ただいま帰りました。だけど腰が痛くて――(って当たり前ですが)疲れもピークで・・・それは後々語らせて頂くとして。
色々な意見がコメント欄に乗り嬉しいです。宝塚では朝から辛坊さんがぎゃあぎゃあワイドショーで騒いでおりまして。眞子さまの事なんか吹っ飛ぶんじゃないか?くらいの勢いですが。その時私は歌劇の事しか考えたくなくてみなさんのコメントを読みながら「なるほどねーー」とか思う程度にしていたのですが。
とりあえず、秋篠宮殿下の記者会見を全部掲載し、その上で見えてくることをいくつか語って行こうと思います。
問1 殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い,皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせ下さい。公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ,殿下がどのようにお考えになられているのか,あわせてお聞かせください。
秋篠宮: 最初の抱負ということについてですけれども,私は今まであまり抱負ということは,語ることは,口に出して言うことはありません。 ただ,何かの節目というよりも,折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。 これは,抱負になるのかどうかは分かりませんけれども,これからも様々な公的な仕事をする機会があります。 時として,例えば毎年のように行われているものなどについては,どうしても,前年度とか,その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。 これは私自身もそうなんですけれども,やはり,それら一つ一つを,その都度その都度考えながら,自分の仕事,若しくは務めを,進めていくようにしたいと思っています。 あと,公務そのものについては,これは,例えば,天皇が海外,外国訪問中とかには臨時代行ということをするわけですね。 私は今までそれをしたことがありません。 今の皇太子殿下は,昭和時代に一度その経験があるわけです。 私はしたことがありませんけれども。 今後はそういう機会は,必ず出てまいります。 昭和の時代、今上が皇太子の時代は当たり前のように「代行」して来たのと大違いです。 当時、昭和天皇はほとんど海外に出ることはなく、地方への行啓も歳をとってからはあまりなさらなくなりました。その分、皇太子夫妻が公務を「開拓」し、それが高度経済成長の日本の象徴として利用したい政府の方針と一致したのか、とにかく皇太子夫妻は海外に行くことが多く、地方訪問も多かったです。 一方で弟の常陸宮はお体の事もあり、あまり目立った事をされい印象はありません。小さい頃の私は「宮家って暇でいいな」と思っていました。皇太子夫妻は地方のあっちこっちの施設に浩宮や礼宮を連れていく事もあったし、美智子妃の目立ち方は尋常ではありませんでしたから。 「皇太子の弟」としては故秩父宮の公務も参考に・・と思ったのですが、なんせ昭和天皇と秩父宮は年子でしたので参考になるかどうか。ただ、終戦の時の全国の神社への報告は秩父宮以下弟君や皇族が行っています。 秋篠宮殿下は皇太子よりも結婚が早く、しかも「名誉総裁」の数も多く、独自の皇族路線を作って来た人です。また今上も皇后も精力的に自ら公務をする人達でしたので、「臨時代行」する必要性がなかったんですね。 しかしながら愛子内親王誕生後「第二子をあきらめた」あるいは「悠仁親王誕生」時からはそういう慣習を超えて秋篠宮に「皇太子になる覚悟」を促し、その練習をさせる事も必要だったのではないかと思います。それを拒んだのは多分皇后ではないかと私は推察していますが、秋篠宮家への冷遇はまさに紀宮降嫁と悠仁親王誕生からはっきりしており、年齢と共に自我が強くなっている両陛下の思惑がそこにはあったと感じられます。 秋篠宮殿下の「私は今までそれをしたことがありません」「私はしたことがありませんけれども」の言外にある感情は「こういう時が来ることを知っていながら両陛下は私達に何もさせなかったのだから」「ゆえに皇太弟になる教育は受けていないからと返事したんであって」「ご優秀な愛子内親王がいるならどうぞ存分に」ではないかと思うんです。 秋篠宮: 一方,公的な活動について,来年の5月以降,今まで皇太子殿下が行ってきたものというのが,今度は天皇になられると,それを併せてするということはできなくなります。 一方,これは昨年のこの場でもお話をしましたが,私も自分で行っていることがあります。総裁とか名誉総裁をしているものもあります。 それらをそっくり誰かに今度は譲る,引き渡すということ,これも,それを受ける先はありません。 そのようなことから,今,宮内庁として考えていることは,一旦全て皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って,それを整理をして,それで次に私がどのものをその後行っていくか,というのを検討しているところです。 おそらくそれはそう遠くないうちに,発表されるのではないかと思っています。 また,在り方については,公的な活動については,今お話ししたようなことについての了解を皇太子殿下と取った,ということです。 在り方というものについては,恐らく,今後もっといろいろ話をしていかなければいけないんでしょうけれども,分担というか,今の皇太子殿下と私のものというのは,ある程度こう今お話ししたように分かれるわけですが,例えば宮中で行われる行事等については,それは平成の時代にも,行い方が変わったり,今の両陛下が変えられたものもあるわけです。 そういうものについては随時話合いを,既にしているものもありますが,(今後も)していく必要があろうかと考えています。 皇太子の6大行啓については一部秋篠宮殿下と信子妃が受け継ぐことが決定していますが、例えば「水の総裁」なんちゃらは天皇がそのままやりたいんでしょうね。しかし、皇太子の公務自体が少ないので、秋篠宮殿下がおっしゃるような大げさに宮内庁が全部引き取って云々はどうなの?って気がしますが。 本当は「水」関係をばっさり宮内庁が切ることを期待しているのかとも思うのです。水関係は秋篠宮殿下も公務としてお持ちですので。 秋篠宮殿下が総裁として行っていることを譲れないというのは男系男子がいない為でしょう。いずれ悠仁殿下が成人すれば譲っていけるかもしれませんが、それは60歳をとうにすぎた時の話。眞子内親王の今の状況では無理ですしね。 果たして皇太子と話し合いが出来るのかしら?と疑問に思いますが。 問2 殿下にお伺いします。天皇陛下の退位まで5カ月となりました。この30年を振り返り,平成とはどのような時代であったと考え,象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と支えてこられた皇后さまには,どのような思いを抱かれているのでしょうか。 秋篠宮:平成も30年,かなり長い期間になります。それをこう振り返って総括するというのは,なかなか私にはできません。例えば平成の初めの頃,私も日本にいなかった時期もありますし,例えばそういう時に,ニュースでベルリンの壁の崩壊であったりとか,そういうものを見て,驚いたことはあるわけですが,平成ということですので,日本のことになろうかと思います。そうすると,いくつか思い浮かびますけれど,例えば,バブルが崩壊して,経済の低迷といいますか,失われた10年とか,その後も含めて20年とか言われますけれども,ちょうどそのバブルの頃,それからその後でもって,人々の生活のパターンというのが変わったなというのは,私なりに何となく感じております。また,これは大変残念なことではありますけれども,自然災害が非常に多かった。震災もありました。そしてまた近年は,豪雨であったり豪雪もあります,台風などでも大きな被害が出ています。そういう自然災害が,非常に多い時代だったなという印象があります。あとこれは,恐らく1992年のリオデジャネイロのいわゆる「地球サミット」後になるのではないかなと思いますが,企業であるとか,もちろん自治体もそうですね,それから個人が,非常に環境というものに関心を持つようになり,それぞれが,環境に対してどういうことができるかというのを,真剣に考えるようになった時代だったのではないかと思います。そして,いろいろなITの発達,これは,それこそ私などは,昭和時代はワードプロセッサですね,昭和の終わりぐらいですよね,で文章を作っていた。それがいつの間にか,もういわゆるパーソナルコンピュータが普及する,そしてさらに,スマートフォンだいろいろと出てきました。以前では考えられないぐらい,情報が入ってくるようになり,それからまた,海外と連絡する際も,極めて迅速に,それが行えるようになり,また例えば,海外の事情なども,容易に知ることができるようになる。ある意味では,国の国境がボーダレスの時代になったなという印象があります。私自身はまだ,追い付いていかないところが少しありますけれども,そういう時代だったなと思います。そして,もう一つ挙げるとするならば,日本人が学術や芸術,それからスポーツなど様々な分野で目覚ましい活躍をしている時代かと思います。 非常に率直に「災害が多かった時代」と言われていますし、情報化社会というものの捉え方も私達とそう変わりないということで、これを皇太子が自分への質問として受けた時、どう答えるか比較してみたら面白いと思います。 秋篠宮:その次の両陛下のことについてですが,天皇陛下は即位以来,象徴とはどのようにあるべきかという,その象徴としての在り方について,常に模索し考えてこられ,そして,一昨年の8月に,今のお気持ちというものを表明されましたが,その中に全身全霊という言葉がありました。まさしく,その全身全霊でお務めを果たしてこられたと,私は思います。そして皇后陛下は,その陛下のお務め,それから立場を重んじ,更に宮中に伝わる伝統を守り継承してゆくことに心を砕かれながら,御結婚以来,非常に長い期間,60年近くにわたって陛下を支えてこられました。これはなかなかできることではないと私は思い,お二方に深く敬意を表するところです。そして,これは少し質問の趣旨から外れると思いますけれども,息子の立場として言わせていただければ,私は,20何年,一緒に過ごしていましたからですけれども,常に笑いのある,そういう温かい家庭を築いてくださいました。そのことに感謝したいと思います。 本来、平成への言葉としては色々あると思うんですよ。「皇室外交」やら陛下の健康問題やら。それをすっとばして「全身全霊」と「60年にわたり」に集約させて終わったというのは、秋篠宮殿下の心の中にはいい時代の両親が走馬灯のように駆け巡っていたのかと思います。 これが皇太子なら「雅子と愛子を見守って下さり感謝しています」とかなんとか美辞麗句で飾るのでしょうけど、秋篠宮の中で両陛下は独身時代に同居していた部分で終わっているのかなと思いました。