なぜ私達が皇室を尊敬できなくなったって?それは天皇が天皇らしい事をせず、皇族が皇族らしいことをしない専制政治状態になったからだよ!
と言いたいのはわかるんです。正直、今回の徳仁親王のオバカ発言と前日は元気に桃華楽堂にいらっしゃった皇后陛下が次の日には「脚が痛い」から祭祀欠席と報道させるに至っては「らしくない」というより「これだけはやってはいけない皇室」の見本のようで尊敬も何もないよね・・・という感じです。
けれど、それで終わってはダメなので、もっと歴史に目を向けつつ考えて行きましょう。
天皇や皇族が権勢をふるったのは奈良時代から平安時代までで、鎌倉時代になるととたんにその権威が小さくなり、本格的な武家政治が始まると同時に天皇、皇族、そして貴族達も一気に貧乏になってしまいます。
おまけに武家に逆らうと島流しになったり幽閉されたりしますから下手に動けない。
貴族たちは生き残り策として「伝家の宝刀」を出します。つまり長年培ってきた教養を武器に武家社会の中で生き残りをかけるのです。
でも天皇や皇族はそうはいきません。誰かが常に後ろ盾になって衣服や食べ物、お金を出してくれないとたちまち貧してしまう存在になってしまったのです。
即位の礼を上げられなかったり、着るものもないという天皇や皇族がいた事は確かでしょう。庶民から見たら征夷大将軍で政治の実務をとる人の事はよくわかるけど「帝」はその意識の外にあったのではないかと思います。
「天子様はいつも私達の為に祈って下さっている」なんて事はありませんよね。
お寺に行って「あの方は法親王様」「あの方は天子様のお子で」と言われて初めて「へえ」ってなもんだったんじゃないでしょうか?
それに今上や皇太子以上の変な天皇がいた事も確かで、有名どころはやっぱり冷泉天皇でしょうか?その子の花山天皇も相当変だったし、孝謙天皇のわがままっぷりやら道教との道ならぬ恋やら、それこそ皇室をひっくり返すほどの無茶をやった天皇もいるんですよ。
それでもその当時は誰かがそれを止めていた・・という事はあったかもしれません。
道教事件などあと一歩でとんでもない事が起こる寸前で神風が吹いたようなものですし。
どんなひどい天皇が現れてもそこに「律令」がある限り、ある程度の歯止めはかかりましたし、やりすぎれば時の政府の逆鱗に触れて島流しに合う。
江戸時代になると「禁中並びに公家諸法度」においてぎりぎり縛られて、天皇は京都に閉じ込められる状態になります。
将軍家は権威が欲しい時だけ天皇を立ててそれ以外は放置ですものね。
しかし、21世紀の今、皇室典範は何の役にも立ちませんし、今上が即位の時に「守る」と誓った憲法ですら皇室を抑える事が出来ません。
天皇の譲位が禁じられている典範を自ら破って「譲位」を実現してしまう天皇に怖いものなどないでしょう。
どうしてそのようなことがこうも簡単に許されてしまうのか。
それは政府と天皇の力関係が逆転してしまったからです。
なまじ近代に「天皇」が神格化されてしまったが為に、そして新憲法下において矛盾する存在の天皇を決めてしまった為に、誰も「天皇」という言葉を口にしなくなってしまった。
「天皇」「君が代」「皇室」「皇族」などの言葉が禁止ワードになってしまったんですね。無論「愛国」もそうです。政府が天皇に触れるのはその即位と大葬の時のみ。そうしておいた方がいいというか、「右翼」と言われるよりはリベラル派と呼ばれたい・・・という意識の中の意識がそうさせた。
そしてそんな政府の痛いところをついて自己流の皇室像を作り上げてしまったのが今上と皇后なのです。