ウエディングケーキを二人だけで食べちゃった事件
本来、皇室にはウエディングケーキを作ると言う習慣はありません。しかし、雅子妃の入内の時に皇后はお友達の森村桂という作家さんに「ぜひウエディングケーキを作って」とお願いしました。
森村氏ははりきって7段重ねのケーキを作り、東宮御所に届けたらただの贈り物だと思って皇太子夫妻二人だけで食べてしまい、もう一度作り直しをした事件です。
「皇太子の恋にささげたウエディングケーキ―森のぷーさんがみた夢」(BY 森村桂)
そして、世界にはばたいて飛んでいってしまうお姫さまを探し求めて、いかなる険しい氷の崖も登っていく「皇太子の恋」。
皇太子さまの七年ごしの恋が、ついに実り、雅子さまとのご婚約というニュースに、私は、何とも感慨無量でした。
偶然にも、皇太子さまの恋と同じ七年の間、わが干しぶどうたちは、アリスの丘でねむっていたのです。
洋酒につけこんだ干し果実類は、年月がたてばたつほど熟成します。
まるで、皇太子さまに、この世でいちばんおいしいウエディングケーキをお作りするために、アリスの丘の魔法使いが、皇太子の恋を邪魔していたのではないかとさえ思うほど、七年ごしの、大いなる恋にふさわしく、干しぶどうたちは、今、なんともかぐわしく熟成してくれました。
この干しぶどうたちで幸せのウエディングケーキ「皇太子の恋」をお創りし、このお菓子にまつわる絵童話とともに、ネコのプーさんや動物たちにささげてもらおうとおもいます。
(事件の概要を本人が書いたと思われる場面)
やったァ!アリスの丘の最高けっさく
幸せのお菓子の7段重ね
7年ごしの恋なんだから。
リスさんがんばれ、
山の頂は恋の頂
おふたりが立つところだよ
7人で一段づつ
焼いたんだ。
ぼくはいちばん大きいの焼いたんだよ。
7段重ねの幸せのお菓子
粉ざとうをふりかけて
雪と氷の山にみえるかなあ?
パイでつくった白ばらをかざって
こんなぐあいにデザインしたらどうかなァ……
エッサカエッサカすごいぞ!
世界一のケーキだ。
すごい!すごい!
ついにやった
さあ、
町にいこう
お城にいくんだ みんなびっくりするぞ
こんな大きなこんなすばらしい
芸術品
プーさんとアリスの丘のぼくたちにしかぜったいにできない
あれっ
プーさんどうしたの?
あっ、小鳥さん……
皇太子さまにささげる ウエディングケーキコンクール……
え、プーさん
何とかんちがいしたの?
いったいこれ、 だれがせきにんとってくれるんだろう
ヒッヒッヒこりゃあうまい
7年間じゃましてやってよかった。
やっぱりほしぶどうは
7年つけると幸せのお菓子の味も格別じゃ。
いや、うまい。これだけうまいとさすがのわしも、幸せなきもちになってくると
いうもんや。
ここらで、1回まほうでプーをたすけてやるか。
【桂よ。わが愛、その死】(三宅一郎著・海竜社 2005年)
「また、現在の皇太子殿下がご成婚なされたときのことですが、皇室でのご婚儀にはウエディングケーキという習慣はないということでした。ただ、ご皇族やご友人などを招いた内々の祝宴では大丈夫との言葉を受けて、桂は皇太子殿下と雅子さまの恋の年月と同じ七年間、洋酒に漬け込んでいた干しブドウやカレンズを入れて焼いた七段重ねのウエディングケーキを作って、皇后さまにお届けしました。
皇后さまはとてもお慶びになり、お二人に桂からのプレゼントだとおっしゃって紹介されたということでしたが、お二人は祝宴に使うものだとは知らず、おやつとして食べてしまわれたというお話をうかがいました。「内輪のお祝いの会で、桂さんのケーキをお切り分けし、みなさんにお配りする予定が立たなくなってしまいました」と皇后さまからご連絡をいただいたとき、桂は即座に「同じものをお作りします」と答え、さらに一回り大きなものを作り、ご祝宴の当日に東宮御所にお届けしました。お二人はそれをウエディングケーキとして披露され、実際にケーキカットをして、ご出席のみなさまにお配りしたということでした。
ウエディングケーキは高輪プリンスホテルの厨房を借りて作られた
身内の茶会で配られるものと知った上で夫妻は食べた・・・という噂
森村桂氏は2004年 うつ病で自殺。弔辞を読んだのはなんと皇后!!
食べたくなるのもわかるようなケーキですが。
そうはいっても、皇室にない「ウエディングケーキ入刀」とか、皇后が弔辞を読むとか、皇后のクリスチャンぶりがよくわかりエピソードですよね。
身内の葬儀にも出ちゃいけない皇后が、お友達の弔辞を読むなんて・・・呆れ。
週刊現代 1993年6月26日号
「雅子妃が始める第三次皇室革命の課題」(保坂正康)
「さらに皇太子も雅子妃も、この時代の知性や理性、それに教養の面でぬきんでた面がある。それは外国語に堪能だとか教養の内容が深いことだけをいっているのではない。自らを律し、社会や歴史を見る目を肥やし、どのような事態にも対応できる姿勢があるということだ」
FRYDAY スペシャル 1993年6月26日号
「明るくおちゃめで面倒見がいい雅子様クラスメートと共有する青春の日々」
「言葉が適切かどうかわかりませんが、姉後肌のところがありました。例えば先生の授業の進め方が早く、私達が陰で不満を言っていると雅子様が手をあげて「先生もっとゆっくりすすめてください」とはっきりおっしゃったこともあります。
美術の時間に多摩川土手に写生に行った時、雅子様が途中で巨人軍のグラウンドに練習を見に行ってしまったのを覚えています。休み時間にもプロ野球の話をよくしていましたね。
女子高で男性の目がないということもあってスカートめくりが流行ったんですが、雅子さまは率先してやっていました。
中学2年生で関西に行った時、宿でツァーコンダクターの男性をからかってやろうと計画をたて「急病人が出たので来てください」と呼んで部屋に閉じ込めたことがある。その時も率先して呼びに行ったのが雅子様。
週刊新潮1993年7月8日号
「皇太子の恩師が見た結婚宮中茶会の人々」
教授の見たところ、「お二人が最も楽しそうだったのはガイジンに囲まれているとき」だったのだ…。