2月23日、皇太子殿下は59歳になりました。還暦直前で即位ですか。
歴代でも遅い方じゃないですか?
【記者会見全文】
皇太子として過ごした平成への思いとこれまでの歩みを振り返り、さらに今後への豊富。
今から30年前、昭和から平成の新しい御代への移り変わりを、私は皇居の吹上御所で迎えました。
深い悲しみの中に、一つの時代が終わったという感慨が頭の中を駆け巡ったことを記憶しています。立場が変わったことを認識しつつも、最初は、しばらくは皇太子さまと呼ばれても何か実感が湧かなかったことを覚えています。
「感慨」という言葉はここで使うべきなのか迷います。これはまるで「いよいよ僕は皇太子か。感慨深いなあ」と言っているようなものですね。
皇太子は葬儀なのどの場面でもうすら笑いを浮かべることが多く、いわゆる本当の悲しみを知らないのではないか。悲しみの時にはどんな表情をすべきかわからないのではないかと思われます。
ただ、昭和の時代から回数は限られますが、現在の両陛下のご公務にご一緒したり、昭和62年には、私自身も昭和天皇の国事行為臨時代行を務めさせていただくなどしたことは、皇太子としての準備を進めさせていただく機会になったものとありがたく思っております。
皇太子としての活動を行うにあたっては、国民の幸せを願い、国民とともにありたいと思っておられる陛下をお助けすべく、皇太子として、自分に何ができるかを常に考えながら、一つひとつの公務に取り組んでまいりました。
天皇陛下が倒れた時はとりあえず代行をやったけど忙しすぎて不平不満を言ったというのは有名な話ですよ。妻一人説得する事が出来ずにいいなりになっている現状をみるととても「公務に励んで来た」とは言えません。
私は、さまざまな行事の機会に、あるいは被災地の視察として各地を訪問してまいりましたが、国民の中に入り、国民に少しでも寄り添うことを目指し、行く先々では多くの方々のお話を聞き、皆さんの置かれている状況や関心、皇室が国民のために何をすべきかなどについて、的確に感じ取れるように国民と接する機会を広く持つよう心がけてまいりました。こうしたことは、今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたいと思います。
国民の中に入る・・というのは国民と一緒に遊ぶということではなく、励まし希望の火を与えることだと思いますが、皇太子は勘違いしています。阪神淡路大震災の時も東日本大震災の時もぐずぐずと予定を遅らせて日帰りで帰ってきたりしたし、新潟地震の時も平気で静養したりしてました。
また、熊本へ行っても絶対に水俣病患者には会わない・・こんな嘘だらけのことを行っていてよくも「行く先々では多くの方々のお話を聞き、皆さんの置かれている状況や関心、皇室が国民のために何をすべきかなどについて、的確に感じ取れるように国民と接する機会を持つ」なんて言えるなと・・・そもそも皇太子には感情というものがないのではないか?
共感したり思いやったりする当たり前の感情がない。
国際親善と、それに伴う交流活動も、皇室の重要な公務の一つであると思います。
これについては、これまで30か国以上を親善訪問し、また、日本に来られた賓客や外国青年代表、国際賞受賞者と、多くの外国の方とお会いする機会がありました。
こうしたことが、日本と各国との友好親善の一助となったのであれば幸いです。また、これらの経験によって、自分自身も世界に対する視野を広げ、関心を深めることができたように思い、ありがたく思っております。
国際親善というのは自分が迎えた側になっても迎えられた側になっても相手に不快感を起こさせないというのが大前提になっています。
ベルギー訪問を雅子妃の妊娠を隠して強行し、流産したらマスコミのせい。何も知らなかったベルギー王室が謝罪しました。
ブラジルでは創価学会と並んで写真をパチリ
スウェーデンなどの王室の結婚式に呼ばれると一人でうろうろ、迷惑千万
オランダ静養で妻が女王の気分を害する
実際に皇太子となってからは、自分の中でもその役割に対する自覚というものが、より根付いてきたように思います。特に平成3年2月に「立太子の礼」を陛下に執り行っていただいたことで、その気持ちがより強くなったことを思い出します。
立太子の礼で自覚が強まった・・・ってはあ?
平成28年8月8日の天皇陛下のお言葉以来、これから私が担うこととなる重責について、あらためて思いを巡らせる機会も増えてきましたが、その度に両陛下のこれまでのご苦労とご努力に、感謝と尊敬の念を覚えます。
また、両陛下からさまざまな機会に多くの話をうかがわせてきていただいていることも、今後、公務に取り組んでいく際の大きな道しるべとなるものであり、大変ありがたいことと思っております。
陛下から色々教わって「ありがたい」ってのも変だと思うんですよ。他人行儀っていうか、なーんか言葉の使い方が違う気がします。ここは「その度に身の引き締まる思いをしましたし、今後の自分の在り方に大きな影響を与えました」くらいはいえないのか?
これからのことを思うと、とても厳粛な気持ちになりますが、引き続き自己研鑽に努めながら、過去の天皇のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々とともに喜び、あるいはともに悲しみながら、象徴としての務めを果たしてまいりたいと思います。
共に喜び、共に悲しむ・・・という言葉を聞いて聖書を思い出すのは私だけ?そもそも天皇とは共に喜んだり悲しんだりするというよりは喜びは民に、苦しみは自分に・・・と祈るべき存在なのではありませんか?
また、以前も述べた通り、私が長年携わってきました水問題についても、そのことを切り口に、豊かさや防災など、国民生活の安定と発展について考えを巡らせることもできると思います。日本の変化に富む豊かな国土は、同時に自然災害、例えば台風や豪雨、津波などの影響を受けやすいことから、水問題への取り組みで得られた知見も、これからの務めの中で国民生活の安定と発展を願い、また、防災・減災の重要性を考えていく上で、大切に生かしていきたいと思います。
水問題と防災は別物なのに、皇太子はいっしょくたにして考えていることが大きな間違いだと思います。
自然災害と水問題は違います。その違いがわからず「水問題」と語ることはもうやめなさいといいたい。また天皇は政治家ではないのです。考える必要はありません。