方がいい」という話があった・・という事ですね。

 戦前の宝塚ファンの半数以上が実は男性だった

「越路吹雪物語」を見ていると、ヅカファンがほとんど女性というイメージを持つと思うし、岩谷時子の両親のような身近に「歌劇」がある家庭に支えられていたと思いますよね。

私など、大劇場へいく度に人も建物も生活ぶりもまぶしくて、コーちゃんのお友達のようについ気後れしてしまうのですが、世の中にはああいう優雅な生活をしている街が戦争中でもあったんだと驚かされます。

昭和14年から15年あたりにカツどんが普通に出されていたかは別として(一応戦時中だし紙の使用も難しくなってくる時代ですし)

それでも脚本集などを見ると戦時スローガンを掲げつつもポマードやカラーリングなどとの宣伝をするたくましいお店にびっくりしたりします。

で、歌劇ファンの半数は男性だった・・・という事なんですが、いわゆる女学校生達は当時「ヅカかSKDか」みたいに分かれていて、ひたすら「素敵」と言っていて、東京の女学校では「歌劇を見るのを禁止!」と言いたてて小林校長に手紙を書く人もいたほど。

そして男子学生たちのファンは宝塚を「高尚な舞台芸術として見るべきか、それとも少女歌劇として見るべきか」悩んでいたんですね。

これって宝塚の永遠の課題で、「エリザベート」上演後、すっかり「高尚な舞台芸術」に重きをなしていると思われますが、いわゆる「宝塚歌劇に面倒な理屈や難しい芝居はいらない」派も多数いたんです。

あの時代、「越路吹雪物語」に出てくるような伊藤先生ばっかりじゃなく、戦前版小池修一郎とか正塚晴彦とかが闊歩してて、作品はいつも批評の的だったのです。

正直、白井轍造レビュウはもう古いとまで思われていたんです。

感想文の筆者は「宝塚は女性のもの」と意識していると言ってますが、それはいわば70年代の「ベルばら」以降の印象の受け売りにすぎません。

また「僕の回りに宝塚を見たという人はいないのでリピーターが多いのだろう」とも書いていますが、それはかなりあたっているでしょう。

リピーターが多いのは幸せなのか不幸なのか、あの大きな劇場2000席を埋める観客のほとんどが2度3度、果ては10回15回も見ているリピーターに支えられていると言えば「すごい」ですが、果たしてこのままでいいのか?と微々たるファンの私はいつも思うのです。

 男性加入論とジェンダー問題

これっていわゆる「タカラヅカボーイズ」の話ですよね?

確かに一時期、そういう事もあったようですが馴染まなかったんでしょうね。

でもまさか台湾公演の記者会見であっちの記者に「結婚したら辞めなきゃいけないのはおかしいのではないか」と質問されていたとは。

今、テレビに出るどのスターに聞いても「別に結婚したから辞めなきゃダメというわけではないけど、夢を売る仕事だし両立出来ればねえ」と言葉を濁します。

明治になるまで日本の芸能は男性によって占められていました。歌舞伎・狂言・落語全て。女性は芸者さんとか常磐津のお師匠さんとか、芸術としては扱われていなかったとおもいます。

でも、明治になって演劇界に颯爽と女優が誕生し、帝劇で外国劇などを上演。新派が登場します。でも小林一三は「そんな難しいものより国民劇を」と思って宝塚を作るわけですが、そのきっかけになったのは日本橋三越でみた少年合唱団。

「これを女子だけで出来ないか」と思ったのです。つまり、当時「女性だけの歌劇団」はジェンダーフリーの走りというか、男社会に殴り込みというか、そこまでの意気込みがあったと思っています。

 ファンが既婚者ジェンヌを望まないのは

男役に理想の男性像を重ねるからであって、決して男女共同参画から離れた封建思想ではありません。

そりゃ麻路さきは子持ちでもかっこいいし、白城あやかだってそうだけど、そういうのはOG公演で見る事が出来るから全然かまわないのです。

今時の生徒達がみんな忙しくて痩せたり太ったり激しく、体を壊してしまう人も多い中、退団するとみんな一様に顔が丸くなるというか、柔らかくなるというか、宝塚にいた頃は本当にシャープな人生送っていたんだなと思います。

でも一旦丸くなった顔は二度とシャープにならないのであって、だからこそ今のままでいいと思うのでは。

 鉄道会社が作ったから時間に厳しい宝塚?

ここが一番、「そういう視方もあるのか」と思った点で、私などは「融通が利かないよなあ」と思うばかりだったりします。

そもそも、宝塚歌劇は「父と息子はファミリーランドで遊び、母と娘は歌劇を見て、帰りは阪急デパートの食堂でカレーライスを食べる」という発想の元に上演時間も決められていたと思います。が!

戦前は3本立て。「定食メニュー」と呼ばれる芝居とショーの前に新人が主役を務める短い舞踊や芝居がありました。歌舞伎と同様、一度劇場に入ったら4時間は出てこないという感じ?

戦後も「ダル・レークの恋」が4時間物だったように、わりと時間的に拘らなかったし、あの「ベルばら」初演時も「好評につき1日延長」もあったくらいで、今ほどギチギチに時間に縛られていたわけではありません。

ただ、よその劇場と違って始まる時刻が早く(11:00)、終わる時間も早い(18:00)一回公演も多かったですし、明るいうちに帰るのが常識。

東京もそうでしたから主婦や母としてはありがたい面も多々ありましたよね。

東京だけはその時間では会社帰りに見られないというので火曜日と木曜日は始まる時間が遅く(13:30)終わる時間も遅い(21時)も出来たわけですが。

 

こんな風に時間に追われる宝塚になったのは、阪急から独立したから。

2000席以上を毎日稼働率90%以上にするのがどれ程大変か。

そうはいっても、震災直後くらいは休演すべきだったと思うですが、そうしなかったのは「チケットの払い戻しが膨大な額になる」とか「振替がきかない」事だったんじゃないかなあと思ってます。

阪神大震災の直後の2月に中日劇場で「若き日の歌は忘れじ」を上演した時にマリコさんは「こんな時に・・・」と思ってたようですし。

東日本大震災の直後にもあちこちの劇場が休演している中、雪組は「ロミオとジュリエット」を上演し続け、組長が毎日「ご理解のほどを」と挨拶してた事を思い出すと「何でもジェンヌに押し付けるんじゃないよ!」と怒りたくなったのも事実。

だけど、もし休演されていたらVISAの抽選であたった最前列ど真ん中もなかったんだと思うと、そうそう怒ってもいられなかったけどね。

(フィナーレの階段降り直前に地震が起きて怖かったーーでも大階段が横に揺れているのにジェンヌ達は笑顔で降りて来たんだよね。あのプロ意識はすごいと思います)

時間を正確に守り過ぎて匠ひびき退団の時はさよなら公演なのに、当の本人がいない前代未聞の東京公演になってしまい、ファンじゃなくても辛かったし、その何十年も前にセリの事故でジェンヌが亡くなっても翌日から上演していた時は、見てる方も辛かったし、やってる方も嫌だったろうなと思います。

それでも、ある意味ジャニーズ事務所以上のスキャンダルにまみれながらも、そういうものをあっさり握りつぶして100年以上の歴史を歩んできた宝塚です。

ジェンヌの気持ちもファンの気持ちも抑え込んで、ひたすら上演を重ねいつの間にかその流れにジェンヌもファンも飲み込まれて、抗議する暇もみない選択も出来ず、抗議するなら退団しろの圧力に何も言えないジェンヌ達を人質に取られてファンは存在するのです。

書いてて怖いわーー 96期のいじめ事件なんてどこ吹く風だもんね。

いつの間にか「あーちゃん」だの「ゆうみは綺麗」とか言っちゃってるしね。

 

 

 


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