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Channel: ふぶきの部屋
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新章 天皇の母 10

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女官から事の次第を聞いた后の宮は多少狼狽の様子をお見せになり「お上にお伺いを立てて」とおっしゃった。女官はパタパタと侍従長の所へ走って行く。

成婚の宴を先取りするとか先延ばしにするとか、一体東宮妃は何の権利があってそのような事を申すのか。

誰でも普通にやっていることではないのか。

東宮妃は女一宮の入園準備で忙しいとかいうが、手作りの筈の通園バッグの刺繍だって自分でするわかけではないし、制服の用意もお弁当も何もかも他人が行うのではないか。

それなのに、毎年恒例になっている成婚の宴に出席することもかなわないとは、一体どのような料簡なのか。

先日も、巨大遊園地を得意そうに闊歩する姿が雑誌に載っていた。

かつて未草君(ひつじぐさの君)がこっそりと学友たちと訪れた時とは全然違う。マスコミは苦手だのフラッシュは嫌いだのと言っておきながら、自ら大衆の前に姿を見せて、特権階級のようにふるまっていた。

そんな風にお思いの后の宮は色々考えをめぐらし、それからため息をもらされた。お顔は憂鬱にゆがみ、悩み多く、急にお元気すらなくなりそうな雰囲気で。

(ここで成婚の宴についてあれこれ言えば、東宮妃は批判された、いじめられたと回りに語り、週刊誌がどのように書くかわからない。ここは言う通りにするしかないのだろうか)

暫くすると、ドアがノックされ、女官長と侍従長が現れた。

女官長は「失礼いたします。お茶をお持ちしました」と申し上げ、女官に盆をテーブルの上に置くように指示する。

美しい薔薇模様の盆の上にはボーンチャイナのカップとポット、そして小皿にはベルギー産のチョコレートが載っている。ポットからお茶を注ぐと香り豊かなフォートナム&メイソンの色が出る。

后の宮は小さく「ありがとう」とおっしゃり、それからカップに砂糖を一さじ入れてかき回す。湯気が春の訪れを知っているかのように沸き立つ。

「それで?」優雅なお茶のひとときだというのに后の宮の瞳は探るように侍従長をご覧になる。

「お上のご予定を検討し、東宮妃の御心を安んじるには2日前がよろしいかと」

「2日前倒しにしろというのね」

后の宮は紅茶を一口飲んだ。温かい飲み物はそれだけで心を明るくするというのに。

「お上がそれで構わなければ私も賛成いたします。くれぐれも東宮妃の体調を優先するように」

「かしこまりました」

「ところで」

「はい」

「新しい東宮大夫はどうなのですか?連絡を取り合うことも多いでしょう」

聞かれて侍従長は「はい。さすがに外の務のご出身であり東宮妃ともお親しい間柄でツーカー・・といいますか。忖度が効くようでございます」

「「官犬大夫」(かんけん大夫)と呼ばれているとか」

「女官達が勝手に呼んでいるのでございます」

「「官犬大夫」(かんけん大夫)は東宮妃の心に添っても諫めることは出来ないというわけね」

「それは」

侍従長は視線をそらし、額には汗がにじんでいる。

お上は大層倹約家でおられるので部屋の暖房の温度も低いままなのだが、それでも侍従長は何と答えたものかと・・でも、はっきりしないと后の宮に叱られそうだと焦りながら「そのようでございます」とだけ言った。

「東宮のことは東宮大夫に任せるのがよかろうと。長官ともお話して決めておりますれば」

「では、東宮家がまたあのような大騒ぎを起こしても構わないと思いますか」

「は?」

ああ・・遊園地のこと・・・と気づいたのは2・3秒経ってからのこと。その間に女官長が「これ以上は皇室の名に傷がつくかと」と申し上げる。

「何でも東宮家では水族館に行く計画を立てているそうです。しかも貸し切りで」

「水族館ですと?」と侍従長は初めて聞く話に驚いた。

「そうですわ。それも海の近くにある大きな水族館です。すでに食事場所の予約も入っているとか」

「女官長、あなたはなぜそんな事、ご存知なのですか?」

「それはまあ・・・」

女官長はそれ以上は何も言わずにふふっと笑った。

后の宮はもう一口紅茶を飲み、チョコを一かけ口にされた。その上で

「実現したらどうなると思いますか」とお尋ねになった。

水族館・・・暫く行ってないなあなどと侍従長が考えていると、女官長はとんでもないというような表情で「あの時以上に大騒ぎですわ」と言った。

「水族館というのは遊園地以上に人が密集いたします。イルカショーを見たいからといって庶民を追い出したりしたらどうなります?それに、警備費は県が支払うのですよ。先日の警備費も大変な額になったとか」

「侍従長、東宮家に葉山へ一緒に行かないかと打診しておくれ。そろそろ女一宮の姿が見たい。もっと頻繁に御所に参内するかと思えばなしのつぶて。お上も大層気にかけておられる」

と后の宮はゆったりと、でも有無を言わさぬ態度をお示しになった。

ここまで来て侍従長はようやく、后の宮が実は結構怒っていらっしゃるのだということに気づいた。そうなのだ。いつもいつも穏やかな口調でおっしゃるからついつい油断して、本音がわからなくなる。

「では早速「官犬大夫」(かんけん大夫)・・じゃなくて東宮大夫に申し伝えます」

「女官長、「紀宮」(きのみや)にはトマトジュースを一ダース送って下さい」

お優しい后の宮のお心遣いに女官長はただただ平伏するばかり。

でもそのお心の内では、「紀宮」(きのみや)にも大層お怒りのお気持ちがあることには誰も気づいていないのだった。

東宮の陰として生きていればいいものを。なぜ皇室の未来が開けようとするこの瞬間に「紀宮」(きのみや)は水を差したか。

産地直送で無塩のトマトジュースは見事な血の色だ。きっと「紀宮」(きのみや)がそれを飲む様は吸血鬼のように違いない。二宮も腰を抜かして妻に触れなくなるかも。

「おほほ・・」思わず声が出ておしまいになり、后の宮は慌てて表情をお繕いになる。

「こ・・皇后陛下?」侍従長の目は怯えきっていたが女官長は無表情。

どうやら女官長には后の宮のお心持がわかるらしかった。


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