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宝塚100年に向けて・・・原点に帰れ4

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 まだもうちょっと昭和11年が続きますね。

 昭和11年11月脚本集(春秋付) 

 さて・・この時代における「レビュウ」の定義ですが。

現代においてはもうレビューなんて言い方はしませんね。

「芝居」「ショー」の二本立てが宝塚の定番ですよね。

でも戦前は宝塚の舞台全体を「レビュウ」という言い方をしていたようです。

そのあたり、頭の中でごっちゃになってしまい、つい現代感覚でいうと

「レビュー=ショー」的に考えて混乱してしまうのですが。

 

 大森正男ー空とレビュウと

彼は本当によく宝塚に通っていたみたいですね。

景色のいい宝塚近辺に居を移し、自然とふれあいレビュウに通う・・なんて

理想的な生活を送っていました。

その彼いわく

「どうもレビュウというものは、しっかりした形のないものだけに

つかみどころがない。

それだけに自由でどうにでもなるという点もある。

むつかしい中の楽しさもそこにある。

馬鹿にしてかかるとつまらないものが出来るし、堅くなって始めると

面白くないものが出来る。

真に困った代物であるレビュウとは。

本場の巴里のレビュウもみたが一体デビュウの芸というものは、楽々と

みられるものでなければいけないものらしい。

その芸を習得する為の苦労が見るようでは見物は楽しくない。

あんまりむつかしい芸術などは頂戴しにくい

見ている間はしばし冷たい悲しい、現実をわすれさすようなもので

あってほしい。

だからレビュウなんてものは、人民芸術だといえる。

人気者のスターをたくみに使ってファンの興味をそそるなんてことは

もっとも必要な事だと思える。

 いわばオギーのショーなんて難しすぎてよくわからん。

  あれはレビュウじゃないと言いそうな オギーのショーは難しいけど

  美しく魅力的で退廃的で・・・とは思うんですが。

 現実を忘れたい・・・というのは全ての塚ファンに共通の事でしょう。

  ところが、この定義を犯したショーがありました。

  草野先生の「ON THE 5TH」と中村暁先生の「サジタリウス」

  「ON THE 5TH」は9・11直後に、何とそのシーンを入れちゃった。

  「サジタリウス」では女性を集団レイプするシーンが・・・・・

  これはまさに掟破りという前に宝塚における犯罪だったのかも。

 大空祐飛のさよなら公園「クライマックス」では三木先生が

  カルメンが殺されるシーンを幾度となくやり直すというシーンを作っています。

  前衛的で革新的とも言える演出で、外部ではよくありそうなシーンですが

  塚ファンの方々には不評

  「あんな殺すシーンを何度もやり直すのなんて見たくない」と。

  許されないと知りながら、どうして演出家はそれをやってしまうんでしょうか。

 

白井さんのレビュウは苦しいとか、汚いとかいうものの反対だ。

理屈っぽいところが少しもない。

私はこれは関西人の芸術だと思う。

関西人は理屈を言わない。序論から入ろうとしない。

白井さんの好んで使う喜劇的な部分は、全く大阪人の芸だと思う。

みていて笑わされていながら、悪くいう奴は馬鹿だ。

白井さんを何人も真似る事が出来ない。誰にでも出来る仕事ではない。

 白井さん・・・とは白井鐵造先生の事ですが、この時代の白井先生の立場は

  今の岡田先生のような?

  大御所であり今も発展し続ける人ではあるけどどこか古い・・って思われて

  いる感じでしょうか。

 昭和11年から12年にかけての白井作品のおおまかな評は

  「美しく完璧だけど昔の焼き直しっぽい」ってな印象でしょうか。

  昨今の大御所先生方もみーんなこんな風に言われていますよね

  でもたまにみると「これぞレビュウだ」って思うんですが。

 

小夜福子さん。昔は男役といえども袴姿で登下校。

髪の短さが唯一「男役」に見える所でしょうか?

とはいえ、絵になる方ですよねーー

 

 

 


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