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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 41

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 週刊新潮 2004年6月7日号

「うつ病の雅子さまは天皇・皇后に敵意を持っている英高級紙」

 彼女はは天皇・皇后に敵意を持っておりお二人が死ぬのを待っている

 「死ぬのを待っている」という表現はあくまで「待っている」という状態なだけで望んでいるわけではない。皇室ウォッチャーに聞いた」

 今思えば、まさにその通りでしたね。

 

 週刊ポスト2004年6月4日号

「皇太子雅子妃二人だけで話し合われた軽井沢の夜4時間」

 欧州旅行にされるかどうかについてだけでなく、雅子さまはなぜご自分が皇室に入る決意をなさったまでにさかのぼってこれまでの気持ちを皇太子さまに伝えたそうです。

 お二人ともご結婚当時からともに新しい皇室像を探り続けてこられた「世界に開かれた皇室」を召さ座れている皇太子さまも外交官出身の雅子様も国際親善を大変に重視している」

 しかし宮内庁は「世継ぎ問題」を最優先し、二人の外国訪問を極力控えて来た。

 外国訪問は勿論、雅子様が望まれていた福祉関係のご公務まで制限され何度もご静養期間が設けられた。

 せっかく愛子様を授かっても子育ても自由に出来ない、同年代の子供と遊ばせようと公園に連れていかれても警備上の問題でいつの間にか立ち消えに。

 雅子様は欧州旅行を最後まで望まれていたが体調がそれを許さなかった。皇太子さまはそんな雅子様の心情を思うあまり「人格否定」という強い表現まで使ったのではないか。

 天皇皇后になって、外国訪問を制限されていたらその理由はなんだと思うのでしょう?

 正直言って、今のアメリカもヨーロッパも天皇皇后を迎えたいと思う王室はないし、日本に行きたいとも思わないでしょうね。それがわからないで国内の仕込みのマンセー報道に気をよくしているなんて馬鹿じゃないかと思います。すっかり裸の王様、北朝鮮風味です。

 上記の文章ではよくわからないけど、くだけていうと

雅子 :私があなたと結婚したのは外交官の仕事をさせてくれると言ったから。外務省にいるより得だと思ったからなのに、全然外国に行かせてくれないじゃない。

皇太子 :だから今回はヨーロッパへ行こうと言ってるじゃないの。

雅子 ;愛子が一緒じゃないと嫌。

皇太子 :なんで?

雅子 :だってそうじゃなきゃ宮内庁をぎゃふんと言わせられないでしょ。3人でヨーロッパを回って皇室外交した方がずっと楽しいもの。なんで愛子が一緒じゃだめなの?

皇太子 :愛子はまだ小さいでしょう。

雅子 :愛子が一緒なら将来天皇になってもおかしくないってそう思われるもの。ヨーロッパに連れていけば泊がつく。

多分こんな感じじゃなかったでしょうかね。

 

 フライデー2004年6月4日号

「ついに陛下が緊急のお諫め発言雅子妃問題「天皇と皇太子」側近の対立

 アエラ2004年6月7日号

「天皇、皇太子ご夫妻の真実」

 帰国後3日たっても皇太子は湯浅長官に会っていない

 お世継ぎ問題

 外国へ行けなかった問題

 公園デビューをダメにされた

 この「世継ぎ問題」=「女性に子供を産むように強制している」という風潮になり、今や少子化担当大臣が何を発言しても「不適切」と言われるもとになったのではないですか。

 

 週刊女性2004年6月15日号

「皇太子さまの異例発言と雅子様の長期ご静養の背景 キャリアを阻む皇室の壁

 学歴はあるかもしれないが、キャリアはほとんどないのに「キャリア女性」と連呼するのは、今と同じです。

 

 2004年6月9日 英国タイムズ「Japanese Crown Prince demands palace reform>

 In this information void, wild rumours flourish. They include talk of the Prince and the Princess being estranged and of Princess Aiko suffering from autism. But the Crown Prince’s remarks yesterday set out the most credible reasons for Masako’s distress: the extraordinary difficulties of imperial life for a highly educated, cosmopolitan woman.

「愛子内親王は自閉症である」


 文藝春秋2004年7月号「核心証言 雅子妃その悲劇の全真相」(友納尚子)

 1993年 結婚

 結婚してから二人は食卓を共にせず「2年間は子供を作りません」

 1995年 天皇「国民が待っているからね」に対し雅子妃は「私の友達にそんなことをいう人は一人もいません」

 1997年 東宮妃懐妊プロジェクトチームが結成されるも基礎体温を測ることすら拒否されて東宮侍医辞職

 1998年 不妊治療で問題がなかったことをうけて「検査の苦しさよりも私が子供を産める身体だと両陛下にご理解頂いてほっとした」

                     ↓

          という事実を踏まえても友納尚子の文章は

「宮内庁の幹部は顔をあわせればお世継ぎの話ばかりです。妃殿下が『(皇太子と)もう少し二人だけの時間を過ごしてみたい』と述べられても、『高齢出産はお身体がきつくなります』などと周囲がたしなめたそうです。また、宮内庁の関係者は妃殿下ご本人だけではなく、ご家族やお父様がつとめておられた外務省にも『とにかく一人産んでくれればいいんですから』『これは国事行為ですから妃殿下に産んでいただくよう諭してください』『産んでくれれば日本経済のGDPも三パーセント上がるんだから』などと露骨な言い方で迫りました。不謹慎な発言は、妃殿下の耳にも届いたようです。

妃殿下が求められているのは世継ぎを産むことだけ、皇室外交なんてとんでもないといわんばかりでした。

天皇皇后両陛下が強くお世継ぎを望んでいる、ということも毎日のように聞かされたそうです。

愛子さまが生まれてからも日をおかずに、医師から『二人目のお子さま』について相談がありました。
 妃殿下は決してそういうことをおっしゃるような性格ではありませんが、これでは何のために外務省を悩んで辞めたのかわからない、世継ぎを産むための機械ではないと思っても人間として当然です。繰り返しますが、誰よりも妃殿下こそがお世継ぎの誕生を一番望んでいるのです。しかしまた、皇太子妃のおつとめはそれだけではないはずです。親身に聞いてくれるのがお世継ぎの話題だけでは、ご自分の存在に疑問を持たれるのは当然ではないでしょうか」

 体に異常がなく、年邸的には高齢、1人目がすくすく育っているなら自然に母として「二人目」を考えるのではないでしょうか。それを「何のために外務省を悩んで辞めたのかわからない」と思うことがおかしいのです。

 結婚して10年。外務省のキャリアなんて過去の遺物。そういうことに拘って子供を持つ幸せを「幸せではない」と思いきる雅子妃がおかしいと思います。だったら結婚なんかすべきでなかった。あくまでも恩着せがましい考え方だなと思います。



 テーミス2004年7月号

「天皇皇后は「女帝」を望まれてない」

 「(略)御用掛として雅子さまが信頼していた堤治東大教授も昨年、研究費の不正流用事件で失脚、いまは相談できる医療関係の人間もいません。その堤教授は『雅子さまは妊娠中もタバコを辞めなかったんだ(原文ママ)』となどと周囲に漏らしていたというのですから、皇太子夫妻が不信感を抱くのも当然でしょう」
 この関係者によれば、東宮職の職員からは雅子さまの寝室に関する詳細な話や身体に関するプライベートな情報まで漏れていたという。これでは雅子さまは侍従も女官も信用できない。(←堤治医師がデマを吹聴しているなんて論調ではないことに注目)
 雅子さまを知る人物がいう。
「秋篠宮のお子様の誕生日には行くというのに、愛子さまには初めから会おうとされない。雅子さまにしてみれば体調が悪いなか、雨にもかかわらず、両陛下がやっと時間をやりくりされて会ってくれると思ったのに、皇居へ出掛けてみれば侍従しかいなかった。

ご自分のことなら10年間ずっと耐えてきたが、苦労の末産んだわが娘を拒否、無視されたことで、大変なショックを受けたのです。

翌12月2日、帯状疱疹と発表されたが、格好がつかなくなった宮内庁は12月4日から8日まで雅子さまを入院させてしまった。

おまけに退院の日に雅子さまが首に巻いているストールを「皇后さまのお見舞い」とリークさせたが、実はそのストールはもともと雅子さまが結婚前から持っていたイタリア製のルチアーノ・ソプラーニでした 」

 これは堤教授の部分以外は全部デマだと思います。皇太子妃自ら愛子内親王を連れて参内しなかっただけなのに。


 2004年6月18日 林田東宮大夫の記者会見

「(週刊誌報道について)勝手な憶測であり事実ではない」

「(愛子内親王自閉症報道に)全くの事実無根で不本意だ。大変健やかに成長されている」

「(映像で発表することは)検討している。しばらく時間が必要」


 フライデー2004年6月25日号

「皇太子の文書と天皇家の葛藤」


 週刊現代2004年6月26日号

「仰天宮内庁が激怒する「タイムズ」の新たな報道「タイムズ」が報じた愛子内親王に関する心配事」

 女性自身2004年7月13日号

「宮内庁幹部が語った「心の叫び」雅子様「医療だけでは救えない」両陛下が一番心配なこと」

 週刊女性2004年7月13日号

「御静養6ヶ月雅子様復帰のカギは「再度の転地療養」と「愛子様の養育問題」

 女性セブン2004年7月29日号

「皇太子妃雅子様復帰テニスに冷や水新侍従に「少子化のプロ」再び問われる宮内庁の無神経」

 女性自身2004年8月3日号

「雅子様のご両親緊急帰国 あの別荘で話し合い再び」


 2004年7月28日 東宮御所にて沖縄豆記者に面談する皇太子と愛子内親王

後にこれは「影武者」と断定されている。どうみたってこれは偽物でしょう。


 女性自身2004年8月17日・24日号

「総力特集・「適応障害」発表の裏側ご公務復帰に向け「8月の正念場」雅子様「お元気姿」目撃!殿下小和田ご両親と頂上会談」

 週刊現代2004年8月21日・28日号

「雅子妃は適応障害発表の裏で宮内庁が情報操作」

 2004年9月4日 参内。愛子内親王はおむずかりで不参加


 女性自身2004年9月21日号

「雅子さまを助け励ます愛子様の「お手伝い電話」

 雅子妃に代わり愛子内親王が内線電話で「ご飯お願いします」「新聞持ってきてください」という。優秀伝説の始まり。


雅子妃の病名は「適応障害」これは医師と患者である雅子妃が命名した世にも不思議な病名です。

そしていわゆる「適応障害とは何か」という本が沢山出版されました。その定義は「環境に適応できない。その環境から離れれば数か月で完治」というものでした。

雅子妃の場合、離婚すればすぐに治った筈なんですが小和田恒氏から「皇室内で自分の道を見つけるように」と諭されなくなく皇室に…(お可哀想神話)

 皇太子の欧州旅行に愛子内親王を連れて行きたいと言い張る

 愛子内親王を3年保育の幼稚園に入れたい → 学習院以外に行きたいと希望していたが宮内庁に反対されて断念

とにかく娘に徹底的にこだわりひっつき続ける雅子妃。この状態が15年くらい続くわけですが、通常の母親でもここまではしないだろうと思う程に娘と一緒じゃなきゃ嫌というのはどうしてだったのでしょう。

宮内庁の中で愛子内親王の自閉症診断を確定させたい、あるいは療育をと進言する人がいたかもしれません。ヨーロッパに連れて行きたがったのは「娘は正常」と言いたかったからだし、3年保育も「通常の3歳児と全然変わらない」ところを見せたかったからと思います。

でも実際問題、言葉は遅かったようですし表情もないしひどい偏平足で歩くのもなかなか難しかったと思われる愛子内親王が、私立の3年保育幼稚園に入園というのはかなりキツイ話ではなかったかと。オムツがとれてもいなかった・・・とも思われますし。

真正面から受け止めるべき娘の状態を、盛って盛って盛りまくる事で「伝説」だけ独り歩きさせる。それが小和田流というか北朝鮮風味なところなのです。

沖縄豆記者に偽者を連れて現れたこと、それに加担した皇太子が今や天皇ですからね。

 

 






 


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