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Channel: ふぶきの部屋
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皇室ウイークリー

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ご日程

両陛下

2月21日・・・天皇陛下 → 記者会見

              通常業務

2月23日・・・両陛下 → 誕生日の諸行事

2月25日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

             通常業務

2月23日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 天皇誕生日祝賀の儀・宴会の儀・茶会の儀

       悠仁親王 → 天皇誕生日祝賀

       両殿下・眞子内親王・佳子内親王・悠仁殿下 → お祝い御膳

2月25日・・・両殿下 → 第10回日本学術振興会育志賞」受賞者について説明を受ける

 新型コロナが猛威を振るっている中、宴会に茶会と結構派手にやったなあという印象です。

 私は上皇陛下が心配です。

  週刊誌によれば発熱がおさまらないとの事ですが、今まで健康については即時発表があったのに、倒れた一件からどうなったかは闇の中。誰か止めているんでしょうか。

 天皇は当たり前のように上皇夫妻の仙洞御所に挨拶に行こうとしていたらしいですが、それは二重権威と言えますよね。今もって皇室で権力を持っているのは上皇・・というか上皇后です。院政時代とほぼ同じことが起きていると思います。

政府は皇室のしきたりを知っている人もいないし、宮内庁もまたそうで、儀式や序列が平気で破られ、ゆえに「愛子天皇」なんてセリフがぽんぽん飛び込んでくるのです。

そもそも、本当に譲位したのなら皇居から出るか、古い方の吹上御所に引っ越すべきで、それを旧高松宮邸をわざわざ大掛かりに回収して一時的に引っ越し、それから赤坂東宮御所へ住みたいなんて思わない筈。昔の栄光をもう一度の上皇后のわがままだったのでは。費用の面から言っても散財したと思います。

今、コロナウイルスで日本経済がピンチになっているのに、皇族の浪費に関しては全く問題にしないという政治の在り方がおかしいのではありませんか?

これで、上皇の発熱がおさまらないので引っ越しません・・・なんて事になると、あのお屋敷はどうなる?いつまでも東宮御所に住んでいる天皇と皇后は万年皇太子夫妻の扱いですよね。

時の天皇は自分が君臨した時代に天変地異が多いと「不徳」のいたりとして、改元したり、譲位したりという事がありました。

また桓武天皇のように、回りをけちらして天皇になった人などは数々の「祟り」に悩まされ都を移すというような事まで起こっています。

祟りとしては、物部氏、上宮王家、長屋王、菅原道真、早良親王、崇徳上皇・・そして平家と数々怨霊がおり、その為に天皇家では熱心に祭祀を行い、祟りを鎮めて来たのですが。

崇徳上皇の祟り鎮めは昭和まで行われていたと聞きました。

しかし、「科学者」である上皇はそう言った事を絶対に認めない人でしたから、何度震災が起きようとも、それは地球温暖化や気候変動のせいと思っていたでしょう。

むしろ、災害時こそ「天皇」アピールが出来るということで最大限に活躍してきました。

令和になって初日から殺人や事故、即位の儀式では水害が、そして天皇誕生日では新型コロナです。普通は「祟られているんじゃないか」と思うのでは?

正直、イギリスのウイリアム王子夫妻の結婚式に皇太子夫妻が行こうとしていた時、ネットでは大反対運動が起きて、雅子妃の適応障害の嘘や愛子内親王の嘘などを暴くちらしが出回ったりしていたのです。それでも強行しようとした数日まえに東日本大震災が起きてぽしゃりました。

即位後、イギリス行きが決まった時、私は「今度は何が起きるだろう」と思いました。考えてみれば中東の時は阪神大震災だったんですよね。地震か?水害か?そんなものでイギリス行きを諦めるか?なんて思っていたら世界的な新型コロナです。

しかも、清潔には人一倍気を遣う日本でこのように大量発生してしまった。

今や戒厳令下、有事の扱いで庶民の活動は自粛させられています。

ちらほらと週刊誌ではイギリス行きが中止になるのではないかと言われています。

あの二人がヨーロッパへ行こうとするとろくでもない事が起きるジンクスは生きていたのです。

これを「祟り」と言わずしてなんというのでしょう?ただの偶然ですか?

「祟り」を「祟り」として受け止める天皇はその時だけでも謙虚な姿勢になります。

しかし、祟られていても気づかない天皇はそれでも我が道を行ってしまう。

静養に御料列車を何度も使ったり、祭祀や養蚕を無視してマスコミが来る時だけにこにこ出てきたり。

自分らには全く身に覚えがないと思っているでしょうけど、やはり「水俣」を避け続け、チッソの孫を皇后にした罪は大きかったと思っています。

そして、多分、「愛子天皇」と叫び続ける限りは災いはおさまらないと予測します。

こうしてみると、歌会始めの儀に何十年ぶりかで出て来た皇后が「災いを・・・」と詠んだこと、これもまた必然なる祟りだったのかもしれませんね。


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