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もし今も江戸時代が続いていたら皇室はどうなったか

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 あくまで個人の意見なのでスルーしてくれていいですよーー

でもその前に。週刊誌等でやたらめったら「天皇として最後」「皇后として最後」というフレーズが踊っているんですけど、私からみると「だからなんだ?」と思ってしまう部分があります。

確かに〇〇に訪問するのも、養蚕も挨拶も「天皇として最後」「皇后として最後」かもしれない。でもいいかえれば二人はこれからも生きていくので「上皇として初」「上皇后として初」って事になりませんか?

例えば来年から養蚕を新皇后に引き継いだとして「療養中の皇后陛下は見るだけ」だったとすると、「上皇后として歴代初の養蚕」みたいな形になりませんかね?80も半分を過ぎようとするお二人が今更最前線に立って何かをしてほしいなどとは思いませんが、やたらめったら「最後」を強調するのはどうかと思うのです。

そうやって「平成の天皇と皇后は永久に不滅です」とでも言いたいのか「とにかく希代の天皇と皇后だった」と世論操作したいのか

そうやって持ち上げるのはやめましょうと言いたいです。だって住む場所は変わるかもしれないし、呼び方が変わっても、待遇は変わらないんですからそんなに「百恵さんの引退」程の価値があるか?と思ってしまう。

(きゃーー百恵さんの引退と比較してしまう自分・・古いよね。今やブログで引退しますと言えば「じゃあ、ブログもやめたらいいのに」と悪口書かれる始末)

ああ・・じゃあ、安室ちゃんの引退程の価値がありますか?

まだ40の安室ちゃんが数々のヒット曲を飛ばし、歌い踊って20年ちょい。社会現象まで起こした彼女のうたを聞きたい人は多々いるでしょうし、それでも今時は「引退」しても何か入⒥目る時代だし、それはきっと安室ちゃんもそうだと思う。

百恵さんのようなあまりにも潔い、象徴的な引退はなかったし・・・だから言いたいのは今上も皇后もそれ程の価値はないよと。国民は別にそこまで惜しんでいないのにただただマスコミが勝手に「もうお姿を見る事は出来ないのか」などと書き立てる。いやいや、軽井沢や葉山で見たい放題になったらどうしてくれるのよーー(笑)

昭和天皇が亡くなるまで、その偉大さに気づかなかった若かりし頃の自分を振り返っても、正直今上がーー皇后がーーどうにかなってもそれは自業自得としかいいようがありませんって。

だからマスコミも煽るのを辞めてくれないかな。無論、「次期皇后」を持ち上げて「ダイアナ妃を目指す」なんてありえないサブタイトル付けるのも笑いすぎてお腹が痛くなるのでほんと、やめて。

何を持って「ダイアナ妃」なのか?好きなことばかりやっているように見えたの?見えるの?王室に適応障害だったとか。違うよ。ダイアナ妃はそもそも貴族階級の出身で成績が悪かったけど王族としての身のこなしはきちんとしてた。チャールズ皇太子が初恋だったから彼さえダイアナ一筋でいてくれたら、どんなに素晴らしい王妃になったことか。彼女が拒食症や過食症になったのは適応障害ではなく、幼少期の喪失感によるもの。

雅子さんとは生まれも育ちもその行動も違いますって

頑張っている事は認める風コメントもありましたが、どうして高校総体は行かず、甲子園には行き、ジャンボリーは無視?このあまりにも矛盾した「頑張り」を国民はどう受け止めたらいいわけ?

昼夜逆転なんて自分から直そうと思わない限りは無理であることはほとんどの国民が知っていますとも。

9日に愛子内親王が帰国して10日か11日に須崎へ・・・結果的に「ああ甲子園はアリバイ公務だったんだな」とわかるわけです。

最近、もし江戸時代がもっと続いていたら皇室はどうなっていたかと思うんです。

明治維新がなかったら・・・・

徳川家も皇室も江戸中期から急激に出生率が落ちていきます。徳川家における女子と男子の出生のバランスがいびつな理由は「大奥」の存在で意図的に男子が間引きされたのではないかという考え方もあります。

しかし、徳川家と皇室に共通しているのは出生率そのものが落ちる、あるいは子供の死亡率が高くなることです。その理由は女性の化粧品に使われてた「水銀」と言われています。

大正天皇が生まれて、何度も生死の境をさまよい、やっと生き延びた時、明治天皇はドイツ人のベルツにどうして次々親王や内親王が亡くなるのか、その亡くなり方に法則があった事に気づき、確かめた結果、水銀と判明し、以後、化粧品に水銀を使用する事は禁止されたわけです。

でも、江戸時代にはまだそういうことがわかっていませんでしたので、生まれた子供が亡くなる=自然なことと受け止められていたのではないでしょうか。

徳川家においては家康と吉宗、家斉以外は男子の出生に苦労していますし、せっかく生まれても体の弱い男子の誕生に大奥がやきもきしますが、それでも徳川家には御三家があり御三卿がいますから、直系でなくても何とか続いていった可能性はあります。

でも、12代家慶から14代家茂までの間は本当に大変だったろうと思います。そもそも大奥が出来た理由は3代将軍家光に子供が生まれなかった為に、女性達を集める必要があったのですが、それでも1700年代から1800年代になると大奥も機能を失っていきます。あまりにも幼少の将軍が現れたり、大奥を必要としない将軍が出てくるからです。

それでも江戸時代がずっと続いていたら、やがて大奥が徳川家の財政を破綻させ、将軍家そのものの立場が危うくなったかも・・・そしたらまた戦国時代へ?

 

さて。皇室です。

天皇家は南北朝前に安定した皇位継承を前提とした「宮家」が出来ますが、南北朝に全て滅んでしまいます。その後、天皇家の力は失墜し、経済的に行き詰まります。

その結果、天皇の嫡子以外は寺や神社に入れるなどするようになりました。皇族が増えすぎても困るからです。一度臣籍降下すると再び皇族になる事は出来ませんでした。

宮家は「決して絶やしてはいけない3つの宮家」として伏見・桂・有栖川の3宮家が出来ますが、徳川時代になり皇室と徳川家の確執が出来、それをおさめる為に「閑院宮家」があらたに加わり4つの宮家になりました。この4つの宮家は、直系が絶えると天皇の第2皇子などが後を継いでいくのですが、江戸末期には一人の天皇に一人の皇子しか育たなくなります。

ゆえに桂宮家には孝明天皇の姉が「女性宮家」を作ります。

しかし、これは現代のいう「女性宮家」と意味合いが違うと思うんですね。とにかく「桂宮家」という名前を残す事が目的でいずれ天皇に皇子が生まれればすぐに交代するということだったように思います。

しかし、閑院宮家家から出た光格天皇以降、どうしても親王が生まれない。女帝を立ててしのぐけど早世する事が多い。嫡子以外は親王宣下しないままに「法親王」になりますからどうしたって天皇家はあのままいったら明治天皇で滅びていたと思うのです。

大正天皇は文明開化あってこそ生き延びた人ですからね。

仮に伏見宮家から天皇を立てたとしても、恐らく2代と続かなかったでしょう。

ということは、明治天皇の偉大な政治力があったればこそ近代の皇室が平成まで続いたことになります。

江戸時代まで、正直将軍家を頂く日本で天皇は遠い存在であったし、単なる祭祀王でしかなく、かりに滅びても「そういうものか」と思われた可能性はあります。徳川家の誰かが危機感を持って娘を皇室に入れて政治利用するとかしなければ存在の意義すらなくなっていたかもしれません。

 

それを思えば今上も皇太子も安倍政権に逆らうことは政治的にまずいですし、まして憲法違反をしてまで「退位」をするというのは、自らを滅ぼすのと同じ事になるでしょう。

昭和の女帝・正田美智子のカリスマ性が小和田雅子を増長させ、勘違いさせているのだとしたら本当に怖いことです。権力を手にし、行使する歓びにひたっていてもそれは一時的な快楽でしかなく、未来の皇室について少しも考えていない愚かなものです。

明治天皇の偉大だったところは、徹底的に自己を統制しつつ政府にも国民にも決してそっぽ向かれない様に努力に努力を重ねて必死に頑張ったところです。そうでなければ明治期の親王や王たちのわがままな振舞に、さすがの明治政府だって黙ってはいなかったでしょうから。

江戸時代が続いていたら皇室はもっと早く滅んでいた。それをただ一人過去と未来を見据えて持ちこたえたのが明治天皇であったと思うのです。

 


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