「大変や大変や。コンクリート卿がおいでなはったえ」
「粗相があってはならん。ご丁寧さんに・・・」
女官達が右往左往しながら、コンクリート卿を迎え入れ、東宮御所の中でももっとも立派な応接室へと招き入れた。
以前、コンクリート卿夫妻が東宮御所を訪れた時は、出したお茶がまずいと夫人に文句を言われ「外の務をお迎えする気持ちがなってない」と怒鳴られたことがある。
ゆえに、今回は細心の注意を払ってびくびくしながらも厳かに迎えるしかないのだった。
皮張りのソファに座り、コンクリート卿が好きなコニャックが運ばれてくると、卿は何も言わず頷いた。
「女一宮はどうか」とお尋ねになるので「もうお熱も下がりました」と女官は答える。
「会いたいが」
「では大至急宮さんをこちらへ」
女官は逃げるように部屋を出て行った。
卿は部屋をぐるりと眺め回す。
そういえば妃が入内した時には、この御所はもっと質素な誂えで家具や調度の一つ一つが古臭いものであった。
「雲上人というんはけばけばしいものは嫌います。質素でも由緒あるもの。わびを大事にしはるのです」と口上を述べ立てた女官長をさっさと辞めさせて、東宮御所は大きく変わることになった。
何と言っても東宮妃には黄色が似合う。黄色と言えば皇帝の色だ。
しかも金運までついてくるという。こんな目出度い色はないとカーテンや絨毯なども明るい黄色や金色を用い、若々しく華やかな部屋にしたてた。
女一宮が生まれる時には宮の部屋を総コルク張りにして、庶民では絶対に買えないようなおままごとのおうちも用意させた。そういう「贅沢」が許される身分、それこそが東宮妃の地位だったのだ。
女一宮が男子出なかった事はコンクリート卿にしても残念で仕方のないことであったが、まだ諦めてはいない。自分が外戚として権力をふるうにはまずこの宮を女帝に立てることが一番なのだ。
やがて、東宮夫妻と女一宮が入って来た。
「お久しぶりですね。閣下」と東宮が挨拶をする。
そもそも、目下の卿に「閣下」などと呼ぶのは皇族としてあるまじき振舞であるが、東宮は実のご両親・・・つまり両陛下よりもコンクリート卿を崇拝していたし、頼りにもしていたので、卿が喜ぶ「閣下」という呼称をあえて使っているのだった。
「閣下」と呼ばれたコンクリート卿は嬉しそうに笑って「急きょ帰国したので」と答えた。そしてぼやっと立っている女一宮の手を持ち「風邪を引いていたとか。もう元気になったのかな?」と話しかけた。
女一宮はびっくりして手を引っ込め、慌てて妃の後ろに隠れる。そんな娘の姿に父の東宮は「挨拶」出来ないことを叱るでもなく目を細めてみていた。
「お父様の急なご帰国って。どうかなさったの?」
最近は不機嫌な事の多い妃は、卿の前とても遠慮せず仏頂面で聞いた。
「いやいや、実は総理に会いに行ってきてな」
と、卿は思わせぶりに言った。
「大事な御用なのね」
「そういうことだ。東宮、このコニャックは最高ですな。ぜひご一緒に」
「ええ、御相伴させて頂きましょう」
早速、内舎人に卿と同じコニャックを運ばせ、女一宮は早々に出て行かせた。
「相変わらず妃はご機嫌斜めを見えますな。東宮」
卿は他人事のように言った。東宮はうっすらと笑い
「ここには妃の満足するようなものがなかなかなくて。私も困っています。本当はもっと自由にできたらいいのですが。遊園地へ行った時は楽しかったねえ。でもその後の水族館は禁止されてしまって」
「遊園地が何よ。それくらいの事で宮内庁も警察も騒ぎ過ぎたんだわ・・女一宮の幼稚園だって本当は外国のキンダーガーデンに行かせたかったのに。レベルが低くって」
「でも僕も通っていたんだよ」
「だからレベルが低いんじゃない」
と東宮妃は遠慮なく言う。
「やれお箸を使えだの、送り迎えは母親の義務とか、保護者会には出席しろとか、どういう事なのよ。暇な人間が揃っているのね。おまけに溶連菌なんか貰って来て。幼稚園に賠償金を払わせたいくらいだわ」
「まあまあ、妃の言う事ももっともだが、それでは東宮の立場がないよ」
たしなめているのか馬鹿にしているのかわからない口調で卿は笑った。
東宮は自分がバカ扱いされているのも気づかず、ただにこにこ笑っていた。
「くだらない赤十字大会だの、公務だのってもう沢山よ。私は自由にやりたいの」
「自由にやればいい」
ぼそっと言った卿の言葉に妃はちょっと驚いて「え?」と聞き返す。
「自由にやっていいって・・・・」
「そうでしょう?東宮。あなたもそしてこちらの妃も将来は帝と后の宮になられるのです。これ以上上の立場がない地位に上り詰められるんですよ。そんなご一家が好きな事を出来ないなどというのはおかしいのです。ヨーロッパの王族をごらんなさい。夏は船でクルーズ、島でバカンスですよ。なぜ我が国の皇族がそれを出来ないのですか?」
「それは・・・わかりません」
「先の帝も20代の時に英国を外遊されました。ゴルフにテニスに乗馬と王室ぐるみの楽しい外交を展開されたのです。無論、今帝とて東宮の時代から何か国旅行したと思いますか?それに比べて東宮、あなた方は?中東やベルギー、オーストラリアへ行っただけでしょう?堅苦しい公務の一環で」
「ええ。そうですね」
「妃が入内したのは、東宮、あなたと共にグローバルな皇室外交を展開したかったからです。そうだね?妃よ」
「その通りだわ。結婚する時、東宮は私に言ったのよ。外の務で活躍するのも皇室で外交するのも同じだって。しかも皇族の方がより優位に立って活躍出来るって。そう約束したのに・・・結果的に子供を産むことを強要されただけだったわ」
そんな風に責められると東宮は何を言っていいかわからず、コニャックのせいで赤く染まった頬をさらに赤くして恥じ入るように下を向いた。
「力不足で申し訳ありません」
「いやいや。妃よ。そんな風に夫を責めるものじゃない。東宮は頑張っておられるのだからね」
その言葉に妃はつまらなそうな顔でぷいっと顔を横に向けた。
「私はあなた方に素晴らしいプレゼントを用意したんですよ」
おもむろにコンクリート卿は切り出した。
プレゼントと聞いて、思わず東宮と妃は子供ような目を輝かせる。
「なあに?お父様、何なの?」
「木靴の国さ」
「木靴の国?」
夫妻はほぼ同時に叫んだ。
「木靴の国へ・・行けるのですか?」
東宮は話が呑み込めず、ちんぷんかんぷんな疑問符を投げかける。
通常、皇族の外遊を仕切るのは政府で、海外からの要請がない限り国を出ることはない。
「木靴の国の城で2週間のバカンスをプレゼントしようと思っているんですよ」
「そんなこと、可能なんですか?」
「ええ勿論。今、私は仕事でかの国に赴任しています。政府とは近しい間柄なのですよ。勿論コネも多少あります。あちらの王室にね。あそこは今、女王が治めていますが彼女の夫がうつ病を発症したことがあってね。妃の話をしたら大層同情し、ぜひ国へ招いて城を自由に使って欲しいというのだよ」
王室がコンクリート卿を介して直接東宮を国に招くなど、通常ならありえない話だ。
「信じられない。閣下。あなたはなんて素晴らしいんだろう」
「でも、本当に本当なの?ふってわいた異様な話だわ」
「私だから可能な話なのだよ」
卿はふっふっと笑って答える。
「どんな国にも弱みはあるもので、ある国では支援が欲しい。その見返りがない。などという事も多々あるし、鼻薬をかがせることだってある。これこそが真の外交戦術というものでね。女王は喜んで国の為に城を貸すというわけだ」
「すごいわ!木靴の国で2週間のバカンスなんて。海外なんて何年も行ってないもの。今すぐにだって行きたいくらいよ」
「そうだろう。妃は昔から海外旅行が趣味のようなものだったから。今日は総理にその話をしに行ったのだ。勿論、総理も承知のこと。つまり堂々と阿蘭陀へいけるというわけだ」
「でも・・プライベートで海外に行く皇族は今までいなかったと」
少し不安そうな口調で皇太子が上目づかいに卿を見る。
卿はふふんと鼻で笑って
「誰もがなしえないことをしてこそ、東宮の実績なのですよ」
と言い切った。
「この旅行はただのバカンスではありません。可愛い私の孫、女一宮を将来の女帝としてアピールする目的もあるのです」
「女一宮が将来の女帝」
まるで東宮は夢をみているかのように見えた。
女一宮が生まれた後、東宮妃は絶対にもう子供は産まないと言い、東宮もそれを支持した。可哀想な不妊治療から解放してやりたいからだった。
それに二宮の所も女子しか生まれていないので、いずれ女帝が立たなくてはならない。それは将来の天皇の皇女である女一宮以外にいないのだと信じて来た。
それなのに、二宮は裏切った。「紀宮」(きのみや)の懐妊は東宮にとって予想だにしなかったことなのだ。
「そうですよ。わずか4歳の女一宮が皇室外交に貢献するのです。かの国には近い将来、国王が立ちますが、彼には娘しかいません。つまり1世代たったら女王が誕生する。そのような姫達と女一宮が仲良くする事は格好の女帝アピールになるのです。いかがですか?」
「そうですね・・それは本当にその通りですね」
東宮は次第に事情が呑み込めてきたと言うように大きく頷いた。
「それに・・東宮、あなたにはもう一つ、プレゼントがあるのです」
「え?それって」
「あちらの皇太子は世界ウォーターフォーラムの総裁をしているんですよ。東宮、あなたは確か水運が専門でしたな。日本の水の総裁職というのはいかがかな?」
東宮は大きく目を輝かせた。
思えば、東宮はほとんど総裁職というのを持っていなかった。
その理由は、一言でいうと東宮には専門分野がないということだったのだ。
父帝は生物学者であり、先の帝は植物学、皇后は和歌や文学の才に秀でて、さらに二宮は動物学が専門。その関係であちらこちらの名誉総裁の座を与えられ多忙な日々を送っている。「紀宮」(きのみや)も手話がライフワークであり、さらに結核予防や赤十字活動など活発な公務を行っている。
父や弟が理系で東宮とは全く話が合わないことに、小さい頃からコンプレックスを覚えて来た。
かといって文学に詳しい母と合うかと言われたらそうでもない。
和歌も下手だし、文章を作るのも苦手で大方未草君(ひつじぐさの君)に代筆を頼んでいたくらいだ。留学した時も授業についていけなかったから、それ以上の研究はやめた。
そんな東宮に「名誉総裁」の座などお願いする法人はいないのが現状。
そんな自分にコンクリート卿は目をかけてくれているのだ。
それが娘の夫としての特権だと感じることで、東宮は言うに言われぬ優越感に浸れる。
「水の総裁ですか。それなら僕も出来そうです」
「いや、東宮なら何だっておできになりますよ。ただ、水関係は国際的に重要な問題になっています。こんな大きな仕事を任せられるのはやはり東宮様しかおられませんからな。お引き受けして頂けますか?」
「勿論です。閣下からのご推薦なら絶対でしょう。よろしくお願いします」
東宮の優等生な発言に卿は心から笑顔をみせ、大きな声で笑った。
「よかったじゃない。これで二宮に大きな顔出来るわよ」
「二宮・・・?東宮様はそんな事を気にされていたのですか?」
「ええ・・いや、そういうわけでは」
「東宮様は近々帝になられるかたですよ。そこらそんじょの宮家とは違う。気に病むことはありません。それに・・・この件は着々と進めていますから」
「え?」
「いやいや。さあ、盃を上げましょう」
コンクリート卿はコニャックの入ったグラスを高く上げた。
「東宮ご夫妻の海外進出に。女一宮の皇室外交に。そして女帝に。さらに東宮様の総裁職に」
全員、笑顔だった。