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新章 天皇の母 7

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懐妊がわかってからも「紀宮」(きのみや)の公務はつつがなく続いていた。

出来るだけ普通に過ごす・・・ことが「紀宮」(きのみや)のモットーであり、懐妊したからといって特別な事は何もなかった。

「女一宮様の時、東宮妃は健診の度に東宮様をお連れになって。それくらい二宮様もして下さってもよろしゅうございましょう」

と時々亭主関白の二宮をあしざまに侍女が言うのだが、「紀宮」(きのみや)は微笑んで

「そんな大事ではないでしょう」と言った。

侍女としては「紀宮」(きのみや)を庇っての発言だったが、さらりと受け流してしまうのが「紀宮」(きのみや)の性格だった。

東宮家は今や夫婦別々の時間が増えているといい、公務も東宮単独であったり夫妻ともキャンセルをする事が頻繁になっていた。

だから、そのつけが二宮の方に回って来たかのごとく、日々忙しいのだ。

二宮も「紀宮」(きのみや)もそれぞれ総裁職についているし、お出ましの前には必ず説明を聞き、予習を行い、さらに知識を深くする為にあらゆる文書を読み込む。

誰かと会う時にはその情報も完璧に頭に入れなくてはならない。

大姫や中姫の時よりは、妊娠初期だというのに体が重く感じるのはやはり年齢のせいなのだろうか。心なしかつわりも長いような気がする。

けれど、だからといって公務を度々休んでは皆に迷惑がかかる。遠出をする以外は出来るだけきちんと役目を果たしたい。これまた「紀宮」(きのみや)の意地だった。

二宮は性格がせっかちで時間に厳しい一面を持っている。だからほんの少しでも遅れるとすぐに怒るのだが、そういう時もギスギスした家庭内の雰囲気を笑いに変える力を持っているのは「紀宮」(きのみや)だけだった。

年頃の大姫はお父様大好きな姫だったけれど、最近は言葉少なになっているし親子でいる時間も短い。それでもちゃんと二宮と一緒に沖縄へ出かけ母の代理としての公務を立派に務めている。

甘えん坊の中姫は毎日宿題に忙殺される日々。でも家族の中では最も情報通であり、時々ドキっとさせられることがある。

大姫も中姫も東宮家の在り方には我慢ならない場面も多々ある。

思春期の乙女らしい正義感から「どうして東宮妃は何時間も遅れても何も言われないの?」

「どうして女一宮は叱られないの?」「どうしておじい様もおばあ様もお母さまたちには厳しいのに伯父様達には優しいの」

そんな疑問をぶつけてくるたびに「あちらはあちらですよ」と言葉をそらして来たのだが、中姫はそれでは納得しないのだ。

先日も、いきなり東宮家が日本一の遊園地を真昼間から貸し切り状態にし、さらに東宮妃の妹家族までお手ふりして遊び倒した事を週刊誌で知った中姫は「ずるい」と言い出す。

週刊誌には、東宮家と東宮妃の妹一家が1時間以上も予定をオーバーして乗り物に乗っていたこと、昼食のレストランは一番人気の場所でしかもいきなり少人数で貸切ってしまったこと。常に真っ先にアトラクションを占拠する為、並んでいる人達がさらに時間を取られたこと。トイレなども使用禁止にされ、子供達がお漏らしをしてしまった事などが多々批判口調で書かれていた。

もし、二宮一家がこんな事をしたら真っ先にお上や皇后に叱られるし、宮内庁がまずそれを許さないだろう。

それなのに東宮家の遊園地貸し切りはあっさりと認めらてしまった。

それも「東宮妃の治療の一環」として。

大姫も中姫も、まだこの超有名な遊園地には行った事がなかった。

両親から人混みには入らない様に注意されていたから。たしか叔母の未草の君もお忍びでこっそりと訪れた程度だった。

「警備の人に迷惑がかかるから」という理由で止めらているのに、東宮家は1000人もの警備員を配置し、車列を連ねて行ったのだ。

大姫も中姫もこの理不尽さには怒りを覚えている。

でもいつも本当の気持ちを心に秘めてしまう大姫は何も言わず、顔色すら変えない。一方で感情が顔にでる中姫は堂々と口に出しては叱られる。

「他人をうらやんではいけません」

「うらやんでいるのではなく、特別扱いされるのはどうしてって。そうお聞きしているの」

大きな目は疑問符に溢れ、とがらした唇は小鳥のように可愛い。

「特別扱いではありません。東宮家と私達では身分が違うのです」

「中姫。お母さまを困らせてはいけないわ。お母さまのお体は今、お一人じゃないんですもの」

「そうね。私はお姉さまになるんですものね・・・お姉さまってつまんない」

中姫はつんとして自分の部屋にこもってしまう。

「紀宮」(きのみや)はため息をついたがそれ以上は何も言わなかった。

 

「どう・・・されましたか」

春の風が吹く頃、健診を受けた「紀宮」(きのみや)はいつになく元気がなく、落ち込んだ雰囲気だったので、侍医は心配してそっと声をかけた。

この侍医は大姫も中姫を取り上げた経験があり、二宮からも「紀宮」(きのみや)からも絶大な信頼を受けていた。

「ああ・・いいえ、何も」

「やはり、上のお子様方とは違うでしょう?お体が」

「そうですね。腰が重いし頭痛もあるし。汗が出たりもいたします。今までなんのきなしに出来た事がつい億劫になって自己嫌悪に陥ります」

「それは当然ですよ。大姫方をご出産遊ばされた時はお若かった。いや、お妃さまは今も十分お若いですがね。無理をなさらずお休みになる事が第一ですよ」

「紀宮」(きのみや)は弱弱しく微笑んで「はい」と答えた。

「子供を産むという事はやはり大事業なんですね」

「それはもう。命がけのことです。昔から女性は命がけで命を生み出して来たのですよ」

侍医の言葉にもどこか上の空の「紀宮」(きのみや)

「お妃さま。どうかされたのですか。何でもおっしゃってください。体の健康も大事ですがそれ以上に心の健康が大事なのです。何かひっかかることがあるのなら」

「いえ・・そういうわけではありません。中姫が少し赤ちゃん返りをしているだけですわ。おかしいでしょう。小学6年生にもなって」

「そんな事ございませんよ。まあ、姫様方には突然のことで歓びと同時にお母さまをとられるというような感情もお持ちになるのでしょう」

「そうですね」

「紀宮」(きのみや)はふふっと笑った。

 

東宮に対する姫達の不信感もさることながら、見るつもりもない週刊誌の見出しが「紀宮」(きのみや)の心を傷つけていた。

「そこまでして男の子が欲しいか」というタイトルだった。

「東宮妃のことを思うとお可哀想で。やっぱり「紀宮」(きのみや)様の事は喜べません」

「女は男子を産むべきなの?そうじゃないと女じゃないわけ?時代錯誤」

「女一宮だっていいじゃない。何で今更・・・」

「「紀宮」(きのみや)様って野心家なんじゃないの?東宮妃を否定する」

どうして急にこんな記事が出始めたのだろうか。

世の中の女性がみな女の子を産むか男の子を産むかで悩んでいるのか?

「紀宮」(きのみや)は大姫の時も中姫の時もお祝いこそ言われても、その存在を否定されたことはなかった。

今回の懐妊は、元々3番目が欲しいと思っていた所で、東宮大夫の「第3子を」発言によりお上からお許しが出た事だった。本音を言えばもっと早く産みたいと思っていた。

二宮も「紀宮」(きのみや)も子供は大好きだし、何人いても楽しいと思っていた。

それなのに中姫が生まれてからは「東宮妃より先に懐妊すると傷つくのは「紀宮」(きのみや)、あなたよ」

「もし二宮家に先に男子が生まれてごらんなさい。東宮家に生まれる親王より年上になってしまうでしょう。そしたらどちらも苦労する」

皇后の言葉によって、自然と3人目を諦めざるを得ないと思っていたのだ。

勿論、皇統についての二宮の心配の仕方は傍目にもわかる程だった。

2000年以上も男系で繋いで来た皇統が女一宮を立てることで大きくゆがめられてしまうのではないかとの危惧は常に付きまとっていた。

そもそも総理大臣は女帝と女系の違いすらわからず、「長子優先」などと言い出す始末。

実際の女一宮を見ることなく、次から次へと「皇統」に対する法が整備されて行きそうな雰囲気は恐怖でしかなかったのだ。

東宮は女一宮の状態を隠そうとして「英語が話せる、作曲も出来る、何でも出来る」と自慢ばかりするけれど、「天皇」という地位が果たして女一宮の幸せになるのかどうかは一切考えていない。

皇族に私なしの考えが吹き飛ぶ程、勝手気ままを始めた東宮妃には危機感ばかりが募る。

もし、3番目を産む事が出来れば、それが皇子でも姫でも二宮にとって心の癒しとなる筈だった。

それなのに・・・・どうしてこんな心無い記事を書くのか。

 

「紀宮」(きのみや)は微笑みつつも心は十分に傷つけられていた。

でも実はそれはほんの序の口だったのである。

 

 


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