1993年2月20日 観劇にでかける雅子さん
1993年2月22日 田園調布雙葉を訪問
1993年2月23日 徳仁親王の誕生日夕食会に招待されて
週刊新潮1993年3月25日号
「日延べ「納采の儀」から6月9日「結婚の儀」までの宮内庁
2月28日のニュースで「皇太子さまと小和田雅子さんのご結婚に先立って結納を取り交わす納采の儀が3月17日に執り行われることが固まりました」
新聞もこのニュースに追従する。
NHKが宮内庁に3月17日で確認すると否定しないので決定と思われた。
しかし3月2日、皇太子ご婚儀委員会の2回目が開催され、そこでいきなり「納采の儀は4月12日に行います」と発表
表向き「3月17日は皇太后さまの静養があり・・・」だったが「他にも色々ありまして」
3月17日と発表された時、納采の儀の日取りについて各宮家への報告がなされていなかった。ここのところあまりにも宮家をないがしろにしていると宮家が怒っている。多分三笠宮だろう。
「実は先日、皇后が小和田家と川嶋家の両親を招いて雅子さんを紹介する宴を開きましたが、今回のこともこのことと無関係ではない」
「あれはいかに雅子さんを大切にしているかを世間に知らしめる皇后のパフォーマンスだったが、その席に主な宮家は全く呼ばれなかった。一応、1月19日の皇室会議当日、皇太子と雅子さんが各宮家に挨拶されたからいいという思いだったんでしょうが宮家にとっては自分達をないがしろにしたという思いが募った。これは長年にわたる美智子皇后とと他の皇族との確執が根底にあるのですが「納采の儀」でも無視されたことで一気に怒りが噴出した」
「結婚の儀」の日取りを巡って多くの関係者がイライラしているのを楽しんでいる宮内庁。その日取りが6月9日と日刊スポーツにスクープされたが、これはオフレコで宮内庁関係者が記者クラブに喋っていた」
すでにここから皇后による「必要なことはマスコミに語らせる」作戦が始まっていたんですね。それにしても当時はまだ三笠宮・寛仁親王家・桂宮・高円宮・秩父宮・高松宮・常陸宮・秋篠宮と宮家が結構あったんですよね。
皇后の恨み節が暴走した結果、皇族方と決裂したのかも。それが今に至っているというわけですね。
週刊文春4月8日号
「正田英三郎氏の見識はどこへ?雅子さんをCMタレントにしたのはだれだ」
「この間、テレビで拝見したんですが小和田さんが田崎真珠からネックレスをお祝いに貰われたとか。私どもの間では「なぜそんなものをお受けになったのか」と陰で話題になっているんです。お祝いにことよせ商売に利用しようなんてとんでもないことす」(常盤会関係者)
3月23日「スーパーワイド」にて
「あの番組には驚きました。田崎真珠の社長が出演してお祝いとして9ミリ玉の最高の真珠で作った2連の高価なネックレスを贈ったことを得々と語っていた。とんでもない宣伝行為であれはやりすぎです」
「普通、皇族に贈り物をする時は表ざたにしないのが普通ですが雅子さんはまだ皇族ではないけど皇太子の婚約者。非常識」
田崎真珠の広報部「今回のことは当社が単独でお祝いを贈ったように受け取られていますが実際は業界団体の日本真珠振興会として行ったこと。私どもが雅子さんをコマーシャル・ベースで利用しようとしているように受け取られているのは非常に残念です。社長が出張中で取材はご勘弁下さい」
日本真珠振興会「小和田家との折衝は真珠振興会が行った。優美子さんは最初は「そういうものは遠慮した方が」と言っていたが、そこを押してお願いしたのです」
2月21日、田崎真珠が問題のネックレスが届けられ、田崎会長と丹下専務が訪問。田崎社長は3月21日の赤坂サントリーホールで開かれた田崎真珠主催の「バイエルン放送交響楽団演奏会」に小和田雅子さんを招待。
9ミリ玉の2連ネックレスは500万はするだろう。
「最近、小和田優美子さんから東宮職を通じて雅子さんがお妃教育に出かける際の取材は遠慮してほしいと要望した。理由は雅子さんの衣装。撮影されるとなると前日と同じものというわけにもいかないし、かといって毎日新しい服を着るなんて出来ませんからね」
正田家ってどんだけ金持ちだったんだ・・・と思うけど、小和田さんの家も30万のキミジマスーツを着ていたのに「服が・・・」というとは。たかってる?小和田家より所得が低かった筈の川嶋家ですらそんなことなかったのに。
ここらへんから「金」にまつわる話がぽんぽん出てきます。