週刊女性 1990年6月12日号
「紀子さん段ボール30箱のお嫁入支度」
女性自身1990年6月19日号
「紀子さん・花嫁道具選び高島屋西武伊勢丹三越汗だくショッピング奮戦記」
女性セブン1990年6月7日号
「紀子さんの十二単に常陸宮妃華子さまのうるわしき愛が
女性セブン1990年6月21日号
「またこんな声が・・・紀子さんいじめ美智子さまの異例の嫁姑愛にやきもち」
1990年6月9日 同じ大学宿舎の女の子と手をつないで研究室へ・1990年5月30日 女の子から花束を渡されてにっこり
1990年6月 紀子さんの祖母 川嶋紀子(いとこ)さんによる歌と書
・礼宮殿下と紀子どのの御婚儀を祝い奉りて
・朝日さす今日の良き日を寿かん 御身も心もも萬代までも
・かしこくも御二方の御契り清き御姿未ぞ久しく
祖母が紀子さんに送ったお手紙
帽子屋さんを訪れる紀子さん
1990年6月21日 礼宮殿下の帰国を前に美容院で髪を整えた紀子さん
1990年6月24日・25日 家族との団欒
週刊朝日1990年7月6日号
「紀子さんスペシャル総力特集・ワイド特集・3LDLのシンデレラ本当はおばさんファッション?紀子さんモード・日当たりが悪く虫が多い小さな新居・お友達が明かす秘話・お二人の長電話・指輪の原型はなまず家の箸置き・宮中必須科目和歌の腕前ほか」
礼宮・紀子さんの新居
1990年6月29日 赤坂御所を出る礼宮殿下
1990年6月29日 自宅を出る紀子さん
紀子さんがお持ちのバッグと同デザインのもの
19990年6月29日 十二単で賢所へ向かう紀子さん
結婚の儀に参列する川嶋家
母上和代さん → 納采の儀の時と異なる華文の色留袖。
祖母紀子(いとこ)さん → 灰色地におはしょり近くまである華やかながらも上品な金色の松というおめでたい柄。
結婚の儀へ参列する皇族方
まず覚えていること。
1990年6月29日はとても寒かったです。曇り空で気温が低く、「これでローブデコルテじゃかなり寒いなあ」と思いました。今思えばその後の苦労を示すようなお天気だったんですね。
宮邸のあまりのみすぼらしさにびっくりした覚えがあります。ここは職員宿舎でした。筆頭宮家なのになんでこんなボロボロの宮邸を与えられたのか。皇后陛下が「学生結婚で苦労してみろ」みたいな思いでわざとそうしたと伝えられていましたが、今思えば理不尽にも程があります。もし、秩父宮妃の遺言がなかったら、今でもあそこに住んでいたのかもと思うとぞっとします。
常陸宮殿下がどのように紀子さんに十二単のアドバイスをしたのかわかりませんが、このお二人は徳川家繋がりなんですね。常陸宮妃や秩父宮妃の覚えもめでたく、宮邸のインテリアは島津貴子さんに相談するなど、紀子さんの愛され度は抜群で、こういうところが皇后の気にさわったんだと思います。
6月29日の朝の礼宮殿下は笑顔一杯。心から嬉しそうな顔をしていましたし、皇太子も紀宮も喜びで一杯な表情でした。後に皇太子の結婚式の時は、そこまで誰も喜んでないよーーって顔でしたけどね。
お父様とお別れの時の言葉は「ありがとう存じました」でした。
通常、皇族の結婚式には外国人は呼ばれません。しかし、この時、タイのシリントン王女が特別に招待されました。礼宮殿下はプミポン国王から実の息子のように可愛がられており、タイの王室とも親しい関係でしたので一番仲のよいシリントン王女が招待されたのだと思います。
国王が変わった現在、シリントン王女はご無事なのか心配です。