週刊ポスト1990年6月22日号
「卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない」
「それでは、なぜ、小和田(雅子)さんは(皇太子妃候補)リストから外されたのか。
前出の宮内庁関係者が、解説する。
「小和田さんのハーバード大学時代の学友と称する匿名の人物から、宮内庁関係者以外の第三者宛に“怪文書”が出されていたのです。
手紙を入手して自ら読んだ侍従によると、内容は、ハーバード大学の学友だった頃、小和田さんには仲のいいボーイフレンドがいたというもので、どういう服装で、どういったところへデートに出掛けていたかなどが、事細かに記述されていたといいます。
ボーイフレンドがいること自体、大学生にとっては当たり前のことですし、世間一般でいえばなんら取り沙汰されるほどのことでもない。
しかしそれが、こと妃候補の女性となると事情は一変します。しかも、この文書が、皇族や神道関係者の知るところとなり、ボーイフレンドのいた女性は将来の皇后として適切でないといった“小和田妃”反対の声があがりはじめたんです」
宮内庁関係者の解説は、さらに続く。
「かりに、小和田さんが皇太子妃に決定したとしても、その反対の声は容易に収まりそうもない。そういう判断のもと、小和田さんはリストから外されたんです。
殿下は、こうした行為が自分と小和田さんの成婚の可能性をおもしろく思わない宮中の一部の人間によって行われたとお思いですし、それが側近たちの一致した見方なんです。ですから、殿下の憤りも大きなものにならざるをえないんです」
国民の中では「私は関係ありません!」で全部終わったと思っている人多数。そんな事より世間ではかっこいい礼宮と可愛い紀子ちゃんに夢中。皇太子なんかどうでもいいや・・・的な雰囲気の中で掲載された記事。
え?終わってなかったの?なあに?それなら僕は結婚しないって・・それならって何よ。別にいいけど結婚しなくてもさ・・と思ったら怪文書が出たから怒ってる?どうしても雅子さんがダメなら誰とも結婚しないって?アホか?
素行の悪さは折り紙付きだったのに、皇太子はそれを「対抗勢力の陰謀」だと思ったわけですね。すっかり小和田さんちに取り込まれてしまいました。
それでも国民の中では終わった話だった・・・筈なんですよ。
「デビット・カオ」というのがいわゆる元ボーイフレンド。
1993年1月のシカゴ・サンタイムズ誌にデビッド・カオという中国系アメリカ人が小和田雅子について暴露すると言って来たらしい。この件については1993年1月の週刊新潮
「特集・キャリアウーマンで皇太子妃で皇室は変わるか」において
「皇太子妃に内定した直後、日刊紙『シカゴ・サン・タイムズ』(十一日付)が、とんでもない記事を掲載した。
<雅子さんの元ボーイフレンド、すべてを暴露すると息巻く>
という見出しで、
<元ボーイフレンドのデービッド・カオ氏は小和田さんのトップレス写真を複数持っていて、ゴシップ紙に売り込みたいと友人に語った>
というのだ。『シカゴ・サン・タイムズ』は発行部数が五十二万部。高級紙ではないが、ゴシップばかりを扱うタブロイド紙でもないという。記事を執筆したビル・ズウェッカー記者が語る。
「ニュースソースの一人から、“面白いことを言う人間がいる”と連絡が入り、デービッド・カオ氏に電話をしてみたんです。カオ氏はボストン在住の三十六歳の経営コンサルタント。彼が言うには、“小和田さんと初めて会ったのは、ボストン近くのケンジントンという町でのパーティーだった。その後、一緒に映画や夕食に行ったりするようになり、愛し合うようになった。小和田さんとはロマンティックな関係だ”と。彼は“やりとりした手紙も持っているし、数年前の夏、一緒に行ったビーチで撮った彼女のトップレス写真も持っている”と言うんです」
皇太子妃内定の喜びに冷水を浴びせるような報道だが、四日目には事実上、それを取り消すような続報が載せられた。
「カオ氏と小和田さんが、最低二回、同じパーティーに同席していたことは確認できています。しかし、手紙や写真をファックスで送ってくれと言っても、イヤだという。そのうち、電話をかけても“現在この電話は使用されておりません”になってしまいました。シカゴの日本領事館を通じて問い合わせた結果、小和田さん本人の談話として“カオ氏のことは知らない”という答えが返ってきましたし、おそらくこの話はカオ氏のインチキか誇大妄想なのではないのでしょうか」(ズウェッカー記者)
壮大に事実を暴露しておいて「誇大妄想なのではないでしょうか?」と締めくくるところがいかにも日本のマスコミっぽい。これが日本における最後の良心だったのかな。
シカゴ・サンタイムズに売り込んだ瞬間に何かが起きた・・・という事でしょうか?お金を渡された?でもここで殺害してしまうと大変なことにと思われたか?
しかし、この記事が雅子妃決定直後に出て来た事に意義があったのかと思うのですが。
そういう「心無い噂」「雑音」は気にしない様に・・・って皇太子は誰かに言われたのかしらねーー可哀想にコキュにされて。
噂の真相1993年3月号
「マスコミが書絶対にけない皇太子妃小和田雅子逆転決定に見る「現代の生贄」の検証」
「さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。
それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。
実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。
「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)
しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ――』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ――」紙の記事と同じようなハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。
「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。
小和田雅子には常に男の影・・・・(笑)そりゃまあ29歳の女性だし、何人の男性と関係があってもいいけどさ。でもつまり男関係をきちんと清算して「いい思い出」にしてこなかったことがお妃候補として危ないと思われていたのは事実なんでしょうね。世はバブル時代、女性が強かった頃だしねーー
でも問題なのは日本のマスコミがこの事実を知りながら無視していたこと。今と同じ構図がそこにはあります。
いやはやそれにしても上司と不倫の噂も一人じゃなくて二人。その一人が奥大使でイラクで亡くなった方?真面目に不倫していたのか・・・そうか・・・ベッキーなんか可愛いもんだわーーと。
2009年6月NYタイムズにデビッド・カオ死亡記事にて一件落着。
ちょっと時計の針を回し過ぎました。戻りますね。
週刊女性1990年8月21日・28日号
「独占スクープ皇太子さまお妃選び難航の中小和田雅子さん電撃再浮上!!最有力候補から3年6月密かに帰国して」
女性自身1991年1月22日号
「もう一度殿下と会ってください!」皇太子妃激動!あの小和田雅子さんに小和田雅子さんが緊急接触」
秋篠宮家の慶事が終わり、ほとぼりもさめたと思ったんでしょうか?
まさに電撃浮上ですよ・・小和田雅子さんってまだお妃候補だったのーーー?っていうか皇太子、まだ諦めてなかったのーーー?
世の中「紀子ちゃんブーム」ですっかり舞い上がって身に迫る危機にさっぱり気づきませんでした。