正直、こんな表現の仕方をする国は日本だけじゃないの?と思います。
「旧日本軍が組織的な戦闘を終えた日」というのはいうまでもなく1945年6月23日で、いわゆる「沖縄慰霊の日」です。
今までは素直な気持ちで6月23日は慰霊の日だと思って来たし、素直な気持ちで黙とうして来たのですが、今、沖縄自体に対してとても複雑な気持ちです。
私は太平洋戦争というのは避けられなかったと思っています。それは世界中がそうであったからです。どこにも平和な国はなかったし、なんらかの形で戦争に巻き込まれていったと思うので、日本だけが悪い、日本は悪の枢軸国であったという意見には反対です。
6月23日は沖縄戦が終結した日であり、沖縄が負けた日です。
そしてこの日は、アメリカが何の罪もない沖縄島民を火炎放射器で虐殺した戦闘が終わった日です。
「旧日本軍が・・」というと、主体が日本で沖縄を攻撃したようにとれてしまうのではないでしょうか。
玉城知事の
「(辺野古移設について)民意を尊重せず、地方自治をないがしろにするものだ」
「全ての人の尊厳を守り誰一人取り残すことのない多様性と寛容性にあふれる平和な社会を実現するため、全身全霊で取り組んでいく」
という挨拶もどうかと思います。
70以上経過しているのに被害者意識が強すぎるのでは。
「我々は見捨てられた」っていうけど、船も飛行機もない日本軍がどうやって住民を守ることが出来ただろうか。そんな事百も承知のアメリカが民間人を虐殺したという事実が問題なのではありませんか。
こんなにも沖縄が「反日」になってしまった原因に、上皇・上皇后の肩入れがすぎたこともあるんじゃないかと思います。
昭和天皇は最後まで沖縄に行けなかったことを気にしていらした。
でもそれは天皇として沖縄の人達に対し、「苦労をかけた」とおっしゃる為であって、「あなたたちは被害者で気の毒な人です。国の犠牲になって。そんな必要なかったのに。日本がもっと戦争を早く終えていればね・・・」という為ではなかった。
戦後、初めて上皇夫妻が沖縄へ行った時に火炎瓶テロがあり、それに負けなかった偉大なる「皇太子夫妻像」が形成され、当時、皇太子だった天皇は「それほどまで自分達は憎まれているのか。やっぱり昭和天皇の罪を背負うのは自分達しかいない」と思ったんだろうな。
沖縄だけでなく、北方領土もそうだし、どうしても本土から遠い上陸しやすい場所は狙われる。防衛線になりやすい。それは摂理です。
だから日本は最初に真珠湾を攻撃したんでしょう。
今、中国、韓国、北朝鮮、ロシアとはっきり言って敵国に囲まれている日本にとって遠島や海の近くは非常に狙われやすく防衛の為の準備をきちんとしなくてはならないのです。
住民の避難はどうなる。命を大切にしてないとマスコミは書くけど、本当の戦闘になったらたとえそれが自衛隊であっても、一人ひとりの住民を気遣っている暇はないでしょう。
それはそうなりそうな時に、住民が自分達で考えどうするべきか決めるべきでは。
災害などの時は頼りに頼るのに、いざ、国の為に戦闘となるというと否定する・・なんておかしな話です。
私は6月23日を軽視しているわけではありません。
「ひめゆりの塔」は映画も見ましたし、本も読みましたし、その場に自分がいたらどんなに恐ろしく苦しいことだったろうと戦慄しました。だからこそそんな理不尽な目にあってしまった沖縄の人達を気の毒に思うし、遺族も辛く悲しい日々を送って来ただろうと思います。
いつか沖縄へいったら摩文仁の丘やひめゆりの壕へも行きたい。元気なうちに慰霊の旅を行いたいと思っています。
しかしながら沖縄は毎年注目されるし、碑も立てられ、皇室がひときわ目をかける場所であるのに対し、占守島はどうであったか。樺太の人達だってどんなにひどい目にあったか。
両極端な場所で両極端な扱いをされているということが信じられないのです。
私がいた仙台においても学校のそばの大年寺山が焼け、ものすごい空襲を経験しています。
日本中そうだったのですよ。
確かに旧日本軍というのは、官僚化して軍部の内部で混乱し、隠蔽し、ひどい組織だったなと思います。
しかし、前線で戦っていた兵士たちはそうではない。あるいは、戦場にいた司令官などは決して国民をないがしろにしたり、自分達だけの利益を考えたりはしていなかったと断言します。
沖縄に関しては「集団自決」という嘘まで書き立てて、日本を悪者にしている。
何でそこまでやるんだという気持ちでいっぱいです。
戦前も戦後もマスコミの体質は変わってない。そして騙されている国民性もまた変わっていないのだなと。
そういえば「ご黙とう」なさったようで何よりですわ。