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宝塚100年に向けて・・・原点に帰れ7

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 今回も頑張ります

 

 昭和11年12月 脚本集 

 

何度も書いているように昭和11年あたりといえば、宝塚は20年を超え

いわゆる「過渡期」を迎えていました

浅草オペラやエノケンがブームになり、少女歌劇は刺激がない・・・と思われた

事もあったようです。

そんな中、宝塚は独自のミュージカル路線を敷き、「男役」「娘役」の芸風の違い

を明確にして、さらに作品も大人っぽくしたりして生き残りをかけていました。

葦原邦子、小夜福子の人気もまさに頂点。

次世代のスターは・・・という時期でもあったようですね。

 

 少女歌劇を誤らせるもの・・・・二宮隆一

 

1・・我々は少女歌劇に少女らしさを要求する。

これは至極当然な要求であるように見えるが

女性ファンの皆様が、果たしてこの当然すぎる位当然な要求に

口先だけでなく、心から賛同してくださるかは、甚だ疑わしいのである。

 

ボクは、皆さんが少女歌劇に少女的なものよりいも、むしろ中性的なものを

無意識のうちに求めておられるような兆候を十分に看取するからである。

その最も明瞭な証拠は、男役生徒の圧倒的な人気である。

人気のバロメーターとも言うべきブロマイドの売り上げは聞くところによると

小夜、葦原で全体の過半数を占めるという程、主役をする男役生徒の

人気は素晴らしいのである。

すると皆さんは「それは二人がずば抜けて巧いんだもの」と反論するかも

しれない。

ところが実の所は二人がずば抜けて巧いなぞとは絶対に

ないのである。例えば踊りだったら差予算よりも雲野さんや天津さんの方が

巧いし、歌だったら、タッチンさんだって櫻井七重さんだって葦原さんに負けない

位巧いのである。

 

ところが娘役生徒の人気は男役生徒の圧倒的なのに比べると、人気というよりも

むしろ、地味な、掛け値のない値打ちという感じがする。

ボクは昔のことはよく知らないが、紅千鶴などは男役の誰よりも人気があった

のではなかろうか。

ファンにしても昔はもっと男のファンが多かったそうであるから。大多数の

処女ファンの中性的な要求が支配的となり、それが舞台にも反映し

男の観客が次第に宝塚から去りつつあるという事が言えるのではないだろうか。

 今更「ドンブラコ」に戻れといわれてもね・・・ という感じですが。

  宝塚で最初に断髪にしたのは葦原邦子だそうです。

  彼女の生前のインタビューでは「あの当時は髪を切るという事に決心が

  いったけど、男役だからばさっと切っちゃったのよ」とかおっしゃってました。

  そしたらみんな真似を始めて・・・結果的にそれが「男役」というものの

  芸の確立に繋がったのでしょうね。

 今も昔も女の子は「中性的」が大好き

  吉屋信子の小説が流行ったのも、華宵の絵が好まれたのも、そこに

  「中性的」なものがあったからだと思うんですね。

  思い切り現実離れしてて理想が服着て歩いている男性がいたら・・・なんて

  「巧い」とか「下手」じゃないのよーー

 男性ファンが減った・・・とか言ってますが現代の私達からみると

  十分に男性ファンが多いし、娘役主体の舞台だってまだまだ多かった。

  二宮さんが今の宝塚をみたら「なんじゃこりゃ」と言って逃げ出すかも。

 

2・・我々は少女歌劇に生徒らしさを要求する。

ボクはいいたいのは生徒というのは本来なんであるかという事である。

宝塚音楽歌劇学校が学校であるならば、生徒はそこで、、音楽・舞踊・演技を

勉強している学生に違いない。

 

学生というものは、学問を勉強しているものであるが、それが芸術的な

学校ならば、その生徒は芸道を勉強しているものである筈である。

さて、この芸道であるが、一般観衆に喜ばれない芸などというものは

存在の理由がないとすれば、観衆を魅惑する事の出来ない生徒は

芸道を学ぶ学校の学生としては劣等生である事は間違いない。

 

観客をチャームすることは、生徒らしくないどころか、大いに宝塚音楽歌劇学校

の生徒らしきことだといいたいのである。

また、生徒らしさの中に研究的な態度を含めたい。

少女の持つあらゆるよきものの舞台的な表現。それを我々は要求する。

 ちょっと何がいいたいかわかりにくい文章ですけど、要は完璧に出来ない

  ならやるな・・研究を怠るな・・・的な叱咤激励?

  二宮さんの文章はくどくて読みにくいですよね・・・(ってごめんなさい)

 今風にいうと「観客を感動させられない生徒はいらない」という事ですが

  それをこのまま現代の演出家にあてはめて「観客が共感できない脚本を

  書く演出家はいらない」我々は宝塚の演出家に「宝塚らしさ」を要求する・・・

  といったところでしょうか。

 小林一三校長はあくまで「学校宝塚」を主張してきましたが、一方で商業演劇

  として利益を出そうとしている。生徒にプロ級を求める・・・という矛盾が

  生じていたわけで

  ゆえに「少女歌劇っていうんだから少女にふさわしいものをやるべき」とか

  「いやいや日本の演劇界を牽引する存在になれ」とか、色々な意見が出て

  くるわけですね。

  その中途半端さがイラっと来るときもあったようですね。

 

昭和9年。「憂愁夫人」の葦原邦子&櫻町公子。

バイオリンを持つ葦原邦子の顔がとっても素敵です。

この作品は貴族の令嬢と音楽教師との身分違い恋を描いた作品で

大ヒットしました.

大路三千緒さんなどは「憂愁夫人」を見て宝塚入りを決めたとおっしゃってました。

 

決闘シーン。これで彼は彼女を残して死んでしまうのです・・・・

やがて彼女は「憂愁夫人」というあだ名を持って社交界に帰ってきます。

昭和9年10月の演目は星組で

・ オペレット「封印された市長様」・・・春日野八千代

・ 歌劇「牡丹灯篭」・・・門田芦子

・ 喜歌劇 「杭争い」・・・嵯峨あきら

・ レビュウ 「憂愁夫人」・・・葦原邦子・春日野八千代

ここでいう所の「オペレット」と「レビュウ」の違いは脚本を読んだだけでは

はっきりしないんです。でも「封印された・・・」よりも「憂愁夫人」の方が

格上だったおんは確か。

3本立てや4本立てにして主演する人をふやし、新人を育てるという

おおらかな時代でしたね。

 

封印された市長様の春日野八千代

 同じく「封印された・・」麻路さきに似ている

                    春日野八千代。

 


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