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日本一強い妃 皇嗣妃殿下の肖像 1

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 朝日新聞 1989年8月26日

「礼宮殿下ご婚約固まる同級生・川嶋紀子さん両陛下・ご両親とお会い」

 静岡新聞 1989年8月27日

「紀子さんは静岡生まれ 礼宮殿下ご婚約へ」

 

 1989年8月28日 父・川嶋辰彦氏と姿を現す川嶋紀子さん 

 

 週刊文春1989年9月7日号

CATCH UP 礼宮様のフィアンセは22歳の大学院生・礼宮婚約は美智子皇后の深謀」

 週刊朝日1989年9月8日号

「おめでとう礼宮さま・3LDKのプリンセス川嶋紀子さんのすべて・スクープ礼宮様が本誌記者に語った紀子さんへの熱い思いやり・学友たちが見た5年越しの愛・カラースペシャル若い恋のアルバム」

 婚約スクープは礼宮殿下の知らない所で。

 記者に「ご迷惑をかけていたらすみません」と謝る殿下。

 ちょっぴり硬派でさわやか紀子ちゃん

・5歳から乗馬

・家にテレビはなく紀子ちゃんのお部屋には本がぎっしり。最近増えたのは母と共用のCDプレーヤー。でも聞くのはロックじゃなくてインドの民謡など、

・紀子ちゃんは毎朝、自宅と隣り合った大学のキャンパスにジョギングにでかける

「みんなが窓をあけるから起きてしまうだけなのよ」

・中学時代から本格的にテニスを始める。サーブを一球一球打ち込むごとに会釈をする

・父の留学でアメリカ、ウイーンで暮らす

・高校では山岳部

・新潮162㎝でぽっちゃりタイプ。多少太りやすいことは気にしている感じ

「夏休みが終わったら紀子ちゃん一体どうしたのよというくらい痩せていたんです。早朝のジョギングで痩せたんですって。努力家の彼女らしい(BY同級生)」

・テレビを見ないので回りと話題がずれることも。そういう部分は殿下と相性がいいかも。

・中学の同級生曰く「帰国子女で日本語に苦労。頭で先にドイツ語で考えることがあって困っちゃう」と話していた。

・礼宮様へのはがきも各国語の暗号

・高校時代はクラスの厚生委員。ハンセン病患者の為の構内募金運動にも携わる。

・大学に入ってからは心身障碍児施設の慰問などのボランティアに熱心

・「私は結婚しても自分のやりたいことと主婦業を両立させたい」

・大学3年の秋には「東南アジア青年の船」に参加

・特技は何?で披露した手話

 大ヒットだ礼宮殿下

・礼宮は「東宮のスサノオ」と呼ばれていた

・職員を観察している → 興味は爬虫類の方へ向かっていく

・アメリカやウイーンで暮らした経験のある紀子さんは身に着いた国際性があり、また手話などボランティア精神もある。庶民の暮らしも知っている。

 

アサヒグラフ 1989年9月8日号

「礼宮さまのお妃に同窓の川嶋紀子さん」

 サンデー毎日 1989年9月10日号

「緊急速報礼宮さまの恋 お相手川嶋紀子さんのすべて」

 女性自身 1989年9月12日号

「おめでとう!!礼宮様(23)電撃婚約!両陛下もご了承

 

  週刊女性 1989年9月12日号

「礼宮殿下ご婚約発表!葉山デートから恋が始まった・紀子ちゃんはアパート住まいのプリンセス」

 女性セブン 1989年9月14日号

「独占スクープ!星空の下で誓い合った結婚」

「紀子さんとドライブしたいために免許をおとりになった礼宮さま 初めてのデートで葉山の海岸をお散歩」

とにかく婚約発表した途端「紀子ちゃんフィーバー」が巻き起こってしまったのです。

どの雑誌も写真誌も取り上げるのは「礼宮&紀子ちゃん」でした。

それはどうしてかというと、「時代」もあったような気がします。

昭和天皇が亡くなられ、それまでの数か月間「自粛」ムードに覆われていたのでした。

ところが川嶋紀子嬢という、とても可愛らしくてチャーミングでマスコミにもきちんとご挨拶するお嬢様が突然出て来た。

世の中はバブル時代。みんなお金に走っていた時代に「テレビが自宅にない」プリンセスが登場です。しかも、今時見た事のない程慎ましやかで尚且つおっとりとした方だった。

最初の写真。川嶋教授と歩く紀子様は清楚なワンピース姿。

それがまた一段と好印象を持たれたのでしょう。

礼宮との恋愛を成就させたという意味でも「シンデレラ」ですもの。

好意的に、そして激しく紀子ちゃんは国民のアイドルになっていったのです。

これぞまさしく「国民のお妃」といえましょう。

 

 

 

 

 


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