語るなかれ・・・とは言われつつも印象だけね。
桜花昇ぼる・・・男役トップスター。顔は中世的で貴公子的。斑鳩出身という事は
聖徳太子の生まれ変わり?
(でも古代の衣装よりは着物の方が似合ってる)
宝塚でいうと紫苑ゆう風な・・・凪那瑠海風というか?
非常に若々しいというか妙に初々しいというか・・・不思議な人で
思わずじーーっと顔を見てしまう感じでした。
宝塚でいう所のトップってやっぱりピラミッドの頂点に立っている人
ですけど、この方は「守ってあげたい」「奉ってあげたい」というイメージ。
ファンにとってこんな育て甲斐を感じる人はいないのかも。
高世麻央・・・二番手・・でいいのかな。顔は星条海斗風。でも雰囲気は高汐巴とか
安寿ミラとか。
二枚目も悪役もコメディも一応何でも似合いそうな。ものすごくよく
トップさんを支えている印象です。
朝香櫻子・・・娘役トップ?顔は舞風りら風。でもその実力となりきり度は群を抜いて
威風堂々。男役すら従えちゃうすごいオーラの持ち主。
彼女の顔を見ていると舞台に引き込まれていきますね。
勿論、他にも一杯いるけどよく知らないのにこれ以上は語れないなあと。
ただ・・・・
ここ100年の流れの中で宝塚は進化し、OSKは衰退した理由というのは
何となくわかります。
東京にSKDがあったお陰で関東への進出が出来なかったから・・・というのが
ウイキに出ていた理由ですし、専門家さん達の意見として
「レビュウ衰退の時期にあってミュージカルに移行できなかった」というのも
あるかと思います。
宝塚も昔は芝居よりショーの方が重きをなしていた筈ですが、今やすっかり
立場が逆転 より「グランドロマン」そして海外ミュージカルの輸入に走り
今やショー作家の不足が問題点になる程。
なぜショーが衰退したかといえば、多分、コストばかりかかってテレビやサーカス
に匹敵する刺激が得られなくなったからではないかと思うんですが
観客層の「ブロードウエイが中心」という意識の変化もあるかもしれませんね。
(日劇が消えていった理由もそこに?)
だけどそれだけじゃないのでは?
今回の「JUJU」を見て、大きく感じたのは、男役陣の「素人っぽさ」でした。
芸歴20年というわりには、下級生のような初々しさを持っている人達。
どこかで「素」が出てしまいそれが「照れ」になっているような違和感。
要するに「型」がきっちり出来上がっていないということです。
男役も娘役も「型芝居」ですよね
ただ燕尾服着て髪の毛が短いだけでは男役にならない。
何十年もの歴史の中で培われた「男役の芸の確立」これがトップスター
だと思います。
OSKの場合、娘役達がきっちり「型」にはまって、「素」を隠しなりきっているのに
比べて男役達に迷いを感じるのは私だけかしら?
「宝塚とは別物でいたい」という思いが強いのかもしれないし、
「私達はレビュウ劇団」という意識もあるでしょうし。
でも、歌舞伎だって狂言だって流派はあれど最初に
覚えるべきことは「型」ではないでしょうか?
そこらへんが妙に「ゆるーい」なあと思った次第です。
動作の一つ一つ、声の出し方、歌い方、台詞の喋り方、全部をもう一度
見直してみる。そこで型が宝塚と同じレベルになって初めて
「OSKらしさ」を見せる事が出来るのでは?
銀橋も大階段もないけれど、縛りがない分自由に構成・演出できる面白さ。
「関西限定」だからこそ貴重だし、東京とは違うものの見方や感じ方、そして
伝統や文化を広く紹介していく宿命を負っているのだと思えば、作品にも
それなりの特色が出てくる筈。
そして、地方の小さな箱での上演も多いらしいので、客席と一体型という
非常に「おいしい」部分を独り占め。どこかの高みから下を向いてる歌劇団とは
違う「酔い」を与えることが出来るでしょう
そういう意味では先が楽しみな劇団だし、この灯火を消さないように頑張って
欲しいと思います。
宝塚が忘れてしまった「お客と同じ目線で、日本的な芸の楽しみ方」を
持っているOSK。
理屈や整合性にばかり囚われている現代において、真の意味で
「夢夢しい時間」を過ごせる。なんて贅沢なことでしょうか?