新婚早々、色々やらかした雅子妃ですがこの頃は・・・というか、それからもずっと「愛すべき失敗」とか讃えられて、「お可哀想な雅子様」と言われるようになりました。
女性自身 1993年10月5日号
「雅子さまマタニティ風スーツと5日間の静養」
「この日の雅子さまについて
「実は“ご懐妊では?”という話が出ましてね」
と本誌カメラマン。
「われわれは国技館正面入口のロビーで、カメラを向けていたんですが、曙、貴ノ花、若ノ花がお迎えする前に、皇太子さまについて歩いてこられた雅子さまの服が、すごくゆったりしているんです。それを見て女性記者が“マタニティ風では”と……」
週刊新潮 1993年10月28日号
「雅子さま初めての園遊会」
初めての園遊会で気さくに言葉をかけられたのは(女子マラソンの)浅利(純子)選手へ。「殿下と夕食をとりながらテレビを見てたのよ。」
この場合は信子妃に色被りなのかしら?
1994年1月 皇室ご一家
この写真、よくよく見ると、雅子さんよりも紀子妃よりも、紀宮のありえないくらい地味な恰好がはっきりと・・・何で母君はピンクで娘が緑色にグレー組み合わせ?
祖母君が孫を独り占めしているような気が。
1994年1月1日新年祝賀の儀
この時は結婚の儀の時のネックレスをしています。この頃はまだティアラをつける習慣がなかったんです。平成になってティアラ付きになったけど真っ先にとっちゃう皇后陛下です。
一般参賀
週刊新潮 1994年1月20日号
「ご懐妊はまだですか?」
1994年1月14日 初めての歌会始め
この頃はみなさん、様々な色のドレスをおめしです。でも紀子妃がいない。
女性自身臨時増刊「新妻・雅子さま輝いて愛の1年」
「 歌会始(1月14日)のころから風邪ぎみだった雅子さまが、ご公務の予定を中止または延期、ほとんど東宮仮御所に引きこもったままの日が続いたのである。
巷では期待が先走りして“ご懐妊”の声が高まり、雅子さまと小和田家にとっては大きなプレッシャーとなった。
2月の初め、恒さんと優美子さんは4日間の予定で、中近東への旅行へ出かけていたが、2月3日、エルサレムで外人記者のインタビューを受けた優美子さんは、ハッキリこう答えた。
「皇太子妃が妊娠しているのでは、という噂が流れているのは知っています。
その噂にはまったく根拠がありません。私は日本を発つ2日前にも皇太子妃と会いましたが、皇太子妃は、はっきりと私にそう語りました」
優美子さんが雅子さまについて語るのは、まったく異例のことだったが、外国にまで間違った噂が流れているのを、見過ごしてはいられなかったのだろう。そして、この発言の中には、優美子さんが心配のあまり、たびたび東宮御所にお見舞いにあがっていることがうかがわれた。
・・中略・・
4月2日小和田家は喜びと賑わいにつつまれた。ニューヨークに赴任するご両親との“お別れ夕食会”という意味をこめて、雅子さまのお里帰りが実現したのである。皇室記者によると
「夕方から皇太子さまもお見えになって、今回は和食中心のおもてなしだったようですが、新潟にゆかりの深い小和田家には、越後銘酒がいろいろそろえてあるそうです。小和田さんと皇太子さまはよほど盃を重ねたらしく、お帰りのときはお二人ともかなり上気した顔でした。しかし、さすがに乱れたところはなく、皇太子さまの強さには恒さんも驚いたことでしょう」
4月28日、いよいよ小和田さん夫妻がニューヨークに出発する日が訪れた。この2日前には、さらに別れを惜しまれてか、おひとり、おしのびで4度目のお里帰りをされたという雅子さま――。
1994年1月17日
「お風邪でダウン」
女性セブン1994年2月10日号
「宮内庁は全面否定でも消えぬ雅子様懐妊の理由」
1994年2月9日婚約内定1年記念記者会見
週刊読売2月27日号
「雅子様「ご病状」「ご懐妊」会見で放映されなかった部分」
「充血した目。やや濃いめの化粧、ぴっちりとした服装、高さ5センチの低いヒール、入室した雅子さまを見た時、この部分に強い印象を受けました
「お体の具合はいかがですか」の言葉が雅子様に飛んだ。カメラも雅子様に据えられたまま。しばし、雅子さまの沈黙が続く。この時、画面には映っていなかったが皇太子さまの右手がしきりに動いた。問いかけをこちらへ引き取るジェスチャーだった。
「カゼについてはお二人の間でまず皇太子さまから発言するという取り決めがあったようですね。それが、いきなり雅子さまに直球が行ったから、ちょっと驚かれたようです。このようにご回答にあたっては皇太子さまの助け舟が再三ありました。このため、雅子さまのお答えが前と比べ、控えめというか元気がないというか、そんな感じでした。
雅子様は1月17日の屋久島フォーラム以来カゼを理由に公務から離れていた。以来、3週間を超す長欠。
『一月二十二日までが三十七度台、二十四日以降は三十六度の後半を不規則に変化している』というのが宮内庁の説明でした。三十六度台なら普通の人は気にせず働いているようなものですが…。それで雅子さまの平熱を質問したところ『医師の守秘義務にあたり言えない』の返事。誰もがご懐妊を想像し、説明のたびに問いただしましたが、説明約の侍従は両手をもがくように振り回して『絶対に違う』と否定していました」
で、二月四日の胸部エックス線撮影で、渦巻いていたご懐妊説は消えた格好となった。
しかし、カゼがこんなに長引くものだろうか、という素朴な疑問も残った。
結婚から半年ですでに「適応障害」だったらしいですね。あの友納文ではここらへんですでに雅子さんは「微熱があるんです。病気ではないでしょうか」と必死に訴えていた部分かもしれません。そう言われても妊娠してるわけじゃないし、生理前の微熱じゃないの?程度かな。
正直、半年で皇太子妃という地位に飽きて来たんじゃないかと思います。最初はちやほやされていい気になっていたし、失敗も許されていたけど数か月経つうちに、儀式の手順が覚えられないとか、すぐに忘れるとかそういう症状が出ていたのでは?
結果的にやれと言われることばかりでちっとも面白くない。自分より学歴が低い人達にああだこうだ言われてプライドは傷つくばかり。自分としては「変人」と思われているんじゃないかと・・不安だったかもしれませんね。
FRIDAY 1994年3月11日号
「ふっくら写真に議論百出だが皇室じゃーナリスト河原敏明氏が断言。「雅子さまご懐妊」5つの根拠」
正直、どうやったらこんなに太ることが出来るんでしょう。それを隠そうともしない所が何とも。
1994年4月11日 春の園遊会