色々言葉が変わっていて、それがいいのか悪いのか私にはわからないです。
例えば「隠れキリシタン」→潜伏キリシタン・・これなんか意味不明で、どうして無理やり変えるのかとちょっと憤り。
「戦災孤児」→NHKで「戦争孤児」と呼ばれていましたが、なんですか?戦争孤児って。NHKいわく、上野の駅で戦争孤児が寝泊まりして、誰も助けてくれなかったから「人間は冷たいものだ」という事を肌に染みて、語り継いでいこうとする人達の話をしていました。
「戦災孤児」と「戦争孤児」という言葉にどれ程の違いがあるのかと思う人もいるでしょう。でもこの違和感の正体は・・・
「戦災孤児」 → 空襲などで家が焼かれ、両親と死に分かれてしまった子供
「戦争孤児」→国が引き起こした戦争によって家族を奪われた子供
イメージが180度変わりませんか?NHKさんは未だ、こんなことをして「日本はとても悪い国だった。両親がいない子供を冷たく扱い、誰も助けてやろうとしなかった。他ならぬ日本人が自国の子供を見捨てたのだと。
あの番組を見た人はきっと「戦後の日本の大人たちはなんて冷たかったんだろう」と思ったに違いないのです。素直に「ガード下の靴みがき」を信じていた私にはちょっと衝撃的な思いでしたけどね。
行き場のない戦災孤児がどんなひどい仕打ちを受けたか想像も出来ませんが、しかしそれって全部「日本」のせいなんですか?焼け野原にしたのはアメリカではなかったのでしょうか?
あの池上さんですら東京大空襲をやったルメイに関しては「民間人だろうがなんだろうが殺せばいいと思っている」人だと称しましたが、まさに戦争の定義を守らず、なんでもかんでも勝てばいいという考えだった。そういうアメリカ人のせいで日本中が焼け野原になった事は事実です。
また、今でもアメリカでは「原爆は戦争を早く終わらす為にやったこと。2発の原爆で多くの命が救われた」と教えているようですが、実際はそうでない事がわかっています。
あの真珠湾攻撃ですら実は「奇襲」ではなく、アメリカが黙認したものだったと。
それなのに一度イメージがついたらそれに拘って真実を見ず、ひたすら責める人達の何と多いことか。冷静にパールハーバーを考えれば、冷静に原爆投下を考えれば、冷静に日米の関係を考えれば、なぜ戦争が起きたかわかるというもの。冷静に第3の目で見つめることが必要です。
「戦争を省みる」というのはつまりそういうことで「深い反省」よりも、真実が何であったかをしる方が大事です。
従軍慰安婦問題も実際にはなかったこと。なのに世界中にさもあったかのように流布されて、両陛下が「国の象徴」として韓国に謝罪に行きたいなんてもってのほかであるおのに、一度「そうである」と思ったらとことんそれこそ省みることをしない。
最後の「お言葉」に何が語られるのか。
私はただただ、国の為に尽くして亡くなられた方々の安らかな眠りと、そして誇りを守ってほしいと願うばかりです。
英霊達の名誉を貶めているのが子孫たちで、国の象徴だなんて考えたくありません。