2002年7月10-12日 献血運動推進全国大会出席
2002年7月26日 明治天皇90年祭
2002年7月31日 全国高校総合体育大会出席の為茨城顕訪問
2002年8月1日 茨城顕小児病棟視察
2002年8月8日那須御用邸へ
2002年8月16日 沼原湿原
2002年8月22日 帰京
2002年8月25日 秋篠宮家と一緒に須崎御用邸へ
2002年8月26日 須崎で天皇一家
2002年8月27日 帰京
2002年8月29日 再び那須静養
2002年9月5日 帰京
2002年9月12日 山梨県大菩薩嶺にて
2002年9月13日 山梨県塩山市の重要文化財「甘草屋敷」を訪れ敷地内のこども図書館を視察
2002年9月18日 小和田恒氏の70歳の誕生日 代官山ヒルサイドテラス「RESTAURANT PADHON」にて記念撮影
2002年10月4日 国際交流基金30周年記念・国際交流基金賞奨励賞授賞式
2002年10月6日 全国育樹祭
2002年10月12日 「夢フェスタとっとり」視察の為鳥取県訪問
2002年10月15日 藤城清治展鑑賞
女性セブン 2002年10月31日号
「皇太子妃雅子様の決断 愛子様はあえて粉ミルク」
2002年は本当に「お遊び」の年でしたね。愛子内親王を出産したご褒美とばかり、はしご静養どころかトリプル静養、このあとまた御料牧場へ行きます。
確か友納の話では「雅子様は産後の肥立ちが悪く育児休暇を1年間要求したが聞き入れてもらえなかった」とか。産後の肥立ちが悪い人がこんなにあっちこっち歩けるものじゃないでしょう。
しかも藤城清治展では絵をそっちのけで子供をあやしているという・・・べたべた触らせたりもしています。非常識極まりない。でもこれが事実なんですよ。女子だろうがなんだろうが「雅子妃」にとって内親王は「自慢の種」でしかなかったのです。
その自慢の種に発達の遅れが見られるようになったら・・・適応障害にもなるかもしれませんね。