小説も続きを書かなくちゃいけないし、宝塚の感想も・・・と書かなくちゃいけないことは多々あるんですけど、ここで無理をするとまたぶりかえしそうなので、とりあえず続けることを目標に頑張りますね。
私、つくづくオスカル様はあの時、死んでいてよかったと思うんですよ。(あ、「ベルサイユのばら8巻」ね)
「ベルばら」を読んでいた頃というのは私は小学生だったわけで。
宝塚歌劇と原作とツバイクの「マリー・アントワネット」を読んで、自分なりにフランス革命について知ったつもりでいました。世界初「人権宣言」は確かに偉大なものだと思いましたし、池田理代子いわく「時代の歯車を逆回転させようとする者は亡びる」の通り、フランスと言う国が一端、革命という道に進み始めたらもう止められなかったわけです。
フランス人はヴァレンヌ逃亡事件まではそんなに国王を嫌いではなかったというし、憎しみは外国人であるマリー・アントワネット一人に向けられたという事も致し方ないことだったろうと思います。
オスカル様は、三部会をその目で見てロベスピエールの思想に感動し、貴族の身分でありながら自ら平民の側に立ちバスティーユを攻撃。そこで戦死してしまうのです。
彼女は「自由・平等・友愛」という崇高な思想に涙して「フランスばんざい」と言って亡くなるのです。私達はその場面が目に焼き付いてまさに「自由・平等・友愛」というのは素晴らしいことだと信じて来ました。
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結果的にロベスピエールは恐怖政治を繰り広げ、革命側だったベルナールもアランも殺されて、ロザリーと息子のフランソワは追われる立場となり、命からがらスウェーデンに逃げ込む。
オスカル様はそんな革命の醜い部分を一切見ないで「フランスばんざい」と言って死ぬことが出来たのですから幸せ者です。自分がとった行動に一点の曇りもなく「軍神マルスの子として生きる」と革命に向かって進んだのですから。
もし、オスカルとアンドレがあの後まで生きていたら間違いなく二人はとらえられてギロチンにかけられていたでしょう。
何で「自由・平等・友愛」を叫んだ人達が恐怖政治を行ったか・・・それは「何もかも自由」の向こうにあるものが「恐怖政治でしか抑えられない民衆の心」だからです。ロシアのロマノフ家の圧政に苦しんでいた民衆はレーニンの登場と共に、今度こそ平等で豊かな世界が来ると信じていました。
なのにスターリンのせいで何万人が粛清されたでしょうか?現在のプーチン政権さえ同じです。
清朝の圧政に苦しんでいた民衆が選んだのは毛沢東でした。そこにあったのはやっぱり恐怖政治です。現在も。
イランのパーレビ国王が亡命した後に来たのはがんじがらめの粛清。カンボジア王室が亡命した後にきたのはポル・ポト。みな考えは単純です。
「教育があるからいけないのだ。知識があるから逆らうのだ。みな、考える必要なんかない」って事ですね。
あまりにも何もかも「自由でいい」という考えばかりが一人歩きすると、人はどこかで締め付けを欲するのでしょうか。それがいわゆる共産主義・社会主義。そして今の日本は「忖度」という締め付けが横行しているわけです。
「忖度」と言えばかっこいいけど、いわゆる「言論統制」であるし「思想統制」であることに違いはないのではないかと思います。
「マリー・アントワネット最期の日々」を読んで思ったのは、彼女は最初から最後までハプスブルク家の女性であり、そのプライドこそが最後の死の一瞬まで輝かせたということです。
一見、おバカで浪費家で珍妙な恰好の王妃にしか見えなかったアントワネットの装飾をはぎ取ると、そこに本来の血筋が見えてくるのです。
あの当時、ヨーロッパになぜ革命の波が及ばなかったのかと思います。この本を読むとフランス国民の憎しみや恨みが、ブルボン王家というよりはルイ16世と王妃にのみ向けられているんですね。
王妃の最後はルイ16世と違い、高貴な人の処刑ではなく庶民と同じでした。彼女を助けるべきだったハプスブルク家はあっさりと見捨て、どこの国も「革命」をフランスの中だけに閉じ込めようとしたんですね。その結果、フランス人の方から「この革命はおかしい」と感じ始め、また新たな戦いが始まるのです。
それでもアントワネットはルイ・シャルルの暗殺を知らずに亡くなったわけですから、まだましだったかもしれません。タンプル塔に閉じ込められたままだったマリー・テレーズのPTSDはどれほどのものだったろうと思ってしまいます。
ただ、この本を読んで思ったのは、民衆というものの浅はかさです。
その国を貧しくしているものは一体何なのか、誰が悪いというより、何がどう悪いのか、王室を廃止するだけで事は終わるのかと冷静に考えなければならなかった筈なんです。
ロベスピエール達は全てをルイ16世とアントワネットのせいにして、処刑することで溜飲を下げる、そもそも街中で次々ギロチンにかけられる人がいて、それを毎日祭を見るかのように見ていた民衆がいる・・・ということが恐ろしいではありませんか。誰も冷静になれない、人の首が落ちるのを見て僅かな時間、人生の苦しみを忘れるみたいな?
今のなんでもかんでも自由とハラスメント騒ぎを見ていると、マスコミも国民も冷静ではないのだと思います。どんなに真っ当なことをいっても「悪いのは日本なのだ」という定義は変わらないわけで、徹底して日本を守ろうとする人を叩き潰す。
フランス革命はフランスの中に閉じ込めることが出来たけど、この世界的な左寄りの思想はより活発化して独裁国家を元気にしてしまいます。
人もいつしかそれに慣れてしまい、拒否するとしたら「みない・聞かない・話さない」くらいでしょうか。
皇室のことにしても女性週刊誌の歯の浮くようなタイトルを見る度「こんなタイトルを本気で信じるバカはいないだろう」と思いつつ」いや、それでも一般人は騙されるか。本気で慈愛とか思ってるかも」と心配になり、「いまだにおかわいそう」と思っているんだろうな」とさらに心配はつのり、でも何も出来ない・・・と無力感に打ちひしがれるだけです。
でも、この日本は多分皇室がなくなったら完全に左翼の独裁国家になるでしょうね。そんな時代まで生きないからいいけど。