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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 1

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 雅子さんが皇太子と結婚した25年前は生まれていない人も多くなりました。ましてそれから遡ること6年前のお妃候補云々の話は、私達世代ぐらいにならないと知らない人も多いのではないかと思います。

今まで当ブログでは何度も雅子さんの独身時代からの検証をしてきたし、他のブログでも散々写真などが載せられて知っている人も多いと思うのです。

代替わりは来年に迫ってしまったし、雅子さん入内における陰謀やら裏取引に関してはあちこちで書かれているので、その検証はなし。

ただ、私達国民が何によって「小和田雅子」を知り、何によって「お可哀想」になったのかということを振り返ってみたいと思います。

 浩宮徳仁親王のお妃候補問題は彼が成年式を迎えた1980年から始まり、報道が過熱。

 旧皇族・旧華族の女性達はいうに及ばず、沢山の女性が名をあげる。

北白川3姉妹・久邇晃子・徳川冬子・伏見章子・柳原家・三井家・服部家など。

 小和田雅子さんの名前は最初は入っていなかった。父親が外交官、祖父がチッソの会長ということで政治と公害に関わる家系の娘はふさわしくないとの向きがあった。

 後藤田正晴氏「(小和田雅子が入内すれば)皇室に筵旗が立つ」と発言。

 お妃候補たちは自らさっさと逃げ、美智子妃は「旧皇族・旧華族」を嫌い、お妃選びは暗礁に乗り上げる。

 1986年(昭和61年)スペインのエレナ王女のパーティで浩宮と小和田雅子は出会うが、最初は小和田雅子は招待されておらず、手書きで名前が付けくわれられた。

私達国民は、毎日写真週刊誌や女性週刊誌で色々なお妃候補の名前をしる事になり、その報道のあまりの加熱さにうんざりしていた事もあります。当時の皇太子夫妻への記者会見でも必ず「浩宮さまのお妃候補」について聞かれて、しまいには「答えません」という事になりました。

ただ、皇太子は当時、「価値観が同じ人。ティファニーであれやこれや買う人は困る」と発言しており、今思えばティファニーに対して失礼な発言だと思うけど、当時は好感を持たれていたような気がします。

私達は当時の皇室については「まれにみる質素な皇室」と印象付けられていました。その理由は昭和天皇がそういう方であってことや香淳皇后の露出がそんなに多くなかったことで、美智子妃のあまりに贅沢な衣装類に関しては「きっと実家の支援があるんだろう」くらいにしか思っていませんでした。

私達国民は全く小和田雅子さんには興味がありませんでした。

なのに、国民に無理やり印象づけたのはマスコミです。

「外交官に清原級のルーキー」ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠

 ハイソサエティ(いわゆるセレブ感)ムンムン

 父親が外交官だから7歳までにモスクワ・ニューヨークで生活体験

 田園調布雙葉に入学後、高1で渡米、大学はハーバード大経済学部

 ここで優等賞に輝いた彼女はIMF/国連・世界銀行の仕事も考えたが母国の為に働きたくて外交官試験を受ける

 東京大学法学部に学士入学したけど、外交官試験もあっさり受かってしまった。

 英語はペラペラ、ドイツ語フランス語は日常会話はOK.頭はとびきり「優」

 

 毎日新聞昭和61年12月6日

「麗しき外交官の卵」

 

これらの写真と文章であなたが当時の国民だったらどう思うでしょうか?

そしてこの写真が受け取る印象はどんなものでしょうか?

 

 

 

 


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