すみません。昨日(23日)は朝から宝塚観劇の為に外出しており帰宅も遅かったので眞子さまの誕生日をすっかり失念しておりました。
遅れましたけど、眞子さま27歳の誕生日おめでとうございます。来年はご自分の実力をいかんなく発揮できる年だそうですから頑張って下さいね。
週刊誌がいくら「眞子さまは諦めていない」「結婚して皇族をやめたい」とか言ってるといっても、例えば持参金を辞退したら次の日から生活に困ることくらいわかると思うんですけどね。陰謀とかそういうのではなく週刊誌はフェイクニュースを流して徹底的に苛め抜きたいだけじゃないのか?と思っています。
今「反体制小説としての源氏物語」を読んでいるんですけど、いわゆる「皇后」とかそういう名称ですね。
源氏物語の中では桐壺の更衣より藤壺の女御の方が身分が上、やがて藤壺が中宮になると朱雀帝の母は皇太后になります。
かつて、聖武天皇が藤原宮子に「大夫人」の尊称を与えようとして長屋王ともめるシーンがありますが、その時の天皇の意志によって女性の地位に対する名称というのは増えたり減ったりしていることがわかります。
それは天皇の正室となる女性が藤原家の場合、どっちが上?どっちの身分が高い?という問題が常に存在していたからでしょうね。
最初はみな一律に女御だったのに、その中から最も高い身分として「皇后」が生まれますが、天皇が「皇后とは仲良くしたくなくて他の女性を皇后並の地位につけたい」という場合に「中宮」という名称を使いました。皇后 → 皇太后 → 太皇太后になり、それに相対する形で「女院」という言葉が用いられます。
江戸時代になると藤原氏の権力闘争はあまりなくなりますので、みな一律に女御になり、必ずしも皇后に立てられるということでもなくなります。孝明天皇の妻である九条夙子は結婚当初からずーーっと女御で、出来れば「皇后」にしたいという孝明天皇の意志も幕府によって阻止され「準三宮」となります。
明治天皇の即位4年後に皇太后に冊立。これは明治天皇の妃である美子が女御から明治になって「皇后」になったからでしょうね。
でも源氏物語では弘徽殿女御は桐壺邸の譲位後は皇太后になっていますから、皇太后のには「帝の母」という意味があるのでしょう。
「皇太后」では未亡人みたいでいやだ・・・だから「上皇后」がいいなんて発想はそもそもの皇族にはありませんね。「上皇后」はまさに「皇后より位が上です」と内外に宣言しているようなものですものね。
明治以降、退位が禁じられたので「皇太后」が未亡人の意味になってしまったんだろうと思いますが、本当の意味で引退するというなら「上皇」「上皇后」なんかじゃなくて「院」号にすべきじゃないの?って思いますが。
さて、紀子様がオランダに到着し、さっそく結核予防国際会議主催の夕食会に出られたようです。着物姿でご立派に皇室外交をされていました。
なんでもっと大きく報道してくれないのかな・・・・