日本のマスコミは米朝が秘密に話し合いをすれば日本が孤立するというけど、そんな心配をするより政治スタンスの方が大事なんじゃないですか?
原爆を落とされた日本がアメリカと組むのはおかしいとかいう理論でしょうけど、とにもかくにも戦後70年を超えて今はそうするしかないし、嘘つきな朝鮮系・中国・ロシアに比べたらまだまし。孤立してもダメなものはダメと割り切るしかないんじゃないですか?
とりあえずアメリカは韓国からの報告に「今は色よい返事が出来ない」と言ったんでしたっけ?韓国は北に朝貢しつつも制裁は緩めずとかいうしなあ。二枚舌は韓国の常とう手段ですから政治的断交でいいっ
さて、ユミさまの疑問に便乗して考えてみましょう。
「内親王・女王降嫁の時に払う一時金」について。
これは「品位保持」の為に使われるお金だそうですが、「品位」とは何かという事ですね。
このような疑問を呈すような時代になったんだなあ・・・いかに皇室というものが国民からかけ離れ、皇族というものに特別な感情を抱かなくなり・・・というものの結果だったのかなと思います。
高度経済成長期に美智子妃が毎日違う服を着て日本中旅行して回っていた時、国民はそれが「身の丈に合わないこと」などと思った事はないのですが。
品位とは何か
その言葉の通りの意味ではないでしょうか?
最近、相撲界においても「品格」という言葉が使われ、白鳳や日馬富士などモンゴル勢の品格のなさを指摘する声が聞こえます。私自身も「相撲は神事」だと思っていますし、関取には品格が求められると思います。
その品格とは「潔さ」であり武士道に繋がる美学であり、勝ち負けの先にあるものだと解釈してきたのですが。
しかし宮脇淳子さんによると日本の「相撲」と「モンゴル相撲」は元は同じものであって、両者ともにかなり乱暴なスポーツだったようで、「神事」は後付けのようですね。(モンゴル相撲にも神事っぽいものはあるようです)
ただ違いといえば日本には年功序列があるけどあちらにはないって事。それがすなわち日本から見るとモンゴル勢に「品格がない」と見えるんだそうです。
つまり「品格」とは上のものは上らしく下のものは下らしく相手を立てつつ、正直に潔く勝負する事・・・という感じ?
では品位はどうか?品格を持つ人が「らしく」見える状態の事でしょうか?
例えば横綱の回しが一番安っぽくてみすぼらしくてはいけない、新人が綺麗な恰好をしてはいけないとか?
宝塚でいうと、例えばジェンヌの学年によって使える化粧前の生地が決まっていたり、無地とかフリル付きを使ってもいい学年があったり、研3くらいまでは「お茶会」といわず「お茶のみ会」といったり、トップの羽根にはナイアガラが付き、キジ羽根がつくとうんちゃらとか・・ブーツも膝上までの長いものをはけるのはトップだけとかーーそういう事かなと。
品位保持とは
しかるに「品位を保持する」というのは、元内親王、元女王が民間人になっても「元」それらしく見えるようにする事という事ですかね。
そんな必要があるのかんーーという意見もあるでしょうけど、紀宮が降嫁する時に支払われたお金には「35年間皇族としてお勤めご苦労様でした」の意味もあったと思うので、いわゆる「皇族」という特別な立場で特別な祭祀や公務を行って来た方へのねぎらいの意味があるのではないかと思います。
じゃあ、それに1億5000万も必要なのか?という話になってしまいますが、基準が紀宮だったんじゃないでしょうかね。
(勿論皇室経済法で決まっていたんだとは思いますが紀宮の場合、それ以上に貰っていたような気がして・・・)
内親王と女王
繰り返しになりますが
江戸時代までの内親王と女王 → 皇族・将軍家・大名家・公家に嫁げなかった人は尼寺に入る。必ずしも天皇の娘だからといって内親王宣下を受けるわけではない。
姫が嫁ぐ場合、受ける側がお支度を整え、見返りに「皇族の権威」を手に入れる。つまり家柄のよい娘から生まれた息子は総じて正当性が高くなるという話。
明治天皇の4内親王 → 全て皇族に嫁ぎ宮家を創設
昭和天皇の長女 → 東久邇宮妃 → 臣籍降下
次女 → 鷹司家(五摂家)
三女 → 池田家(大名家)
4女 → 島津家(大名家分家)
三笠宮家長女 → 近衛家(五摂家筆頭)
次女 → 裏千家
高円宮家二女 → 千家家(出雲大社)
今上長女 → 黒田家
要するに紀宮が最も家格の低い家に嫁いだと言っていいでしょう。
昭和まで皇族の結婚というのは宮内庁側近が精査して天皇に勧め、了承をえればそのまますすめるというのが普通で、「恋愛」はそこには存在しないものでしたし、天皇皇后の「好み」もそこに入る余地はなかったのです。
側近がすすめる縁談というのは男子の場合は多産系で旧皇族か旧華族で「妃」としての立場を受け入れやすい人。
女子の場合は降嫁後の生活の保障、そして受ける側はそれによって「皇室の権威」を手に入れるというメリットがありました。いわゆる「箔付け」というものです。
昭憲皇太后は九条節子を気に入らなかったけど、とにかく「跡取り出産」の為に受け入れ、貞明皇后は自分より身分が上の皇族を嫁に貰うのは嫌だったけど、江戸時代までの「五摂家>宮家」から「五摂家<宮家」になった以上は仕方なかった。
香淳皇后も正田美智子を受け入れたくなかったけど、時代は民主主義でGHQ主導で財産家でなくてはならず、好きも嫌いもなく受け入れざるを得なかった。
つまり、皇族にとって結婚は一種の「政治」と言えますね。
でも、今上、東宮、紀宮、秋篠宮の結婚だけは今までの全てのセオリーから外れています。
本当は今上と正田美智子の結婚は政略的なもので、ある種の使命を帯びていたものと考えますが、当時は「恋愛」であると報じられ、国民はそれを信じました。
が、後に美智子妃が激やせして「いじめ」にあったなどマイナスイメージの喧伝により「皇室に嫁ぐのは不幸で可哀想で人身御供である」というレッテルをしっかりと張られました。
紀宮はどうみたって恋愛結婚ではないけど、家格が低すぎ。
東宮と小和田雅子の結婚は家柄も民族も価値観も何もかも違うのに東宮の思いだけが先走り回りがそれに振り回された結果、さらにマイナスイメージを植え付けてしまいました。
まして皇后が、本命妃候補に対して「あちらはおできになるから」などというのは前代未聞の口出しでした。
礼宮と川嶋紀子の結婚だけが「恋愛」で尚且つ「妃になる事を受け入れやすい家柄」であったといえるでしょう。
伊勢神宮祭主の夫になった黒田氏
紀宮の場合、「品位保持の一時金」は警備費に使われたようだと言われています。臣籍降下しても暫くはSPがつくからですよね。
黒田家自体は資産家であったし、親族もいたし内親王を受け入れるに関しては違和感がなかったものと思いますが、島津家に嫁いだ貴子さんなどに比べると、降嫁したからといって決してまるっきり民間人になったともいえなかったでしょう。
晩さん会には何度も来ているし、何かあれば皇居に参内、そして今や伊勢神宮祭主です。伊勢の祭主ってお給料を貰えるんでしょうかね?
嫁いだ家は小さくとも皇后のおかげで「元内親王」にふさわしいお仕事につき、皇后が裏から色々お金を出している・・らしいとみられます。
黒田さんは皇室とは一線を画している印象ですよね。
眞子様に対する品位保持のお金は・・・
本来、姫育ちの内親王や女王が降嫁しても急激な環境の変化に戸惑ったり惨めになったりしないようにという意味をこめての一時金。
それでも民間人になれば納税の義務が発生します。千家家に嫁いだ典子さんのように民間人になっても皇族時代と変わらない、いやそれ以上に自由で義務のない生活を送られればまあ、いいなと思うけど、そうでない限り皇族でいた方がかなりお得。
千家に嫁いだ容子さんくらいまでは30歳を超えて結婚したらそれだけでかなり晩婚だったし、むしろ降嫁は皇族の義務だったといえるでしょう。
その常識を覆したのが紀宮で、秋篠宮が口利きをしなかったら今も多分独身。
そんな紀宮を見てたら女王達は結婚なんかしたくないんじゃ?それこそ「事実婚」でいいよね・・・と考えませんか?
でもとりあえず眞子様へのお金も本来は警備費に使われるもので、マンションを買ったり借金を返したりする為のものではありません。
今までは女性皇族を貰うにあたっての婚家が持参金に目をつけるなどとは全く考えなかった、そんな事思いもしない・・・それこそが「品位」じゃないんでしょうかね?
千容子さんなど多分持参金以上の出費を千家にさせているでしょうし、出雲も同様なんでしょう?
そういう意味では眞子様がもしKKと結婚していたら、イレギュラーなんてものじゃなくて、寝た子を起こすようなもので、「そうか、持参金の使い道ってこんなのもあったんだ」と考えてしまう男性が出てくるという事。
今や内親王や女王を娶る事がそれ程権威に繋がるとも思えないし、眞子様のように若いならともかく、年齢を重ねる程に出産年齢も上がっていくから決してメリットとは思わないのでは?
黒田家は結果的に後継ぎを得られなかったわけだし。
こうやって考えると、やっぱり大元は正田美智子さんの入内が間違っていたんだなと思います。