昭和11年 11月「宝塚脚本集」(春秋つき)
河合清氏ー舞台美術家の立場より
彼は総天然色映画(カラー作品)「丘の一本松」を見ました。
そして思った事が
「あのテクニカラーを舞台に持ってきてはどうかと考えた。
特にレビュウ等にはとても面白い効果が出るだろうと考えた。
舞台一面にスクリーンを作って舞台後方に
映写機をすえつけて、スクリーンに映して
それを背景にして色々の演出を試みてみると面白いものが
出来るだろうと考えた」
今で言うところの「装置」の方なんですね。
今時の観劇評には装置や照明に言及する事はあまりありませんが
当時の観客は「一体何回見ているの?」と思うくらい、装置や照明、衣装
にまで批評を加えていて・・・ビデオがない時代。あまりにすごい観察眼と
思ってしまいます。
で、この河合さんは生まれて初めてカラー映画を見て、これを
舞台に生かせないものかと思ったらしいですね。
今ではあたりまえにやってる背景の写真・・・・でも当時は夢の夢。
そんな彼が小池先生の映像満載の舞台を見たらどんな風に思うでしょう。
考えてみると小池先生は宝塚における河合氏なんだと思います
「映像を加えてそれが舞台機構とどう溶け合うのか」を吟味して造り
「薔薇の封印」以降、成長していますよね。
映像を使うといえば児玉明子も斉藤吉正もその気がありますが、
映像と舞台の剥離感はいなめません。
当たり前ですが、舞台芸術と映像芸術はそもそもは相容れないもの
なのではないかしら?そこに必然性がなければ余計な事になりますよね。
さらにヨーロッパ研修を終えて帰って来た須藤五郎(演出家)に聞いたことは
「ドイツのある劇場の舞台機構がとても
素晴らしく壮大なのに驚いたとのことだ。
組み立てられた大セットが左右に動き上下に
吊り上下げられ、それが徐々に転換されていき、
その舞台に本当の馬が何頭となく走り、数十人の
コーラスガールが唱歌を歌い、
その声が全観客席に充満してくるし、
私はこの話を聞いて、その雄大さを想像して羨ましく思った」
今で言うところのセリとか回り舞台とか・・・・それを今はコンピューター
制御で動かしていますが、当時はそんな大掛かりなものをどうやって
動かしていたんでしょうか?
舞台の上を馬が走り回る・・・ってすごい。
宝塚では「虞美人」とか「ベルばら」に馬が登場したくらい?
でも帝劇では幾度となく、馬や犬が使われていたようです。
戦後の発想がここから来ているのかしら?
唱歌を歌うコーラスガールの声が響くというのは、コーラスが多いのか
いわゆるマイクロフォンの技術が優れていたということなんでしょうか。
そして最終的に
『何十段の階段と色々の枠を作ってみたいと考えてしまって
置く場所のない今の劇場の広さでは無理なのである」
当時はまだ大階段を使っていなかったんですね。
でも当時でも宝塚大劇場は日本で一番大きな劇場だったわけですし。
でも舞台そのものはそうでもなかったのかしら?
写真で見るとフィナーレは全ツの時のような感じに見えますね。
何十段もの階段を作ってもおき場所がないのと、移動をどうするかを
考えたとき、とても難しかったのでしょう。
今のあまりに豪華な大階段を見たら、彼はどう思うでしょうか。
洋装の玉津真砂さん
櫻町公子さん・響鈴音さん
当時はみーんな袴姿です。