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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか4

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先に、「天皇が天皇らしくあること」「皇族が皇族らしくあること」で人々はそこに権威を見出し、尊敬すると書きました。

 どんな風に「らしくあった」か

日本で最初に「大王らしく」あろうとしたのは多分継体天皇ではないかと思います。

彼は応神天皇の5世の孫なんですけど・・・・

応神天皇って誰だ?って思いません?

天皇家は万世一系と言われていますが、早くもここで疑問が出て来ちゃうわけです。

なぜって、応神天皇のお母さんがまずい・・・・

系図上は応神天皇の父は仲哀天皇で仲哀天皇は日本武尊の子。

仲哀天皇と神功皇后の子供が応神天皇なわけです。

神功皇后は息長宿禰王という開化天皇の玄孫です。仲哀天皇の妻になったのですが、神の託宣を受けて新羅を撃つという時、夫の仲哀天皇がそれを拒んで急死しました。

が!神功皇后は妊娠して応神天皇を産むわけです。

では応神天皇の父は誰?という事になるのですが、これが武内宿禰という謎の人物で、彼こそが「天皇」じゃないかとか蘇我氏だ、物部氏だと色々説があるんですね。どちらにせよ、ここですでに万世一系は途絶えたと考えでも、その5世の孫まで行きついて天皇にしなくちゃいけない事態が起こったのでした。

それは武烈天皇に男子がいなかった為、男系男子が途絶えかけた時、わざわざ福井県のあたりまで探しに行って天皇にした・・・それが継体天皇です。

無論、単体では認められないから皇后として武烈天皇の姉妹である手白香皇女と結婚しました。婿入りしたんです。

天皇になった時、多分彼は戸惑いもあったろうし、どういたら側近に認められるかと色々考えた筈。紆余曲折を経て20年もかかってやっと大和に都を置く事が出来た時、継体天皇はやっと回りから「天皇」として認められたんだと思います。

百済や新羅との外交や国賊である磐井の乱を平定。きっと頑張ったんだろうなと思います。

天智天皇・天武天皇

蘇我氏や物部氏が主な政治を取り計らうようになってとりあえず象徴的地位にいた大王ですが、「今一度政治の実権を天皇に」と改革を行ったのが天智・天武ですが天智天皇の場合は新羅に滅ぼされた百済をわざわざ助けるというおバカな事をして「白村江の戦い」で敗れ、危うく唐に国を滅ぼされるかもしれない危機に陥ります。

天智天皇という人は当時の人達にとってそれほど人気があったとは思えない。

その理由は、正妻の倭姫との間に男子をもうけられなかった事、妻の実家を滅亡させた事、そして白村江の戦いの敗戦に、壬申の乱の元を作ってしまった事です。

当時の常識としては母親が皇族か蘇我氏でなければ男子であっても天皇にはなれなかったわけで人柄がどうのではなかったんですよね。大友皇子の母は采女ですから、最初から皇位継承には遠い存在。

それでも!というあたりが嫌われたというか・・・・嫌われたといえば母の斉明天皇も晩年は建築ばっかりやっていたので悪口を言われたらしいですが、そもそも「宝皇女」の出自がはっきりしない説もある。

もしかすると夫の舒明天皇の同母妹ではなかったか・・などという話もあり、そうなると天智天皇と間人皇后の恋愛話もなまじ嘘じゃないような?

その点、天武天皇は皇親政治をしっかりと建てたという意味では使命感を持った人ですが、その妻、持統天皇からは藤原氏なしでは存在出来なくなります。

・明治天皇

明治天皇程、自分の「天皇」としての役割を考え、そのイメージを作り上げたカリスマ天皇はいなかったと思います。

武家に政治をとられる中で天皇の役割はあだ皇統を絶やさない事に絞られ、生活もひっ迫、世間からも見放されたような境遇から、いきなり即位して新しい近代日本の象徴になったのです。

西洋風は大嫌いだけどパンを食べる、軍服は嫌いだけど着る、根は質実剛健なのに華やかな場にも出る、戦争の時は前線に出て指揮を執る・・・まさにイメージ通りの大元帥陛下を演じたわけです。

この明治天皇のイメージが今まで続いているなら、それを受け継いだのは昭和天皇で、戦争中はまさに「現人神」で戦後は人間天皇になり、環境は変わっても常に「日本の父」としての存在感を失う事はありませんでした。

きっと昭和天皇はバイニング夫人によって左側へ洗脳されていく皇太子に悲しさを覚えたろうし、あれこれ言いたい事もあったと思います。

今なら週刊誌が「天皇陛下と皇太子殿下、美智子さまを間に途絶」と書かれそうですが、まだ昭和の頃はそういう話題はなかったけれど、それもこれも昭和天皇が黙っていたからで、自ら動くという事をしなかったからで、美智子さまがどんなに皇室を悪いイメージにしようとひたすら沈黙していたからです。

自分の感情をむき出しにしない、好みを明かさない、祭祀に励むけど出来ない自慢はしない、義務を果たす以外は質素な学問生活・・これこそが本当の天皇の姿なのです。

ときたま国技館にいらっしゃる昭和天皇が相撲の試合に手を叩いて喜ぶ姿だけが、私達の記憶に残り、微笑ましい思い出になっているのです。

それに比べると平成の天皇というのは、やることなす事自己中心的で、自己の美学に酔いしれていたというしかありません。


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