女性自身 2007年9月4日号
「愛子さま那須で弾けたはにかみステップ」
週刊女性 2007年9月4日号
「雅子さま母娘水色コーデで夏休み・雅子さま天皇ご一家すれ違いの夏」
女性自身2007年9月11日号
「独占グラフ那須ご静養10日間愛子さま同級生との歓声に雅子さま瞳輝く回復への自信」
週刊文春2007年9月6日号
「ポニーにまたがり、メリーゴウランドを楽しみボートにも乗って・・・皇太子ご一家睦まじく夏休み満喫中」
女性セブン 2007年9月13日号
「皇太子ご一家那須高原から帰京10日間の夏休み さあ帰りましょう」
AEAR2007年9月10日号
「雅子さま「再生と癒しの夏」皇太子ご一家の夏休み全20行事御所「子供会」に愛子さま同級生招待。外務省時代の仲間とメキシコ料理」
2007年9月5日 皇族たる皇室会議の議員及び予備議員の互選」
文藝春秋2007年10月号
「皇室適応への最終目標雅子妃が祭祀に復帰する日」(友納尚子の妄想文)
オランダ行きの飛行機の中で雅子妃は硬くなっており、過去の辛い出来事がフラッシュバックする影響から疲れが見えた
誰が見てたのか?どんな辛い過去だ?だったらオランダなんか行ける筈なかったろうに。「仕方なく招待されたからオランダへいくの」ポーズ?
静養に入る前の2003年、ある児童養護施設を訪れた雅子妃は子供達の悲しい境遇がわがことのように敏感に感じられすぎて涙があふれて止まらないという経験があった。
当時は専門医による診断もまだされておらず病状も重かった。子供達を抱きしめることもできないご自分の無力さにさらに辛い思いをした。
なので2007年の夏は大勢の子供達と豪遊して遊びまくった・・・と。
悲しい境遇の子供達に配慮するなら、普通は遊びを控える。
(皇太子の)入院中、雅子妃は毎日欠かさず見舞いに通った。雅子妃にとって毎日外出することがどれだけ困難だったか。
精養軒の店屋物目当て。
今後の雅子妃の目標は園遊会に出ること、最終目標は宮中祭祀。あと何年かかかる。
雅子妃は皇室の伝統行事をとても大切に考え、完璧にこなしたいという気持ちが強いあまり、必要以上に緊張し、力が入ってしまう。勤労奉仕団や園遊会などの重要性も理解しているが、宮中祭祀はもっとも重要なものであるという認識が高い為、うまくやり遂げなくてはならない、しかし、経験のあまりない自分が果たして立派にやれるのか、出来なかった場合は周囲に大変な迷惑をかけてしまうのではないか、などといった様々な不安が浮かんできて妨げになる。
入内したその日から真摯に学んでいれば10年以上も経ってから素人同然の思いを抱く筈はないと思うのですが。自分を過大評価しすぎなのでは?
女性自身2007年9月25日号
「小和田家の知人が明かす未来への「切なる願い」雅子さま(43)愛子(5)を天皇に」
9月6日満1歳の誕生日を迎えた秋篠宮家の悠仁親王。参内は紀子妃とだけ、記者会見もなく内輪の夕食会もなかった。愛子内親王の1歳の時は東宮御所で両陛下をはじめ黒田清子さんや秋篠宮一家を招いての食事会があったのに。
「雅子さまは秋篠宮家に悠仁さまがお生まれになってから、ますます孤立を深めているような気がします。なぜなら雅子さまは愛子さまに将来、皇位を継承してほしいと切に願っていると思うからです。それが悠仁さまご誕生以来、皇室典範改正の議論もされなくなってしまった。雅子さまのご病気が癒えない最大の原因はここにあると考えています。
「雅子さまはご結婚以来8年間もお世継ぎをうまなければいけないプレッシャーに苦しまれてきました。しかし、愛子さまがお生まれになったにも関わらず、今度は皇太子ご夫妻のお子様ながら皇位継承権がない。雅子さまは昔から大変責任感が強い方でした。皇太子妃として男のお子様を埋めなかったというじくじたる思いと、皇太子さまと自分の子供がなぜ、将来、天皇になれないのかという寂しさのようなものがあるのだと思います」
最近はお元気になられたようにお見受けする雅子さまですが、ご公務復帰を望む声もプレッシャーになってしまうのだといいます。責任感とプレッシャーの悪循環の中で、愛子様の幸せを願う雅子さまのお気持ちを考えるならもはや一刻の猶予もないのです。
この記事が出たのは2007年9月11日。つまり紀子妃のお誕生日でした。週刊誌のタイトルを見た瞬間、怒りで手が震えました。「女帝を狙っているのは小和田家」である事ははっきりしました。小和田恒は権力と権威の両方を手に入れたい。生まれた孫娘が障害者であろうがなんだろうは、即位させてしまえば何とでもなると思ったのでしょう。
雅子妃が元気になる為、愛子内親王の幸せの為に皇室典範を改正しろとは暴言であり、不敬であり、言語道断です。いくら言論の自由があるとは言っても、こんな事を書かせていいわけがない。しかも悠仁親王の御生母の誕生日に。
意地悪で策略的でどこまでも独りよがりな思想を持つ小和田家。責任感だプレッシャーだと言いますが、この時期にはすでに国民は雅子妃公務復帰をしてほしいと思っていないし、男子を産めと言った事もない。全部マスコミが勝手に書いて来たことです。
雅子妃のせいで、秋篠宮家は「皇孫」にも関わらずお祝いらしいお祝いをさせて貰えず、宮家そのものが日陰の身になってしまいました。この恨み、どうしてくれようか・・・といち国民として本当に思います。
2007年9月16日。皇居へ稲刈りに向かう東宮家。
しかし、時間が「午後5時過ぎ」秋篠宮家の紀子妃と悠仁親王は欠席。
2007年9月19日 新任皇宮護衛官への会釈
女性セブン2007年9月20日号
「雅子さま長野奥志賀静養中止 もう一つの理由 夏の終わりに・・・宮内庁は「愛子さまの風邪」が原因と発表したが お友達家族も警護の負担」
8月30日から9月4日まで皇太子一家は奥志賀高原で静養の予定だった。
出発当日になって急きょ中止。宮内庁は「愛子様が前日から37度の熱を出した為」というのが理由だった。
奥志賀近辺のペンションは宮内庁警護の予約で満杯だったのに突然のキャンセルで閑古鳥がないてしまった。
7月下旬、東宮御所で愛子内親王の友達を招いての「子供会」が数回開かれた。
8月11日、愛子内親王と雅子さまは東京湾の花火大会を見物
今年の夏はとりわけ精力的に遊ぶ皇太子一家。いつもは3人だけなのに、今年はお友達一家も多く、宮内庁の警備担当にかなり負担がかかる。
奥志賀をキャンセルしたのも「遊びすぎ」の批判があったからでは?
2007年9月22日 一家で大相撲観戦
徹底的な遊びを続けて公務ドタキャンを繰り返す雅子妃。デリケートとかナイーブとか、責任感が強いとか。そんな言葉で飾られているけど、国民の本音は「心臓強いよね。何を言われても自分を曲げないんだから」でした。