1993年6月25日 伊勢神宮へ向かう皇太子夫妻
実はこの服装、覚えています。ワイドショーでピーコか誰かに「似合わない」って言われていたんですよね。色が全然似合ってなくて、形もいきなり「お妃風」で変みたいな話。特に帽子が本当に似合ってなくて。
なんでこんなに大きな帽子をかぶるんでしょうね。
写真によっては白く見えるんですけど実はピンク色。布地の質や色によるんですけど、ちょっとなーーホラーだわ。結構シワが・・・・
これはお長服と呼ばれるもので、皇室独自のファッションです。日本で着るならいいけどこういうのをオランダの即位式で着ちゃった皇太子妃は笑い者になってしまいました。
1993年6月26日の雅子妃
こういう空色の服もちょっと紀子様の真似をしているようですよね。帽子がとことん似合わないという感じです。
1993年6月27日 神武天皇陵に向かう皇太子夫妻
リボンもちょっと・・・・
1993年6月27日 神武天皇陵参拝
いきなり喪服のような・・・
ものすごい目つきでカメラをにらんでいます。
1993年7月8日 東京サミット晩さん会
このところ、「華麗なる雅子さんの皇室外交」映像でテレビ局が流しているものですが、今後も「華麗なる・・・」映像は流され続けるでしょう。
だって、まともな「皇室外交」ってこれしかないので。
「元外交官で英語やロシア語が得意な雅子様」というフレーズは今も健在。
語学が得意であればコミュニケーションがとれるというなら苦労しないんだけど。
英語とロシア語が得意な雅子さまはエリツィン&クリントンに挟まれて。
映像だと、エリツィンは雅子さんと何をしゃべったらいいかわからないって感じなんですよね。で、クリントンは紀子様と楽しそうにおしゃべりしているので・・やっちゃいけないけど反対側をむいちゃった。
ほらっ!エリツィン大統領の相手しろって。あなたの話すべきは反対の人!
大統領は退屈してたじゃないの。
紀子様はにこやかに回りと歓談。人が集まって来るんですね。
ところが雅子さんの場合、人が離れていく・・・・独りぼっち。
この時の体験がトラウマとなり、恐らく不特定多数の前には出たくないのではないか?と思うんです。
週刊新潮 1993年7月22日号
「サミット晩さん会で国際的ご披露した雅子妃への驚嘆
「豊明殿での食事の後に春秋の間でもお茶の席があったけどここでも雅子さまは外国人に囲まれていてね。結局私は最後までご挨拶できなかったんですよ。そりゃ皇太子殿下も天皇・皇后両陛下も外国人に囲まれていたけど、やはり最後まで積極的にお話になっていたのは雅子さまでした」
まさに人気スターも顔負けだが、それも雅子妃殿下の語学力を考えれば当然といえるだろう。何しろ、その実力は、ハーバード大学卒業後、昨年暮れまでは外務省で現役の外交官としてキャリアを積み、平成3年日米半導体協定締結をめぐっては当時のベーカー米国務長官やヒルズ通商代表の通訳を務めたほど。英語だけでなくフランス語やドイツ語にも堪能なため、「お妃教育」で語学が削られたのは記憶に新しい。
「雅子妃の語学力は皇族の中でも群を抜いています。といってもこれは外国で長く生活し最難関の大学を優秀な成績で卒業したのだから、元々他の人達と比較すること自体、無理ですよ。確かに皇后陛下や紀子様も英語の日常会話ぐらいは出来ますが通訳抜きで経済や外交などの専門的な話が出来るのは雅子さまだけです」
実際、ご成婚後の6月からは東宮仮御所でも英字紙のヘラルド・トリビューンを購読しているのだそうで、それだけに宮中晩さん会に出席した人達も
「初めての大舞台にも関わらず。大変に堂々と外国の首脳の方とお話されていて、私などはもうただたださすがというか、ご立派でいらっしゃるなあと思うばかりで(BY福田赳夫夫人)
「今回のサミットではただ一人の女性の首脳であるカナダのキャンベル首相に挨拶いかれ、その後、雅子さまは一人でデハーネEC議長、クリストファーセンEC副委員長のところへいってかなり長い間、話をされていました。勿論通訳なしで談笑したのですが、この日の雅子さまは基本的に英語とフランス語で話されたようです」
「着席すると雅子様はすぐにエリツィン氏と会話を始めたんです。雅子様は1歳4か月から4歳までモスクワで過ごしていますから、おそらくそんな話が出たのではないでしょうか。会話はロシア語の通訳を通じて行われました。ただ、さすがにエリツィン氏と喋る時は雅子さまはやや緊張気味でした」
ちなみにその間、クリントン大統領は右隣りの紀子様やメージャー首相と歓談。こちらは通訳抜きで行われた。
映像では誰かにガンガン喋って、知らないうちに独りぼっちにされて・・・という風にしか残されていませんが。それにしても正反対の上げ報道ですね。