ニューズウイーク 1993年5月24日号
「いやいやながらのプリンセス」
部落解放 1993年6月号
「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」
・本年1月6日「皇太子妃決定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。
・とくに小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容そして「皇太子妃を選ぶにあたっては皇室専門の興信所員が4代前まで徹底調査」などと宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。
・いうまでもなくすべての国民は法の下の平等であり、婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立するものです。したがって私達はこうした宮内庁の身元調査の指示というものが差別を助長・拡大させるものであるばかりでなく憲法違反という重要な問題であると考えますし、1月19日の皇室会議での婚約決定議決の中でもこのような問題が取り上げられず、全会一致で議決されたことに強く抗議するものであります。
・私達部落解放同盟は今回の皇太子妃決定の経過を含めて、皇室報道はもとより政府・宮内庁の身元調査や奉祝強制キャンペーン、過剰警備などについて差別撤廃と人権確立の立場から深い憂慮の念を持っており、今後とも天皇の政治利用反対とともに平和と民主主義の確立、差別なき社会の実現に向けて取り組みをすすめていく所存です」
1993年6月1日 独身最後のデート
週刊文春 1993年6月10日号
「あえて問う皇太子ご成婚ーなぜ君が代は消えたのか」
・今まで皇太子成婚の際、饗宴の儀では「君が代」が演奏されてきたが、今回はそれが排除されてしまった
・理由1 → 即位の礼の時の雅楽の君が代がちょっと・・・宮内庁の演奏が下手だから
・理由2 → 「君が代」はおめでたい席にふさわしくないから?」と記者につっこまれた宮内庁職員は嫌な顔をした。
・饗宴の儀の冒頭では「大空に舞い立つ鶴の群眺む幼ひよりの我が夢かなふ」(皇太子の歌)が雅楽の演奏付きで歌われる → ただの金持ちぼっちゃんと同じじゃないか。
・皇太子の和歌が「君が代」に代わる程などいうなら宮内庁にとって英断
・今の皇室の最大の関心事は昭和とは違う平成の新しい皇室をいかいアピールするかということ。美智子皇后中心に天皇家、宮内庁はそのことに腐心している。
・今回の成婚行事についてもそんな思惑からなかなか細部が決まらず難航。
その結果、登場したのが新宿通りのパレードと饗宴の儀の君が代外し
・君が代は法律で国歌と定められているわけではありません。国民の中には過去の戦争などで君が代にいい印象を抱いていない人もいる。そういう事も配慮して何より皇太子に対するイメージを大事にされたんでしょう」
・これも多くの国民と共に歩みたいという開かれた皇室の現れとみていいんじゃないか」
・君が代は政府、文部省も国歌として認め学校でもそう教えている。宮内庁がそんな決定をするのはおかしい。
・まさに政府や文部省のメンツは丸つぶれ。そもそもある最高幹部などはこの件については何も知らされていなかったらしい。
・「え?何を勘違いしているんでしょうね。国家行事で国歌が演奏されないなんてありえないこと。外国にしれたら物笑いのタネです」
・何とも不可思議な話だが、今回の決定は儀式を担当する式部職など一部の関係者によって決定されたというのだ。
「しかし式部職だけでこんな重大問題を決定できるわけがない。少なくとも天皇皇后は了解されていたと思います。というより今回のことはむしろお二人の意向で決まったとみるのが正しいでしょう」
「君が代というのは本来平和を願う歌、おめでたい饗宴の儀に君が代程似合う歌はない。アメリカの大統領が来日して正式な宮中晩さん会があればそこでアメリカと日本の国歌が演奏される。儀式というのは型通り行ってこそ儀式なんです」
「祝宴の儀を、今回は戦前の呼称である饗宴の儀に変えたかと思えば今度は君が代の排除。やることに一貫性がない」
「昭和天皇時代と違って今は天皇家から、特に皇后あたりからああしたい、こうしたいという注文が多いそうです。それは悪いことではないけれども宮内庁はいい意味でそれをコントロールするのが役目。一般国民の家庭とは違うのですから。そういう機能を宮内庁は全く果たしてない」
「もしこれが天皇の消極的な意思表示なら戦後、GHQが不徹底でやり残した京都御所への移転や女帝を認めるなどといった改革も今後されるべきでしょう」
いわゆる皇后バッシングの根っこがここにあるような気がします。でもまさに30年経たないうちに「女帝」だの「退位」だのってシビリアンコントロールがなってない宮内庁と政府は天皇のいいなりなのでした。
1993年6月3日 小和田家から皇室に運び込まれる嫁入り道具
リハーサルに向かう小和田雅子さん
女性セブン 1993年6月10日号
「ここまで言われてなぜ反論しないのか!皇太子さま雅子さんへの全国マスコミのバッシング「悪態報道」に挑む」
サンデー毎日 1993年6月10日号
「ご結婚直前、菊のカーテンから漏れて来た雅子さんへのブーイング」
「人間が出来ているというのは親が子供にいったり先生が生徒にいうならわかりますが皇太子さまに対しては随分、失礼な言い方ですよ。「私がもし殿下のお力になれるのであれば謹んでお受けしたいと思います」というのも皇太子さまとの関係をもう少し考えれば別の表現になった筈です」
「一言付け加えるなら」も生意気な女だって感じはしますね。とにかくしゃべりすぎですね。聞かないことまで話している」
「東宮仮御所に二人でいらしゃって車を降りたところでカメラに向かって会釈をなさった。そこまではいいんですが、それが終わって玄関に入られるとき、雅子さんの方が先を歩いてさっさといってしまった。これはやはり殿下の後ろを歩かなきゃいけないでしょう」(BY浜尾実)
「雅子さんは外側は日本人、中身は外国人」
2月8日夜、赤坂御所で開かれた天皇・皇后両陛下主催の晩さん会は雅子さんを親類一同にお披露目だった。天皇陛下の一番上の姉、東久迩成子さんの子供、3番目の姉、池田敦子さん、妹の島津貴子さん、皇后さまの兄弟、川嶋家、小和田家らが出席。このとき両陛下は全皇族と民間妃の実家を招待しようとしたが秋篠宮を除き、全員欠席。
「宮家のみなさんがいわれるのは陛下と皇后さまはなんでも自分の家族を大事にされるファミリー主義で公私のけじめがつかないということのようです」(宮内庁関係者)
平成になってから皇后を中心とした天皇家があり、秋篠宮はそんな母に逆らって結婚したわけですね。あの時の笑顔の裏に、フツフツと思い通りにならない息子にイライラした気持ちを持っていたとしたら、今の態度もわかります。
全皇族を敵に回しても平気な皇后、伝統破壊と左翼的な考えの天皇家がもうすでに出来上がっていたということです。